落花流水

空series spin-off


- 9 -

「最近、付き合い良いよな」
大衆居酒屋の貸し切りの和室で酒を飲む小山田が、ハルの隣に腰を下ろす。ハルは酒を一気に飲むと、ブッと吹き出した。
「付き合い悪かったら拗ねるくせに、付き合いようなったら納得いかん顔するねんな」
難しい奴やなと笑うと、小山田が困ったような顔をする。
「前の春一とちょっとちゃうかなーみたいな。勝手なこと言うけど、無理してんなぁって」
前ってどのあたりの?人を物のように殴りつけてきた時?普通が分からずにもがいてたとき?危うく極道の男娼になりかけてたとき?
どれも自分でどれも自分じゃなくて、結局、未だに迷走中だ。
「まぁ、しんどい時は来んよ」
ふふっと笑って立ち上がると鞄を取り、1000円札を何枚か置くと小山田の頭を撫でた。
「会費ね。今日は帰るわ、ちょっと用事あるし」
「送るか?」
「あほか、平気」
ハルが出入り口に向かうと沙奈が追いかけてきたが、手を振って何も言わずに店を出た。沙奈もハルの自暴自棄のような最近の行動にどう言葉をかけていいのか分からないようだ。
授業も受けて、前は欠席が多かった飲み会にはほとんど参加する。特に奇行が目立つわけでもないが、飲み方が無茶苦茶なのは誰の目にも明らかだった。
梶原と距離を置いてから、威乃からの連絡にも何かと理由を付けて断っている。確かに課題も多いし実習も大変だが実際は断るほどではない。
ただ威乃に逢うと梶原の話にもなる。それが今はまだ受け入れられなかった。
何も知らない威乃の口から梶原がどうしているのか聞けるほど、自分に余裕がない。そこそこ好きだったのかなと思うが、それもどうなのか分からない。
ただ意外に繊細だったようで、それに自分で呆れた。どの面下げて繊細と言うんだという感じだ。

フラフラと歩きながら、多分この辺だよなと一本、路地に入る。そこから奥へ抜けると色んな店が出てくる。
案外、普通じゃん。そんなことを思いながら辺りを見渡す。
男率、やっぱり高いな。こういう嗜好の人間ばかりが集まるのだから当然かとスマホを開いた。
どこも常連以外はお断りなんだろうか。妙な店には入りたくないなと思っていると、ポンッと肩を叩かれた。
振り向くと眼鏡のサラリーマンがにっこりほほ笑んだ。ハルより少し背が高い。年は10歳くらい上でエリートっぽいところはハルが今まで関わってきたことがないタイプの人間だ。
「店、探してたりとかする?」
「そうやな。結構、飲んでるけど」
「ほんとだね、お酒臭いなぁ」
笑いながらさりげなく腰に手を回してくる。なるほど、こういうのもあるのかとスマホを鞄に投げ入れた。
「どっから来たん?」
「出張でね、東京から来たんだけど君みたいな子に会えるとかラッキーかも」
腰に回した手に力を入れられ、端の方に引っ張られる。さて、どうしようかなと思っていると壁に押し付けられた。
「可愛いなぁ、超好みかも」
「あ、超とかなし。俺、それ無理」
「ああ、標準語が?ごめんね。でもそれくらい好み。可愛い」
頬にキスされ、耳元で「ホテル行かない?」と囁かれる。まぁ、それが目的だったしなと考えることなく「いいよ」と返事をした。
「あ、あんたって抱いてくれる人?抱かれたい人?」
「俺は抱きたいなぁ、君の事。気持ちよくて無理って言わせたい」
思わず鼻で笑ってしまう。そんなビッチに見えるのかなと思ったが見た目の問題かなとも思う。当然のように男と手を繋ぎ、引っ張られるまま歩く。
ここではこういう男同士で手を繋ぐこれも変に思われないんだなと、周りの同じような人を見て思う。
欲を発散させるのに男女も何もあるもんじゃないかと思っていると、「ここでいい?」と言われた。ホテルも普通だなと思いながら頷くと、反対の手を引っ張られてサラリーマンの男と二人でその手の方向を見た。
「は?」
「ダメだよ!」
ハルの手を引っ張ったのは槇原だった。サラリーマンが困惑してハルを見ると、ハルは眉尻を下げてサラリーマンから手を解いた。
「知り合いやねん。他の子探してくれる?ごめんね」
そう言うとサラリーマンも仕方ないなぁと笑って手を振った。良識人で良かったと槇原とホテルの前でどうしようかなと思う。
しかも男と入りそうなところを見られたというか、止められた。
「あー、槇原?」
「ごめん、本当、ごめん」
「えーっと、尾けてきた?」
「心配で…」
尾けてきたなら終始見ていたわけだ。ならそういう目的でここに来たのかも分かるよなぁと、頭を掻いた。
「とりあえず、ここじゃ邪魔やろ」
槇原を連れて、ホテルから少しだけ離れたところに移動する。槇原は苦々しい顔をして顔を覆ったり頭を振ったり大忙しだ。
「で、なんで尾けてきた」
「心配で」
「俺を?」
心配されるような立場になったかぁと少し笑う。それを馬鹿にされたと思ったのか、槇原がムッとした顔を見せた。
「最近は飲み会に参加するけど!無茶苦茶な飲み方だし!無理してる!」
小山田と同じこと言うなぁと腕を組んで壁に凭れた。そんな陰キャっぽく見えるかなと馬鹿なことを思ったりもした。
とりあえず欲を発散するにはこういうとで相手を見つけるのもありかなと思ったのに、出端を挫かれた。
「名取が、こんなとこ来るなんて」
「えー、俺に告ってきた奴が言う?」
「でも、危ないよ!」
危ないって…。ハルはいい加減うんざりしてきた。名取春一という男を、どんな乙女と思っているんだろう。
「もし危険な人とか、今の人はそんな人やなかったけど男同士ってリスク高いし、もし無理やりホテルに連れ込まれても逃げられへんよ。最悪、乱暴される可能性もあるし、もしそんなことなったりしたらどうすんの。俺、ほんまに名取が好きやし、心配で」
「俺のどこが好きなん」
だんだんとイラついてきたとハルは大きく息を吐き出して槇原に聞いた。上辺ばっかり見やがってと思ったが、見せてないのは自分だ。
でもこうして自分の思いの丈を好き勝手ぶつけてくるのは、本当に腹が立つ。
「だって!優しいし、顔も、顔が好きだし…。色々と周りを見て、困ってる人がいたら助けて…!」
槇原の言葉をハルが手で遮って笑い出した。急に笑い出すものだから槇原は困惑してハルを見た。
それ、誰だよ、とんだ聖人君主じゃねぇかと笑いが止まらない。げらげら笑って、一通り笑い終えたのかようやく息の整ったハルは槇原を射るように見た。
その目は本性を隠さないハルの目で、槇原は怯えた顔を見せた。
「それそれ…もう、いいや」
ハルは鞄を漁るとスマホを取り出した。そして少し弄ると槇原の首に正面から腕を回して息がかかる距離まで近づく。
槇原が驚いて一気に顔を赤くしたので、構わずキスをした。初めは驚いていたがすぐにハルを抱きしめて、食らいつくような口づけを返してくる。
抱きしめて、興奮している槇原をドンッとハルは突き放した。
「あ、ごめ…」
「槇原さ、地元ってどこ?この辺?」
「え?あ、いや、俺は学校の近くで」
「ほな、知らんくて当然か」
ハルは槇原にスマホを見せた。そこには、今のハルとは想像つかないような髪色と沢山のピアスをした高校時代のハルと威乃が写っていた。
「え、可愛いね」
「どこ見てんだよ」
「これ…名取?」
「いくらでも出てくるからググれよ、嶌野原高校、名取ってな」
「え、嶌野原高校…」
槇原の顔から血の気が引く。時代錯誤の学校の悪評はやはりどこまでも届いているようだ。
世間は狭いなと名取は笑った。
「知ってる?」
「俺の幼馴染が入学して1日でボコられて、辞めた…」
「ならそのツレに聞いてみろよ。俺は、そこのトップやったから」
槇原がギョッとしてハルを見た。ハルがそれに吹き出して手を伸ばすと、槇原はサッと後退りした。
「卒業できる人間はごく少数。したとしても本職が半グレか、まともな人生を送る奴はおらんってな。それって周りにも問題あるんちゃうって俺は思うわけ。まぁ、でも自業自得やな」
ハルはそう言い捨てると、槇原に背を向け歩き出した。
あれが本心だろう。好きだなんて上辺だけで中身を知って幻滅する。
他人の行動や発言に怒るのは、自分が思い描いていた理想と違うからと聞いたことがある。結局、人は他人に理想を押し付け、それと違うと”そんな人と思わなかった”と言い出す。
自分勝手だけど、自分にも言えることだなとハルは笑った。

翌日、学校へ登校すると少しだけ教室の空気が違うように感じた。ハルは特にそれに気にすることなく席に着くと、授業は始まった。
今日の実習は何だったかなと教科書をペラペラ捲る。あれだけ好きだったエンジンにも興味が湧かなくなってきた。
これがしたかったことなのかなと頬杖をついて考えたが、答えなんて出るわけもなく授業は上の空で頭に入ってこなかった。
休憩時間に着替えて実習へ向かおうと教室を出ると、見た事もない連中が廊下に溜まっていた。邪魔だなと避けて通ろうとすると、肩を掴まれた。
「は?」
「は?だって、こっわー!」
男の一人が大袈裟に言う。太い腕と胸板。鍛えてますよと言わんばかりの身体にフィットした服が気持ち悪い。
「何か用」
「お前、嶌野原のトップやったんやろ」
別の男に言われ、教室の空気が重かった理由はこれかと呆れて息を吐いた。口止めはしなかったがググったら本当に出てきたのかと、言ってみた自分が驚いた。
「だから?いや、ああいうのは高校生まででしょ」
「知ってるか。うちの学校は工業高校出の奴が多いん」
「知らんわ」
「嶌野原にボコボコにされた工業科の奴も多いってこと」
ハルが睨むと男が一瞬、怯んだ。
「闇討ちに注意しろって言ってんのか、ここで叩き潰されたいんか?」
そう言って男の太い首に腕を回すと、ぐっと力を入れた。
「俺は自分の行いの報いは受けなあかんなとは思うけど、やからって無抵抗でやられるつもりはあらへん。やるときはその自慢の腕が再起不能になるんも覚悟しろよ」
囁くように言って腕を離すと、男はハルに目を合わせることはしなかった。クソヘタレがと、男たちの間を抜けて実習室へ行くと槇原と目が合った。
すぐに逸らされたが、まぁ、これが普通だなと思う。

「じゃあ、チーム作って。出来たチームメンバーはホワイトボードに名前書けー」
講師が教室に入って来るや否や、開口一番そう言った。面倒くさがり屋で有名な榎本だ。
チームってなぁと周りを見渡すと、一斉に目をそらされた。
どうすっかなぁと思っていると、ホワイトボードにハルと自分の名前を書く小山田が見えた。
「アホやな、あいつ」
ハルが笑うと小山田の名前の下に、沙奈が名前を書く。その横にハルと飲み会で飲み比べしたクラスメイトが名前を書いた。
「いやいや、このメンツ、最強やん」
小山田が言いながらハルの隣に座ると、ハルと拳を合わせた。
「いや、これで俺も点数気にせずにいける感じだよね」
関東から来ているという伏間が小山田の隣に腰を下ろし、沙奈が何も言わずにハルの隣に少し乱暴に腰を下ろした。
ぷっと膨れている頬を突くと、ムッとした顔をする。
「良き友を持ったってこれよな、俺も」
ハルがフッと笑うと小山田に頭をコツかれた。
「こっからもっと酷なるかもしれへんけど、まぁ、俺らを守ってねダーリン」
「了解」
自分が勝手に悲観して、らしくもない感傷に浸りすぎたなとハルは一人思った。