落花流水

空series spin-off


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「何か用?俺の連れなんだけど」
「ああ!?何だてめー」
顔近づけるなよ、口臭ぇなと眉間に皺を寄せると男の隣に居たもう一人の男が「あれ?」と声を上げた。
「お前、まさか名取春一じゃね?」
「あ?誰やんねん、お前」
見覚えがない顔にハルが舌を鳴らす。なかなか引こうとしない男たちに、沙奈がハルの後ろで子ウサギの様にガクガク震えた。
「水工の井達だよ、お前と秋山にぶっ潰された」
あー、ね。と言いかけて飲み込む。水内工業高校。ハルの学校までとはいかないが、そこそこの悪ガキが揃っていた学校でハルの時代が一番揉め事が多かった。
あまりに日々、因縁をつけられるので威乃と二人で乗り込んで大暴れした、あの…。
「いや、やった奴の名前まで知らん」
自己紹介して喧嘩するわけでもあるまいしと本気で知らないという顔をすると、井達の横の男が吹いた。ドヤ顔で言って知らないと言われれば、まぁそうなるわな。
「っざけんな!女連れてええ気になりよって!忘れたとは言わせへんぞ!!」
井達は真っ赤な顔をしてハルの肩を押した。それに沙奈が小さく悲鳴を上げてポロポロと泣き出した。
「あー、泣いたんちゃう?可哀想ー。ほら、俺が慰めたるしー」
井達の横の男が沙奈に手を伸ばしたので、その手をパンっと叩いた。男はニヤリと笑って舌を出して、そこに刺さったピアスを沙奈に見せた。
ぎゅーっと背中でハルの服を握る手が強くなり、震えが大きくなった。
「お前がやらへんねやったら女置いていけって。3Pとか出来るー?めっちゃ飛べるアメあるし、それ飲んだら天国ーってな!」
ゲラゲラ二人で笑うその前で、ハルは手を後ろにやってポンポンっとあやす様に沙奈を叩いた。
こういうのがあるから、賑やかな場所は避けたかったのに…。昔、好き放題やるだけやって、今から普通になるので過去はなかったことにというのは、やはり手前勝手すぎるかと自嘲した。
暴れるだけ暴れて何の償いもせずに普通になるのでサヨウナラなんて受け入れられるわけがないだろうし、反対にハルがその立場なら受け入れない。
見るからに今もそのまま生きている二人を見ると尚のこと、ハルは昔のまま現在進行形で相手をするしかないということか。
「あー、もうええわ」
ハルはそう言うと何も告げずに井達の腹に一発、拳を入れた。ハルの後ろに居た沙奈も井達の横にいた男も、拳を入れられた井達も一瞬、時が止まった様になった。
井達が腹を押さえて前屈みになったその顔を、ハルは思いっきり上から叩きつけるように殴りつけた。井達は地面に叩きつけられるように倒され昏倒した。
「お、お前!!!」
倒れた井達の顔から血が出て地面を汚す。久々にやると加減が分からんとハルは爪先で井達の顔を小さく蹴ると、ポキッと首を鳴らした。
「お前、誰やっけ」
「はぁ!?」
「お前も水工の奴?正直、誰がどこの人間かなんて分かってやってへんかったからな、俺」
「お、俺は石黒や!」
いや、誰よとハルは頭を掻いた。
「とりあえずさ、こいつ関係ないから逃がしてくれへん?やるなら…ほら、ちょうどええやん。正々堂々、タイマンでいこうや」
「は、ハルくん」
ダメだよと、紗奈がハルを引っ張った。
「おいおい、クロぉ、何やこのザマは」
ハル達の横から声がして沙奈と二人で見ると、10人ほどの男がゾロゾロと歩いてくる。こいつ、仲間呼んだなとハルは石黒を睨みつけた。
「森崎さん!すいません!」
「用意した女はそれか?井達はどないした」
スキンヘッドで眉毛もない。推定体重100キロ超。久々のヘビー級じゃん、しかもブランクありとハルは周りを見た。
「こいつが邪魔してきて!」
「誰や、お前」
「こいつ、嶌野原高校の名取春一ですよ!」
人の名前を勝手に売り込むな…。ハルは思わず項垂れる。こうやって自分の与り知らぬところで名前だけが一人歩きして、本人の意思関係なく有名人になっちゃうんだろうなと思う。
いつまでもいつまでも過去が一人で歩き続ける。厄介で自分ではどうしようもない現実だ。
「嶌野原の名取やと?はー、お前が」
ハルは森崎が前に一歩出た瞬間に石黒の胸倉を掴んで足を掬い上げて、勢いそのまま森崎に投げた。バランスを崩して力の入らない石黒はそのまま森崎に背中から飛び込む形になり、石黒が居た場所が拓けた。
「沙奈!逃げろ!!小山田んとこ戻れ!」
ハルは沙奈の背中を押した。すぐに違う男が沙奈を逃がすまいと森崎の後ろから突っ込んで来たが、その顔に拳を入れてよろめいた顔に肘も入れた。
「は、ハルくん!」
「早く逃げろ!!」
沙奈が迷いながらも走り出した。意外に足が速いとどうでもいい事に関心していると、影が見えすぐに腕を立てた。その腕ごと吹き飛ばされ、ハルは地面に転がった。
さすがヘビー級。拳も重い。目立つ場所での乱闘騒ぎに周りが気が付き始め、悲鳴が上がる。それに森崎が息を吐いた。
「邪魔が入るやんけ。おい、場所変えるぞ」
森崎が言うとハルは両脇を男に抱えられ立たされた。その腕を乱暴に払い退けて、手首を回す。
「よぉ肥えた豚は殴り甲斐あるわ」
ハルがニヤリと笑うと森崎が怒りに顔つきを変えたのが分かった。

酒を飲んでの全力疾走。息が上がり立ち止まると震える手でスマホを取り出した。どうしよう!誰か助けて!沙奈はガタガタと震えながら、スマホを操作した。
「お、小山田くん、伏間くん…!え、け、警察って何番…!」
パニックでそれすらも分からない。ボロボロ泣きながら、誰かに助けを求め様にも誰も彼も人相が悪く見えて声を掛けられない。
「おい!あの女ちゃうんか!」
後ろで声がして振り返ると、沙奈を指差す二人組の男が見えた。
「え!」
追われてる!何で!?沙奈はほつれる足を何とか動かして必死に走った。足音がどんどん近くなる。
これで捕まえればハルに迷惑がかかる!絶対に逃げないと!と思っていると、目に入った店の前に数台の車が止まっていた。
その車に乗り込む男を見て、ブワッと涙が溢れた。
「は、ハルくんの叔父さん!!」
叫んだ沙奈の声に車に乗り込もうとしていた梶原が気が付いた。緊張が緩んで油断した足が蹴躓き、転びそうになったのをヒョイっと受け止められ顔を上げて心拍数が上がる。
顔に傷のあるスキンヘッドの男は沙奈を下ろすと、後ろから追いかけて来ていた男に目をやった。
「渋澤」
梶原が言うと渋澤の近くに居た男達がアスリートかと思う様な速さで、渋澤達に気が付き逃げようとする二人に追いつき、捕まえた。
「ハルとおった子やん」
舎弟に殴られる男達を見せない様に梶原が盾になり、にっこりと柔らかな笑顔を見せる。尋常ではない怯え方に沙奈の肩を叩いた。
「この辺は治安悪いからなぁ。絡まれたんか?もう大丈夫。送っていったるわ」
「待って!あの、向こうでハルくんが捕まって!!ハルくん、殺されちゃう!助けて!」
泣き崩れた沙奈の声に梶原も渋澤も目を見張る。渋澤はすぐに舎弟に声を荒らげて、探せと言ったがその渋澤に梶原が沙奈を押し付けて走り出した。
「え!?あ!兄貴!?」

大人数で喧嘩をしていても警察が動かない場所。人目にもあまりつかないということは…。
梶原が耳を澄ますと怒号と悲鳴が聞こえた。梶原がそこへ飛び込むと、巨漢の森崎がハルを足蹴にした瞬間だった。
周りにも多くの男が転がっているが、もう動くことさえままならないようだ。その真ん中で森崎は顔から血を流し、すでに青紫に変色した目は腫れ上がっている。
だが森崎の足の下にいるハルは丸くなって、微動だにしない。梶原はそれに目の前が真っ赤になるのを感じた。
森崎たちを囲む1番後ろにいた男の肩を叩くと、振り返った顔を容赦無く殴り、驚いて後ずさる男達を次々と殴りつけていく。
風間組幹部であり長年、極道に身を置く梶原の拳は少し喧嘩をしてきましたというような男たちには重く、全員が一撃だった。次々と倒れる男たちの最後に残った森崎は、困惑したまま梶原と対峙した。
「え、なんで…」
ヤクザが出てくるんだという感じだ。さすがの森崎も極道の顔をした梶原に震えた。
「それ、俺のんや。何をしてくれとんねん、クソガキが」
森崎は自分の足の下のハルを恐る恐る見て、まさかという顔をした。洒落にならないことをしたというのが分かったのだろう。
目を泳がせてゆっくりとハルから足を退けたが、その緩んだ腹に梶原は思いっきり前蹴りをした。強い蹴りで滑る様に壁に身体を打ちつけた森崎は尻餅をついた。
ハルの周りには鉄パイプや角棒が落ちている、梶原はそれを拾うと森崎に向かっていった。
「あ、ああ!すい、すいません!すいません!」
森崎は俊敏な動きで土下座をしたが、梶原はその頭に足を置いた。
「謝って済む世界やあらへんの、ワルの端くれなら分かってるやろぉが、ああ?」
ガクガク震える森崎の頭に載せる足に力を入れ、地面に顔を擦り付けさせると手にした鉄パイプで森崎の身体を突いた。
「叩き甲斐のある豚やのぉ」
「す、すいません!すいません!すいません!!」
泣き声の混じる声だが、梶原の怒りは収まらない。このまま殺すかと鉄パイプを掲げると、背中にドンっと何かがぶつかってきた。
「殺すなよ、俺の獲物や」
ハルがそう言ったと同時に渋澤達が駆けつけた。ハルはそれを見ると気を失い、梶原はその身体を受け止めた。

消毒液の匂いに混じって、嗅ぎ慣れた匂いに目を開けないまま頭を動かした。身体が痛む。
久々の大乱闘は効いたなとどうにか目を開け、小さく笑った。見慣れた天井。梶原の家の天井だ。
「またここに帰ってきたか」
ゆっくりと起き上がると同時に部屋のドアが開いて梶原が入ってきた。起き上がるハルを見ると何も言わずに近付いてきて、そのままグッと抱きしめられた。
「マジで…寿命縮まった」
久々の梶原の香りにホッとする自分がいるが、ハルはグッと奥歯を噛み締めて梶原の身体をやんわり押し退けた。
「痛い」
痛くもないのに言うと、梶原が謝ってベッドに腰掛けた。ラフな格好で仕事はどうしたのかと思った。
そもそも今は何時だ?とキョロキョロすると梶原が気が付き、サイドボードに置いたスマホをハルに渡した。
「げ!」
ハルの第一声だ。スマホの画面が割れてる。乱闘の代償がこんなところにきているとはと、傷よりもそれが痛かった。
日付を確認して、結構、時間経ったなと思った。
「あ、沙奈…」
「渋澤が送っていった。家の近くの安全なところまでな」
「そう、ありがとう。え、あいつら殺してないよな」
まさか、そんな事と梶原を見ると酷く冷めた目でハルを見た。
「殺してやりたかったけど、まぁ、灸は据えた。あそこは風間の島やからな。ガキでも勝手は許さん」
「何か、ごめん」
暫く重い沈黙が続いたが、息苦しさが勝りハルは頭を掻いた。こういうのは苦手だ。何を話せばいいのか全くわからない。
「帰るわ」
逃げるが勝ちだろうとベッドから出ようとすると、その身体を押さえられた。
「何で急に俺から逃げる」
「逃げたわけやない…」
「小沢に逢うたからか」
「は?」
何の事だと逡巡して、あの日、偶然、小沢に逢った事を思い出した。
梶原の表情を見て、なぜハルの小沢への気持ちを知っているのかと思ったが、そうだ、自分よりも大人で敏い男がそんな事に気が付かないわけがなかった。
「結婚のこと、誰に聞いた」
「見合いって、あの日…。で、女と居るのも見たし」
梶原は大きく息を吐いて、ハルをギュッと抱きしめてベッドに転がった。
「おい!」
「見合いは片付けてるとこ」
「は?」
「お前がおんのに、そんなん出来るか」
久々の梶原の温もりだと、目の奥が熱くなる。ハルはそれを堪えて、梶原から逃れようと身を捩った。
「そんなん、見合いとか組絡みで簡単ちゃうやろ」
「お前…察しがええなぁ。お前がおるからって言えたらええけど、うちの親父、男同士のナニが無理やねん」
「親父って…」
風間組組長、即ち風間の父親?それは自分達よりも色々と大問題になる可能性のことがあるのでは…?
「龍大さんのことはバレてないけど、バレたらどないなるか。それで俺もてなったら…破門かなぁ」
「破門!?」
「でもお前が手に入るんやったら、それでもええかなって思っちゃってるわけよ。重症やろ、俺」
「いや、アホやん」
「アホやんなぁ。やからさ、お前も腹括ってよ」
コツンと額を合わせられてハルは思わず笑った。いつもどこか余裕のある表情の梶原が、気弱な表情を見せたからだ。
「あんたみたいに手のかかる奴、俺しか面倒見切れへんやろ」
ハルがそういうと梶原が笑って、どちらかともなく唇を合わせた。