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「お、赤魚」
帰宅して早々、梶原は鍋を覗き込みスプーンで出汁を掬いあげ口にする。良い具合に煮詰まった魚に、梶原の腹が早く食べたいと唸った。
帰宅時間が定まらない梶原は面倒だとハルに合鍵を渡していた。ハルはその鍵を貰ったときから、ほぼ毎日梶原の家に通っている。
それを梶原はダメだと言わないし、反対に暖かい手料理にありつけるのをプラスと考えているようだった。それを証拠に食費だと金を貰うようになった。
「うまっ、お前、料理学校行けよ」
「なんでやねん。料理学校なら、アホ威乃が行っとるわ」
「あれは料理学校ってか、お菓子やろ。でも頑張ってはんな。こないだはクッキー貰うた」
シンクに煙草の灰を落として、陽気に喋る梶原を眺めた。
「梶原さんさぁ。もしかして…ホモ?」
突拍子もない質問に、梶原が露骨に顔を歪めた。
「…あ?」
「いや、女っ気あらへんし思うて」
「あのなー」
梶原は大袈裟に息を吐いて冷蔵庫を開けた。ハルが冷やしておいたビールを取り出すと、プルを引っ張りあげる。プシュッといい音がして、それに梶原が嬉しそうな顔をした。
「俺はモテるんやぞ。クラブのお姉ちゃんにもモテモテ!」
「モテモテって言い方がオヤジ」
「黙れ」
「クラブってあれやろ。貴子さんやろ」
「知り合いか?」
「当たり前。何回か柄受け来てもろたか。殺されるか思うたわ」
昔話に思わず笑う。威乃と二人、まさか警察署で木刀で殴られるなんて夢にも思わなかった。
喧嘩での補導だったが、貴子の鉄槌のその傷の方が深く派手についたのが笑える。
「さすがやなぁ。なぁ、枝豆は?枝豆」
冷蔵庫を覗いて、小腹が空いたと子供のように落ち着きがなくなる。ハルはその背中を軽く叩いて、ない!と一蹴した。
「もう出来るから待てよ。なぁ、男に告られたことある?」
「は?お前、なんやねん。さっきから。…え?なに、まさか」
えー、みたいな顔で見られ、ムッとする。悪いけど俺もモテる方だぞと言いかけて、男相手もカウントに入るっけ?と首を傾げた。
「あー、あれ、告られてん。気の迷いちゃうかって言うたけど、俺で抜いたからちゃうらしいわ」
ハルの告白に梶原がぎょっとした。意外に深刻じゃないかと思ったのだろう。冗談を言っていた顔が真顔になった。
「お前、大丈夫か?襲われたり…。いや、あらへんなぁ」
そうだ、こいつ強かったわと梶原は心配するのも馬鹿馬鹿しいとばかりに、またビールを飲み始めた。
「当たり前。腕はだいぶ鈍ってもうてるけど、多分その辺のイキってる奴等には勝てる。それに相手は見た目、威乃みたい。つうか、よぉ似とる」
「ほな、大丈夫か」
何気に失礼と二人して思う。だが威乃は見た目に反して、かなりの暴れん坊だ。槇原は威勢はいいようだが、恐らく腕っ節に自信があるという訳ではなさそうだ。
力づくでどうこうなんて恐らく出来ない。それに出来たとしても腕は鈍っているだろうが、何かあっても勘を取り戻し反撃するのは一瞬だろう。
「そういう、無理やりとかない奴やけど無下に断るんもあれやし、何て言うたらええんやろなぁ」
「意外に優しいな」
梶原が小さく笑った。少し馬鹿にされたような気がして、ハルは唇を尖らした。
「学校で毎日顔合わすんに、やりにくなるやん。やから変に言うたあらへん」
「は?なに?もしかして、俺に相談してんのか?」
「あんたじゃなぁ」
「いや、失礼か。ええやん。そのまんま言うたれ。気持ちはありがたいけどって。そいつかてうまくいくとは思うてへんわ。男同士やぞ?嫌悪感いっぱいで見られへんだけ救いやろ」
「…うん」
梶原の言葉にハルは素直に返事をした。そこに着信を知らせる音が鳴り、梶原はカウンターに置いていたスマホを手にした。
「お疲れ様です。どないしはりました?…はい。明日は9時ごろにお迎えにあがりますが、不都合でも?」
ビールを一口飲んで口寂しいのか、煮魚に伸びてきた手をパシッと叩く。梶原はそんなハルを恨めしそうに見た。
「ほな、また伺う前に連絡入れますね」
通話は呆気なく終わり、ハルは梶原を睨む。それに梶原は眉を上げた。
「なに?」
「今の風間やろ」
「明日のことでな。なんや?」
「俺より年下の風間に敬語使うて、あんたらの世界も大変やな。ヤンキーの世界のが自由やわ」
「元ヤンキーやろ」
ぽんと頭を撫でられ、それを頭を振って払うとまた笑われた。
「歯磨き粉ー!」
風呂場から叫ぶ声にハルはげんなりする。ハルの周りは基本的にダメな人間が多い。幼馴染みの威乃を筆頭に彰信とか。
たまにはこっちが世話してもらいたいものだと思っていた頃に出会った梶原は、ハルよりもだいぶ年上で会社での地位もかなり上。仕事中なんてデキる男を醸し出しているくせに、プライベートはただのおっさんだった。それも手のかかるおっさん。
「ったく、俺、対人運ねぇ」
ハルは廊下にある物置のドアを開けて買い置きの歯磨き粉を出すと、バスルームに向かった。
買い置きを揃えたりするところからして、ダメ人間にしているのは自分自身だということをハルは気が付いてない。
「風呂入りながら歯磨き…」
顔を出して、ギョッとした。腰にタオル一枚巻いた梶原は、いつもは服の下に隠した鍛えあげられた身体を曝し、髭を剃っていた。
筋肉の付いた骨の節だとか、筋だとか、ここまで綺麗に出るものかと思わず見惚れ、徐に手を伸ばし触れた。
「ぎゃ!あほ!ビックリするやろが!」
「タプタプのビール腹やと思った」
「失礼か」
ハルだって数多くの修羅場を潜り抜けただけあって、身体は鍛えてはいる方だ。バイトのガススタも見た目以上に体力が必要で、喧嘩をしなくなった今でもその筋肉が削げ落ちることはない。
だが目の前の梶原の身体は、そのために絞り鍛えあげた肉体美だ。余分な脂肪は一切ない。ソファでごろごろして、ビール片手にスポーツニュースを見ている姿から想像が付かない身体だ。同一人物というのが信じられない。
「あ、これ、刺されたやつ」
その脇腹に走る真新しい傷は、梶原が以前、龍大を庇って刺された傷だ。思ったよりも深い傷だったが、その横の古傷のほうが深かった。
龍大を庇って入院したとき面白そうなので見舞いに同行したが、厳重な監視下にあり逢えず仕舞いだった。
「そうそう」
梶原は何が楽しいのか自分の身体を観察するハルを放って、髭剃りを再開する。
梶原は滅多にダメとは言わない。ハルがどれだけ部屋に入り浸ろうが、荷物を持ち込もうが、それを咎めたりはしない。
さすがデキる男とハルは少し笑って、梶原の脇の下から顔を突っ込んだ。
「うわっ、危ねっ」
向かい合う形で下から顔を出してくるハルを避けるようにして、器用に髭剃りをする。半分剃って半分残すという中途半端さが嫌いなのか、手際よく処理しているのを見上げながら鍛えられた胸元に古傷を見つけた。
「あ、ここも傷ある。なぁ、ケンシロウ?」
「七つもあらへんわ」
「よぉ、死なんかったなぁ」
探せばもっとありそうな傷の数々。ハルは一番深い、脇腹の切り傷を指で撫でた。
「踊り子にお触り禁止」
ぐいっと身体を押され、離れる。髭剃りの終わった梶原は、顔を洗いだした。
脂肪のない背中は梶原が腕を動かす度に、背骨、肩胛骨。そこに付く筋肉が緩やかに動く。ハルはそれを指で撫でた。
「何な、溜まっとるんか。触り方がやらしい」
梶原はタオルで顔を拭きながら、呆れた顔でハルを見下ろした。
「溜まって…んのかなぁ?そういや、ご無沙汰かも」
「なら、小遣いやるからソープでも行って来い。ちゅうか、風邪引く。俺は風呂入るの」
「ソープて…邪魔臭ぇ…。なぁ、男とやったことないの?」
「はぁ?」
いよいよ心底呆れた顔を見せた梶原に、ハルは笑った。
「梶原さんは溜まってへんの?」
「おいおい、大丈夫か?お前」
「よし」
ハルはそう言うと、服を脱ぎだした。
「何?」
「手っ取り早くやろうや。汚れるし風呂でやんの」
「は?やる?……はぁ!?アホか!」
「興味本位。無理ならやめるし」
ハルは服をランドリーに投げ入れ、風呂に先に入ってしまった。
「マジかよ、おいおい」
梶原はクラクラする頭を押さえながら、渋々、風呂に入った。
「若さってこういうを言うんか?」
梶原はシャワーを浴びながら、湯槽に浸かるハルを見下ろした。
「若さ故やろ?あ、挿れんのなしな」
「挿れるか!」
「威乃に言うたりせんし」
「当たり前や」
「風間に言うなよ」
「言うか!ほれ詰めろ。狭いのに」
梶原は疲れた顔でハルを押し退けると、その後ろに浸かった。湯槽から、梶原に押し出されたお湯が飛び出していく。それを掬って、ハルは笑った。
「誰かと風呂とか、ガキん頃以来かも。おとんと」
「お前みたいな愚息を産んだ覚えありません」
「まぁまぁ」
後ろからハルの薄い耳朶を見て、梶原はそれを撫でた。触るとピアスの穴の部分がコリコリしていて、そこを指の腹で押し潰した。
「よくもまぁ、こないにぶすぶす開けれるもんやなぁ」
「一個開けたら次、また次ってもの足りんよぉなるねん」
「痛いわ、そんなん」
「あんた、ヤクザやん」
「アホか、ヤクザは案外小さい痛みに弱かったりすんねん」
「梶原さんだけやろ。ああ、だから刺青あらへんの?」
「刺青?」
「てっきり背中一面に入れとるんかと思った」
虎とか龍とか般若とか。だがあるのは傷ばかりで、ほんの小さな刺青さえもなかった。
「入れたら温泉も行かれへんやん。それに今は入れてる奴の方が少ないで」
「そうなん?」
「お前らクソガキが、あんなファッションなんかにするから」
「えー、関係ないやん」
ハルは笑って梶原に凭れた。
「このまま雑談で流そう作戦やな」
チッと舌打ちが聞こえそうだが、図星だろう。若気の至りに乗っかかるほど若くないよということだ。
「そういうんで俺に勝てる訳ないやん。俺、めっちゃ人の心読めるから」
「仙人か」
「仙人はこんな不埒な事せんやろ。まぁどないしても無理なら…」
「無理…っ!!」
迷うことなく即答!それにハルは噴き出した。
「あははは!…ぷっ、ふふ。…まぁ、無理なら、咥えさして」
「はぁ??」
「あんたは目瞑って、女に尺らしてると思い」
ハルはそう言うと、妖艶に笑った。