- 25 -
イースフロントの会長室のソファでいつものように寝転がる鬼塚心は、目の前に座る顰めっ面の龍大を横目に欠伸をした。
突然やって来て、だが特に何を言うわけでもなく、何か思い詰めたような顔でいる。しかし、残念ながら心には人の気持ちを汲んでやるような心得はないので言わば放置だ。
「親父に見合いしろって言われた」
思い悩んだ末に吐き出した言葉がそれだ。心は呆れたような顔をして「すりゃあええやん」と言った。
心からすれば至極どうでもいいことで、わざわざ関西から赴いてそんなことを言いにきたのかと理解不能でさえあった。
「無理や。威乃がおる」
「ああ?ほなそう言うたらええやんけ」
何が言いたいのか理解に苦しみ呆れる。というよりも全く意味が分からない。見合いをしたくないと言えばいいだけのことを、なぜ悩むのか。
子供じゃあるまいし、自分の意見くらい押し通してみせろとさえ思う。心にそう言われた龍大は、小さく頷いた。
「簡単に言わないように。龍大さん、真に受けないでください。この男は面倒になって言ってるだけです。実際にそんなことをすればただでは済みませんから」
会長室の書斎机に座る相馬北斗は話がおかしな方向にいきかけていると、口を挟んできた。
それをよく似た二人が視線を向けるので、何だか疲労感がすごい。相馬は心達の元へ行き、空いてる席に腰を下ろした。
「なぜ急に見合い話が?以前からあったわけではないでしょう?」
「わからん、親父の考えてることは。眞澄も明神も未婚やのに、一番年下の俺がいきなりなんで見合いやねん」
「年なんか関係あらへんやろ。お前は会長の息子やし」
珍しく正論を言ったと相馬は目を丸くした。
「息子やて、そんな理由だけで勝手されなあかんのか」
「まぁ、跡目ですからね、風間の」
相馬に言われ龍大は鋭い視線を向けた。それは大変だったねと言って味方をしてくれると思っていたわけではないだろうが、龍一と同じ考えなのかと腹を立てているように見えた。
こういうところは年相応だなと思う。大人びて見えるので忘れがちだが、龍大はまだ20歳にもなっていないのだ。
「跡目やからて結婚せなあかんのか。心も嫁なんかおらんやろ」
「おるおる、今朝も噛みつかれた」
戯ける心をひと睨みして相馬は龍大に向き合った。
「いいですか、龍大さん。この男は良くも悪くも破天荒で得手勝手です。それは今に始まった事ではないですし、実際、それで罷り通ってしまっているところがあります。それに、会長にも恋人が同性であることを言ってしまっています」
「ほんなら」
俺もと言おうとする龍大を相馬は手で制した。
「言ってはいますが、会長は一時期の気の迷いと思っておられますし、この男に言っても無駄ということをよくご存じでいらっしゃる。それに、この男とあなたとでは立場が違います」
「立場?」
「はい、この男はあくまでも部下にすぎません。仁流会会長補佐という立場ですから。ですがあなたは違います。ご子息ですから」
「ほんなら受けろ言うんか!」
声を荒らげる龍大に心が徐に起き上がった。相馬はそれを流し見る。
「そういやぁ、お前んとこの、バカ兄貴、あれが一新一家に手出そうとしたな」
急に話題が変わったせいで出鼻を挫かれた龍大が、少しだけ肩を下げた。
「ああ、何か神木っていう親父の側近が動いてて」
「ほんで、俺の島でも変な動き見せてる」
「え?ああ、それは…」
龍大は次の瞬間、相馬がスッと身体を下げたのが見えた。ハッとした瞬間には心に胸ぐらを掴まれ脳が揺れる衝撃が走った。手加減なしで顔に右ストレートが入ったのだ。
そして怯んだ龍大の身体はソファに叩きつけられ、咄嗟にガードをした腕の上に膝が当たり、骨が軋んだ。ぐぅっと痛みから声が出た。
すると次に腕を掴まれ顔を覗かれる。心は愉快そうな顔を見せて目の横にまた拳を振り下ろした。
軽い脳震盪だ。心の拳は何度受けても意味がわからない。力の入れ方、拳の使い方が独特すぎて、ここまで重くなるのがなぜか全く分からない。
肩か、腕か、筋か、とにかく重いのだ。腕の太さなら龍大の方が上なのに。
「はい、もういいですよ。はいはい」
相馬がまだ殴ろうとした心の腰を足先で突いた。心はその足を払い、応接セットのテーブルを跨いで定位置のソファに戻り寝転がった。
龍大は高い天井を見上げたままぼんやりとした意識を紡いで、どういうことだと頭を整理をしていた。いや、整理したところで分からない。
「龍大さん、起き上がらないで。少しゆっくりして、そのままでいいですよ」
相馬も特段、慌てることなく微笑む。奇行を起こす心に慣れているのか策があってのことなのか、それとも何か心の逆鱗に触れるようなことをしてしまったのか。
龍大は大きく息を吸って、深呼吸を繰り返した。心の考えも行動は、いつも分からない。だが、意味のないこと、無駄なことはしない。なら、これも?
「そのままで聞いてくださいね、獅龍さんが動いている場所、あそこは一新一家の島でもあるんです。ご存知ですよね?一新一家の若頭ともブッキングしたそうですから」
「一新一家から親父に連絡が来たらしいっていうんは、部下に聞いた。俺はそれに関わってないから」
「ですね。細かく言うと二度目はないという忠告です。一新一家は巨大組織です。やろうと思えば仁流会ともやり合える規模です。ですが均衡を保っている。その均衡がこの男なんですよ」
「え?」
龍大はゆっくりと起き上がった。まだぼんやりとするが、先ほどよりだいぶマシだ。口元を拭うと血がついた。口が切れたか。
すると相馬がハンカチを寄越してきた。それを受け取り血を拭う。
ふと夏色と手合わせした時のことを思い出した。拳の入れ方が似てるかもしれない。右と構えたら左から繰り出される拳。先見之明のような、そんな力が心にも夏色にもあるのかもしれない。
「鬼塚は一新一家会長と由縁のある仲でして。鬼塚がいるから一新一家も目を瞑っていることも多くあるんです。そこに手を出した挙句、鬼塚の島でも妙な動きをしている」
「…?」
「あなたは鬼塚に呼び出され、制裁を受けた。身内からの忠告ですね、言うなれば。鬼塚が動くことは滅多にないので、相当、腹に据えているということです」
「うん…?」
「やから見合いとか言うてる場合やないってことや」
「あ、」
龍大は理解したように顔を上げた。確かに心の暴れっぷりは龍一も手を焼く状態だ。その心の逆鱗に触れた。
「それと追加で」
相馬が穏やかに微笑んだ。
「次は獅龍さんを連れてこいと言っていたと、会長に言っておいてください」
「獅龍を?それでええん?」
「構いません」
龍大は首を傾げたが、とりあえず頷いた。
「ほんで、これとは別に家でゴタゴタがあって」
「おや、どうされましたか?」
1つでも面倒なのに2つ目は範疇外と心は舌を鳴らした。
「内々にして欲しいんやけど、親父がおかんを監禁したっていうんか、何ていうんか」
「はぁ?」
お前は何が言いたいと心が蛾眉を顰めたが、相馬がお前が言うなと言わんばかりに睨みつけると反転して龍大に微笑んだ。
「お母様は確か、別宅で療養されていると伺っておりますが」
「知ってるん?」
「ええ、昔に色々とあったでしょう?その時に、私の父もお話を伺う際に同席はさせていただいておりましたので」
「その別宅から半ば無理やりに連れ出したんやけど、身体のことで薬を飲まなあかんくて」
「確か、側近の方がいらっしゃいましたよね?」
「うん。でも、おかんから離されてる。そいつが薬も管理していたから、実際、俺が見つけた時はヤバかった」
「クソやな」
心が笑ったがそれには龍大も同意だ。
「それで今は俺の手配したとこに身を隠してるんやけど、あの、佐野彪鷹は?」
「彪鷹?」
「彪鷹さんは別件で入れ違いですね、関西に出てます。彪鷹さんが何か?」
「いや、おかんが昔、ヤバい時に助けてもらったらしいけど、そのお礼言うてへんかったらしくて」
「彪鷹に礼なんかいらんやろ」
「ほんまはおかんが直接言えばええねんけど、助けられた時に礼を言うにも佐野彪鷹の狂気にビビって声も出んかったって。今でも名前聞くと顔色変わる」
相馬は”おやおや”と眉を上げ、心は少し逡巡してから龍大に顔を向けた。
「いつや」
「え?」
「そのとき」
「えーっと、俺も獅龍も小さい。獅龍がようやく小学生とかかも」
「じゃあ、一番化け物やったときやな。そりゃ、言えんわ」
化け物。龍大は彪鷹を思い出し首を傾げた。心の思い人を攫う時に龍大は少しの間、彪鷹に稽古をつけられた。心と親子であると錯覚するくらいに容姿は似ているが、心とは違い表情が豊かだった。だがそのくせ掴みどころのない男だった。
とはいえ母親があそこまで怯えるような要素は感じられないし、心が言う化け物というフレーズも似つかわしい感じだった。
「またそれは追々、会合でも逢うことがあるでしょうから、その時に言ってあげてください」
微笑みではぐらかされたように感じたが、そこを詮索しても仕方がないかと龍大は頷いた。
そして最近の組の様子や神木の話をして、龍大は帰路に着くことにした。いつもなら梶原が話したりするので、1年分の会話をしたかもしれないと龍大は慣れないことはするものじゃないなと顎を撫でた。
普段、使わない筋肉を使ったせいか顎が疲れている気がする。いや、殴られたから。
「いいですか。龍大さん」
駐車場まで見送るという相馬が廊下で龍大を振り返り、いつになく真剣な顔を見せた。
「威乃さんとのことを言うという選択ですが、一時期の感情で言ってしまわないように。感情で出た言葉というのは自分が思ったよりも代償が大きくなることが少なくないんですよ」
龍大は納得したようなしないような顔で小さく頷いた。
関西に戻ったころには龍大の顔は赤黒い痕がハッキリと浮かんでいた。いつもの相馬なら何か冷やすものや手当をしようとするが、それをしなかった理由もこれだろう。
顔半分、そう言っても良いくらい酷い有様だ。
「獅龍を?」
その顔のまま事の成り行きを龍一に話すと、龍一の顳顬が僅かに痙攣した。部屋にはタイミングよく神木と獅龍も居て、龍大の顔を見てギョッとしていた。
「呼び出されて、次は獅龍を連れてこいて」
「ははは!ええやんけ、行ったるし」
獅龍はそれを聞いて笑ったが、龍一はそれを睨みつけた。
「お前はあれを知らんから言えるんや」
「そうですよ、一度、腹に食らったそうじゃないですか」
神木が言うと獅龍が立ち上がったが神木は両手をあげてにっこりと笑みを見せる。あくまでも非暴力主義者だ。
「風間の、しかもこいつはともかく俺をどうこうするわけないやろ!」
「俺やから、これで済んでん」
「ああ?」
「獅龍ならぶった斬られてる」
龍一は顎を撫でながら逡巡した。まさか心が動くとは予定外だった。面倒ごとを嫌い、ゴタゴタしそうな時は直様、身を引く癖がある。
今は彪鷹もいるからか?いや、あれこそ心の骨頂みたいなものだ。ということは一新一家の島に入り込んだのは相当、拙かったということか。
「獅龍、お前、今はどこ辺を当たってる」
「あ?俺に聞くなや。そのアホに聞け」
「ですから、何度も申し上げている通りですよ?」
帰国してから街に出ているが地理の変化に全くついていけてないようで、獅龍の苛立ちは日に日に増していた。龍一が神木を仰ぎ見ると、神木は肩を竦めてタブレットを操作した。
「この辺は入り乱れいるので、誰のという場所ではありません。ただ半グレみたいな若いのが好きにやってたり外国人もいて、厄介なんです」
マップを見た龍一は腕を組んで少し考えたのち、梶原を呼べと静かに言った。