落花流水

空series spin-off


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「そういや、俺の武勇伝みたいなんどうやって回ってんの」
4人で学校の終わりにファストフード店に行きハルが聞くと、3人が同じような顔をして固まった。
「ああいうのさ、尾ひれって付くやろ。俺がやったことなら文句ないけど、訳わからんことまで回ってるようじゃ…。まぁ、自業自得か」
「あの…女の子を、酷い目に遭わせたっていうのは?」
沙奈が真剣な目でハルを見た。いや、これ相当な内容が回ってんなと苦笑いする。
沙奈からすればそんなことするわけないと思っているのだろうが、沙奈の顔を見る限り相当エグいのが回ってるなとジュースを口にした。
すると小山田がスマホをハルの前に置いた。
「俺、この学校グループ知らんわ。ハミるなよ」
誰でも今はインストールしているコミュニケーションアプリ。その中の招待制のグループの人数はハル達のクラスだけじゃなさそうな人数だ。
ルームで話されているのはどこからか引っ張ってきた昔のハルの写真。隣に居る威乃と彰信の顔にはぼかしが入っている。
懐かしい写真を見つけてきたなと尊敬すらしそうになった。ハルでも持っていない写真だ。全員の顔が幼い。多分、1年生だ。
”凶悪犯罪、少年法で守られ少年院送致にもならず!”と三流記事の見出しのようなセリフが、コラージュされた画像と共に投下されている。
その下には”事件”の詳細が書かれていて、ハルはそれにザッと目を通して笑った。
「はは、俺、人殺したことになってるやん」
河川敷でリンチして、その死体を事故に見せかけて殺したという、いや、日本の警察を舐めてんのかと呆れる。
そもそも河川敷で喧嘩をした覚えがない。昭和のヤンキーじゃあるまいし、そんな目立つ場所で何をしろって言うのか。
というかハルの活動範囲内に河川敷がない。相当、遠くへ行かないとないのだ。
だがルームは困惑と驚愕、そして”俺はわかっていた”と謎のマウントの祭り状態だ。
「あー、これか」
それらのコメントをザッと流して”速報!名取春一にレイプされた子がいた!”というコメントと共にハルと女の子が写る画像がアップされている。
目元だけ隠されているが、口元を見て笑う。
「元カノやし」
口元に少し目立つ痣が生まれつきあって、それを気にする女だった。ハルは気にならないと言ったが、いつも口を手で隠すのが癖だった。
その痣を殴られた痕と書かれていて、さすがに怒りが湧いた。
別れたとはいえ、彼女として付き合った相手を何も知らない相手がその見た目だけで面白おかしく書く。到底、許せるものではなかった。
「こういうツールってこわ」
ハルは呟いてポテトを口にした。何かそうしてないと口から怒りの言葉が出そうだったのだ。
「あ、あー、こっちは困る」
そう言って手を止めたのを沙奈が覗きこんだ。
「お友達?」
「昔っからのな…」
威乃の顔がバッチリ写っている。今回はぼかしもなしだ。
共犯のA君とまでコメントされている。自分だけならまだしも、こっちへの火の粉は大事件になりかねない。
威乃だけならハルと二人、過去の行いへのツケだと猛省すればいいが後ろに控えているのは正真正銘の鬼だ。
コメントには威乃の容姿について書かれているのが目立つ。男なの?女なの?というものから、可愛すぎるという誰かさんが聞けば抹殺に行きそうなものまで。
「こういうのって否定しちゃったりとかするとさ、更に炎上しちゃうよね」
伏間が2個目のバーガーに齧りついた。視線を落とした顔の表情はどこか暗い。それに小山田が眉を上げた。
「経験者みたいやな」
「俺は名取みたいにヘビィじゃないけどね。クラスのチャットルームみたいなのでね、イジメだよ。俺はそういうつもりなかったんだけど、言葉間違えたみたいで。閉鎖空間での少しの歪みっていうのかな。何か攻撃対象がないとつまらないのかって思っちゃうけど、それくらい狭い世界に生きてるんだよね、俺ら子供って」
「やから、こっちに来たん?」
沙奈が聞くと伏間が困ったように笑った。
「一からやり直したいなって思って。じゃあ、またこういうのあるし、どこでも一緒だね。でも、俺は今回は当事者じゃないから」
「そうそう、傍観者決めとけ。俺はこういうの耐性あるから大丈夫や」
ハルはそう言って小山田にスマホを渡した。
「とりあえずこれから俺とおるかどうかの判断は任せる。そこに書かれてること全部が間違ってはない。俺は嶌野原高校のトップやった。伏間は知らんやろうけど、別名ヤクザ養成所って言われてるくらいクソヤバい学校。教師は男のみ。全員が武術の有段者。日和った奴は2日で来んくなる。教師がボコられて再起不能も普通にあるとこで、俺は一年で学年トップなってそのままずっと王者。言い方はカッコいいけど、何も胸張れるようなことあらへん。喧嘩と喧嘩、常に暴力だけの日々。もちろん喧嘩は暴行や。口争いやないから今も後遺症ある奴もおるし、傷残ってる奴もおる。俺が五体満足でおれたんはそこに一緒に映ってる奴と二人、ちょっと同じ年の奴らより喧嘩強かったんと運が良かっただけ。でもそん時は最強やてどこからともない自信持ってたもんで、アホみたいに他の学校とも喧嘩もしたし、族も潰した。ヤクザには手ぇ出してへんけど実際、付き合いはある」
ハルの最後の言葉に三人がギョッとした顔をした。ここまで来て、ここまで付いてきてくれて嘘は付きたくはなかった。
梶原と別れたとしても威乃とは関係が切れたわけではない。その威乃は風間といる道を選び、義父も組員だ。付き合いがゼロと言った方が嘘になる。
「付き合いってあれなん、こう、このブツ運べみたいな」
小山田の言葉に吹き出しそうになる。
「何見たらそんな発想なんねん。ツレ…その一緒に写ってる奴の親父が組員で、その伝手で俺も組員の人と飯行ったりとかするねん。変な仕事はしてへん」
「でもさ、急にどうしてこんなの出まわっちゃったんだろうね」
「あたし、隣のクラスの女の子に聞いたんだけど、上のクラスの人にも回ってるって」
「へぇ、俺、モテモテ」
「ほんまや。春一、モテモテ」
ハルは自分の過去が誰から漏れたのか言わずに、そう言って笑った。小さな火種は投げ込むだけで大火事になる。
他意はなかったかもしれないが、今この現状がそういうことだ。

こういうところにも指導室みたいなのあるんだなと、ハルは無機質な狭い部屋をぐるっと見渡した。目の前に座る榎本は何やらファイルを見て難しいというよりも、少し面倒臭そうな顔をした。
30代前半くらいの榎本は天然なのか緩い癖のある髪を鬱陶しそうに掻き上げ、無造作に生やした顎髭を撫でた。
「呼び出された心当たりは?」
言われ、考えてみる。朝一に学校に来て、すぐに呼び出された。
教室のあちこちでひそひそと声が聞こえたが無視した。
「昔の悪行のツケっすかね」
「わかってるやん。まぁ、嶌野原卒っていうんは知ってるし、そこをどうこう言うたところで出身校は変えられへんけども、殴られたとか喧嘩売られたとかいう相談がな。俺はよく知らんけど、過去の真偽不明の情報も錯綜してるとか?」
ハルは榎本の顔の前に両拳を差し出した。
「まぁ、喧嘩してきた拳やな」
「先生、人殴ったことある?殴ると、こっちも無傷やない。その相談がいつのもんか知らんけど、俺は誰も何も殴ってない」
そう言って、ハルは両手を机の上に置いた。
「過去は変えれるもんやないけど、向き合ってやり直そうとしてる人間の邪魔はするもんやないと俺は思ってる」
榎本はファイルを閉じると頬杖を付いた。
「喧嘩してないよ、もうずっと」
「何かな、こう刺激が欲しいわけよ、ここの連中も。俺ら教師からすれば平和に授業受けて資格とって就職すればええやんって思う。もうすぐイベントもあるやろ。あのイベント課題かてグループ作ってるけど、他のグループの手助けはいるでしょ。そこに向けて頑張ればええのに」
イベント課題とは学校恒例、カートを組立整備しグループ対抗レースをするというちょっとしたお祭りだ。組立整備なので安易なものでもなく、知識と忍耐を求められグループの団結も求められるものだ。
そのグループ分けが先日、行われた例のあれだ。その時から榎本はクラスの微妙な空気には気が付いていた。
「ちょっとした変化に弱いからな、お前らの年頃は」
「教師らしいこと言うんっすね」
「そりゃね、もともと高校教師やからな、俺」
「え!マジで」
「この学校に入ったんはお前の実力やし、過去は関係ないから気にするな…とは言えんけど、ならへんやろうけど自棄になってくれるなよ。お前の言う昔の悪行のツケと思ってしっかりと払え。踏ん張るとこ間違えたら、こっから長い人生ずっと間違えたまんまやぞ」
なるほど高校教師。もっともなことをおっしゃるとハルは頷いた。

イベント課題は進級にかなり大きく関わってくる上に、今の時期は資格習得も重なっていて余裕がない者がほとんどだ。
遊びで通っているような気楽な気分で過ごせるようなものではなく、イベント課題では実際にレースも行われるので大袈裟に言うと事故を起こして命を落とすなんてことも有り得なくはない。
気が緩んでいる者は弾き出されるし、そのグループ自体が行き場をなくすこともある。
ハルと小山田はクラスでもトップの成績だ。伏間も沙奈も成績優秀の上位クラスなので、ハルのグループは他のグループとは進捗状況が飛びぬけて違う。
実際にイベントへ向けて本格始動し始めると、ハルの話題で持ちきりだったコミュニケーションアプリもピタリと更新が止み、クラスの中で傍観者を決め込んでいた人間はハルに助言を求めるくらいだ。
実力も知識もハルに敵わないので、そうするしか他にないのだがハルはそれを嫌な顔をせずに受け、答えている。自分が馬鹿な振る舞いをすれば小山田達にも迷惑がかかるし、何よりも本気でそんな余裕が誰にもないのだ。
「いい感じに走りそうやね」
ここ一ヵ月、夜中まで残って取り掛かったカート。そのカートのエンジンを学校の敷地内にある工場で吹かして、小山田は言った。沙奈もコンピューターを見ながら大きく頷いた。
「伏間、ここのステン、やっぱりさっきのにサイズ戻そう」
ハルが言うと伏間は「OK」と工具を腰袋から取り、外しにかかる。伏間の作業スピードは多分、クラス一だなと手際の良さを見ながらハルは思った。
「じゃあ、これでええ感じ?さっき、時枝に何か言われてたけど大丈夫か」
「ああ、何かブースト圧、聞かれただけ。アイドリングが狂ってるから何でやろって」
「パイプちゃうんか」
「やと思う」
「お前はお人好しやなぁ」
小山田は呆れたように笑った。

途中リタイアも多く見られるイベント課題は、他の学年や講師も見に来るほど注目されている。これは1年の時の課題で、カートの骨組み等はある程度できていてエンジン組が大変なくらいなのだが、ここで気を抜いてはいけない。
これが毎年開催され、学年が上がるごとに難易度と排気量が上がっていくのだ。卒業もかかる最終学年では、設計と骨組みからやる事になりチームとも大人数になる。
ハンドルを握るのはレーシングコースに通う、レーサーの卵達。車のデザインはデザイン科の人間、エンジンはハル達メカニックコースの人間。そして極めつけはコースはサーキットを借りるという本格レース。
他の科の人間も同じように卒業がかかってくるので、人選を誤るととんでもないことになるので今日は見極めの舞台とも言える。
なので1年でコケていては毎年が地獄なのだ。こういうところが珍しく特色があったので、ハルは受験を決めたのだが出だしは好調というところか。
イベント課題は当然の結果と言うべきかハル達の独占優勝だった。ドライバーは交代で、ダントツに速いタイムを叩き出したのが小山田だった。
ハルはコクピットに詰めることにしたのでハンドルは握らず、最期に沙奈にチェッカーフラッグを浴びさせてハルたちのレースは幕を閉じた。
コミュニケーションアプリでハルの情報を必死に投下していた人間の居るチームは最下位。これは小山田も「ざまぁみろ」と舌を出していたが、そこは同感だった。
ハルたちの成績に榎本は何も言わずにニヤリと笑って、ハルを見るだけだった。

こういう大きなイベントが終わるとあるのが打ち上げだ。今回のような学期の最終の大イベントとなると打ち上げをしたい気持ちも分かる。
レース後の高揚感も残ったままだし、酒でも飲んで騒ぎたい。それも同感だ。
小山田から聞いた話ではレース後にハルの事を色々と釣りあげていたルームは、ほとんどの人間が退会してしまったそうだ。
内容を知るために残っていた小山田も退会し、ほぼ消滅。こんな馬鹿をしている場合ではないと現実を見た人間の賢い選択だ。
「でもハルさ、就職とかさメカニックとか行くべきじゃない?レーシングチームとかそっちの。他の学年の講師とか褒めてたよ!エンジン組の発想がえぐいって」
伏見に言われて、うーんと考えて首を振った。
「団体行動はどうしてもっていうのがないとしたあらへん。我儘ですから」
「春一は孤高の男やから」
「やめて、アホみたいやん、俺」
三人でゲラゲラ笑うのを沙奈がスマホで撮った。
「著作権だぞ、沙奈」
伏見が言うと沙奈が笑った。他の席に居たクラスメイトもハルの周りに集まってきて、自分のチームのマシンのどこが悪かったのかiPad片手に相談してくる。
ルームでハルの過去を見た人間ばかりだが、それを誰も気にする素振りはなく自分だけが神経過敏になってたんだなとハルは嫌な顔ひとつせずに相談に乗った。
こういう楽しさ初めて知ったなと、自然に溢れる笑顔に思わず口元を隠した。
「宴もたけなわではございますが、時間の都合上…」
なんて、どこの企業だよという学生には似つかわしくない言葉を胡瓜をマイクにして言う幹事に、二次会はどこだと野次が飛ぶ。
テンション高い状態ではあるが、沙奈がテーブルに突っ伏している時点でハルの二次会参加はない。
「飲みすぎんなって言ったろ」
軽く頭を叩くと呂律の回らない謝罪が聞こえた。
「小山田、俺、沙奈と抜ける」
「ああ、悪いな。俺、伏間連れてくわ」
伏間も座敷に寝転がり本格的に寝ている。課題のために徹夜が続いた。伏間は整備を担っていたせいで体力的にも限界だったのだろう。
そこにいつもの量の酒となれば、そりゃ潰れる。
「伏間の家、分かってんの?」
「おう、飲み会の前に聞きだした。俺って天才やろ」
そういうところ抜け目ないなと思う。じゃあ、酔っ払いを送るミッションを成功させましょうと互いを讃え合って、この場合、小山田の方が男の伏間という時点でかなり重労働だが。また週明けなと拳を合わせた。
出入口では二次会に行く者、酔っ払い送迎の者、酔っぱらってはいるが自我を保てているがテンションがバクってる者のカオス状態だ。
酒を飲んでない人間は酔っ払いなんて相手してられないと、早々と避難する賢い選択に出ている。
「ほれ、歩けるか」
沙奈が唸りながらハルに抱えられて歩くが、この間よりも具合が悪そうだ。ハルは視界に入った自販機の前に止まると、お茶を買って沙奈に渡した。
「飲め、あほ」
「うーん、ごめんねぇ。でも嬉しくてー」
「はぁ?」
「だって、みんなハル君のことちゃんと分かってくれてー、悪く言う人もいなくてー、ハル君、最高!!」
きゃーと叫ぶ口を押えて、大きく息を吐いた。
「もうええから、あ、ここおれるか?コンビニで何か買うてきたるわ」
「大丈夫です。知らない人には付いていきません」
コンビニから見える距離だし大丈夫だろうとハルはコンビニへ行き、コーヒーが飲みたいと奥へ行こうとしたが直ぐに踵を返してコンビニを飛び出した。
小さい沙奈が、更に小さくなって見えないのは囲まれているからだ。ハルは囲んでいる奴らを押し退けると沙奈の前に立ちはだかった。
「は、ハルくん」
酔いが吹き飛んだのか、今にも泣き出しそうな顔でハルを見る。一番の酔い覚ましだったなと首を鳴らした。