落花流水

空series spin-off


- 7 -

「おはようございます」
車に乗り込むと助手席に居た渋澤が小さく頭を下げた。大きな体に窮屈そうだなと梶原は思いながら、にっこりと笑った。
梶原が乗り込んだのを確認してドアを閉めた柴田が運転席に乗り込み、車はゆっくりと動きはじめた。
「今日って、会合に来るん誰やっけ」
渋澤と話ながら昨日の情事が頭に過ぎる。あれから風呂に一緒に入り、他愛無い会話をしながらキスで盛り上がり、もう一回ハルの足に熱を入れ込んだ。
流石に突っこむにはハルの身体の負担を考えて避けたが、それでもハルが嫌がるまで全身舐めまわした。
いや、まだまだイケるね、俺も。そんな冗談を言いながら二人で眠りに落ち、目が覚めると梶原にしがみつくハルが居た。いつもと違って見えたのは色々な気持ちが入り混じってしまったからだろう。
学校まで時間があるというハルを家に残して先に出てきたのだが、名残惜しかったのも正直なところ。
「枯れてへんね、俺も」
「え?」
「いや、何も。そういやぁ、お前、嫁さんどないや」
「そうですね、日進月歩…と言いたいとこですけど、二歩進んで三歩下がることもあるんで」
渋澤はその強面の顔を綻ばせながら言った。それでも幸せだということかと梶原も笑う。
「兄貴には感謝してます。色々と」
「俺は何もしてへん。で、症状は?」
「息子に逢える時と逢われへん時と気分の抑揚があるんですけど、この間、フィナンシェいうお菓子焼いてきてくれまして。普段はムラがあるんですけど、息子が作ってきた物だけは絶対に全部食べるんで」
「何か困ったら言えよ」
梶原が言うと渋澤がまた窮屈そうな場所で、小さく頭を下げた。
「あと、例の件、向こうは乗り気のようです」
渋澤の言った言葉に梶原は一瞬、戸惑った顔を見せた。そもそも忘れていたことだった。
「ほんま?えー、マジかぁ…」
梶原は目頭を押さえて、うーんと唸った。
「兄貴、オールバックやめてから取っ付きやすい言われてるから、それちゃいますか?」
柴田に言われ、髪を触る。箔を付けるために髪を後ろに撫で付けていたが、それなりに効果があったということか。
「何でやめたんですか?俺的には、そっちのが絶対ええと思いますけど」
「鬼塚組の崎山に、禿げますよって言われたもん」
あの顔でスラッと辛辣なことを言う。久々に逢った会合で、廊下で逢った崎山が挨拶もそこそこに放った一言だ。
「崎山ですか。そういえば、崎山は兄貴が拾ったって聞きましたけど」
渋澤に聞かれて、そうやったかなぁと曖昧な返事をする。
「何で鬼塚組にやってもうたんですか?凄腕やて聞きましたけど」
「あの頃は山瀬さんおったし、内部がゴタついてたからなぁ。片付いたら山瀬派一派諸共ごっそりうちに引き抜いたろうって思うてたんやけど、意固地な男やからな。まぁ、頭脳明晰で腕も立つもんやから、オヤジには怒られたけど崎山は鬼塚におるからこそその能力を発揮できてる感じやろ。うちじゃあ、あれだけの男を自由にするだけの場所がない。ええ意味で満員御礼や。優秀な人材ばっかりやからな」
そんなことを言っていると携帯が振動した。見るとハルからのメールで『今日は五目うどん』とだけ書いてある。
今の時間はまだベッドの上だろう。想像するだけで帰りたくなる。
「肉の次の日は腹に優しいもんかぁ」
「何です?」
「いや、こっちの話」
とはいえ部下の息子と同じ歳の子、しかも親友だか幼馴染だかの身体を貪っているのは罪悪感。だがそれよりも何よりも、色々と片付けていかないといけないことが多すぎて…。
それにハルの思い人が誰かも分かったのも複雑なところ。
「大人って、面倒やね」
気が付くと、そう口走っていた。

「ここ最近は、お前の機嫌が悪かったような感じがする。それが一転、ご機嫌や」
小山田が教室でハルの前に座ると開口一番、そう言った。色々とよく見ている男だとハルは首を傾げた。
「まぁ、俺も男の子ですから。色々とあるんですよ、機嫌が悪くなることも良くなることも」
「年上彼女か。昨日はアホみたいに可愛い子とバイクで消えたって専らな噂やけど、あれが年上美人?」
「あほか、幼馴染やし。あれ男やぞ」
可愛いとは良く言われているが、可愛いか?と長年その顔を見慣れたハルは思う。中身を知っているせいもあるが、可愛いと言われて無傷で居た人間もいないので本人も面白くない言葉のはずだ。
そもそも野郎に可愛いとは…?目がでかいのがいいのか?いや、よく虫が入ると喚いているし、目はでかいが目つきが悪い。顔は…普通じゃないのか?
昔からあの顔だから、違和感なんて持ったこともない。罷り間違えても可愛いだなんて思ったことはない。
「そもそも見た目アホほど可愛いんやのうて、中身がアホやしな…」
「何言うてんねん。ちゅうか、明日こそ飲み会に付き合ってもらうからな!」
「は?飲み会とは」
「お前はすぐに逃げるから、強制的にメンバーに入れて店も予約しました!グループ課題合格おめでとうの会や!」
ええ…とハルは顔を顰めた。まさか、課題毎に飲み会するつもりじゃないだろうな。
どうしてこの年代は色々と集いたがるのか。飲み会とか飲み会とか飲み会とか…。枯れてるのは自分なのかと梶原を思い出した。
あの年の人間といるせいかなと思ったが、恐らく梶原は自分にだいぶと合わせてくれている。梶原からすれば馬鹿みたいに子供なのだ、ハルも。

「飲み会?」
当たり前の様に梶原の家で二人で五目うどんを啜りながら、明日の予定を伝えると梶原は大きく頷いた。
「お前も年相応の遊びはするべきやて。飲み会も大変結構。うちの若にも見習ってほしい」
「風間も行ってるやろ、飲み会。威乃がぼやいとる」
「あれはー、飲み会やのうて修行みたいなもん。顔見世の意味もあるけど、俺の修行でもある」
「は?」
「時間を追うごとに機嫌が悪くなる若に、胃が痛くなるからな。もう少しこう、コミュニケーション能力を培うとか。まぁ、酒の味も分からんなかで何も楽しい事はないわな」
「大変やな、あんたらも」
ハルは平らげられた器をシンクに持っていて、ついでにお湯を沸かす。食後はお茶を飲みたがる梶原のためにだが、こういうとこおかんみたいだなと思っていると梶原もキッチンに入ってきた。
「何…」
お茶はまだだぞと言いかけた口を塞がれ、そのまま身体を持ち上げられキッチンに乗せられる。
ハルも梶原の首に腕を回し、その腰に足を回した。口の中を弄られるだけでハルの雄は頭を擡げる。
ほら、やっぱり子供だとハルが思っていると、上着の裾から手が入り込んできた。
「ちょ、ここで?」
「まさか」
梶原は何を言ってるのという顔だが、人の身体を弄繰り回しているので説得力がない。
「明日は浮気せんようにしてもらわんと」
「何を言ってんねん、おっさん」
「ま、俺もまだまだってことやな。器の大きい男になりたい」
そんなことを言いながらハルを軽々と持ち上げると、湯を沸かしていたポットのスイッチを消して寝室へと向かった。

カオスかよとハルは貸し切りの店の惨憺たる状態にげんなりした。前の花見の時もそうだが、飲めや歌えの大騒ぎというよりもカオスだ。
自分の酒のキャパシティーを考えずに、とにかく飲むから顔が赤から青に変わって姿を消す者も居れば酒に潰され爆睡している者も居る。もちろん、無防備で寝ているのでお約束の顔にメイクやらやられたい放題だ。
男が多いから騒ぎ方も異常。喧嘩が起こらないだけマシなのかもしれない。
「飲んでるかー」
隣にドカッとすわってきた小山田は顔色が少し赤いくらいなので、きちんと自分の酒量を分かっているタイプのようだ。
「ここまで酷いって聞いてへん」
「いやいや、これはまだ普通ですよ、少年」
「てか、2次会には行かへんぞ」
「3次会にも来ーへんの」
「2次会に行かへんのにか」
アホかと眼鏡を弾くと、眼鏡が汚れた!と文句を言われた。ふと視線に気が付いて目をやると槇原と目が合った。
すぐに逸らされたが、あれはあれでどうするのが正解なんだと息を吐いた。
「槇原と何かあった?」
「えー?」
言ってもいいものか。小山田は悪い人間ではなさそうだが、こういうセクシャリティのことを易々と話していいかは考えてしまう。
「まぁ、そのうちね」
そんなことを言っていると2次会だーという掛け声が聞こえた。それにハルは、はい、お開きお開きと腰を上げるとベルトループに指を掛けられた。
「何よ」
「行かないのであれば、ミッションだよ春一くん」
「ミッションって…」
何と言いかけて、斜め前で顔を赤くして明らかに酔っぱらっている沙奈を見つけた。小山田はどうしても恋のCupidになりたいらしい。
「天地がひっくり返っても何もないぞ。そもそも、ヨッパに手ぇ出すとか死んでもせん。送り忠犬で無事に帰宅ですわ」
手刀を軽く小山田に当ててハルは立ち上がると沙奈の方へ向かった。沙奈の周りの数少ない女のクラスメイトが、ハルを見てキャアキャア色めきだって沙奈に声を掛ける。
いや、だからそういうんじゃないんでと言うのもバカバカしく、沙奈の隣に腰を下ろすと顔を覗きこんだ。
「ほどよく酔っぱらってんな。送るか?」
「あー、ハル君…。お願い、しまぁーす」
べろべろに酔っぱらっているのか、そのまま床に頭をつけ土下座の様な形でそう言った。
大丈夫か、これ…と呆れながら沙奈の荷物を抱え、ついでに軽い沙奈も支える様に立たせた。
「あ、俺、家知らんわ」
「大丈夫!うち、送るわ!番号交換しよう!」
鼻息荒くクラスメイトに言われ、お前も小山田と同じ穴の狢かと思ったがここで一悶着しても仕方がないとそれを受け入れた。
入口で槇原が何とも言えない顔をしていたが、今はそれに構っている暇はない。酔っぱらった人間、正体を無くした人間は重いのだ。
例え華奢で軽くてもだ。ハルが風間のような体格でもあれば別だが、生憎、ハルは日本人男子の平均的身長と体型だ。上腕二頭筋は人を支えるためでなく、いかに殴った時にダメージを与えれるかで育ててきた。なので、今は全くもって役に立たない。
「靴だけ履かせて」
自分の靴を履くので精一杯で他人の、それも履かせ方が良く分からない女ものの靴を履かせる器量は持ち合わせていない。
靴を履きながらメッセージを確認して沙奈の家の住所を見て、えーっとなる。そこそこ遠いじゃん。
バイクは飲酒運転だしなと項垂れ、電車にこれと乗るのかと遠い道のりを今から思い途方に暮れた。

駅までの道のりは遠い。店のチョイス最悪だなと千鳥足の沙奈を抱える様にして歩く。いっそ、抱きかかえるかと思っていると沙奈が歩を止めた。
「は?何、気持ち悪い?」
「ハル君」
桃色に染まった頬で見上げられ、ヤバいと思ったときにはギューッと抱きつかれた。酒の力って怖いねと他人事の様に思いながら、道のど真ん中でやることじゃないでしょと沙奈を抱えたまま端へと寄った。
「酔っ払いめ」
「好きです!本当に!」
声がでかいわ、どいつもこいつもと思いながら小さな背中をぽんぽんと子供をあやす様に叩いた。
「酔っ払いの言葉は聞かねぇ」
「…ごめんなさい。でも、ハル君…ハル君、好きな人おるん?」
好きな人と言われ、梶原の顔が浮かんだ。好きなのか?と改めて考えると、好きなのか?と更に疑問に思う。
好きってlikeじゃなくlove?いや、なかなかヘビィだな、極道者だぞ?と考えていると大きな目がハルを見上げた。
「もし、チャンスあるなら」
「しー、酔っ払いの話は聞きません。ってか、終電なくなるし送るから今日は大人しく帰れ」
沙奈は高校時代にハルの周りに居たような聞き分けのない女ではない。ハルがそう思った通り、沙奈は申し訳なさそうに小さく頷いた。
「ごめんなさい」
「謝る必要あらへん。ただ…そうやな、俺が言えるんはみんなが思うよりも俺はろくでなしってこと」
「そんな…」
そんなことないよと言いかけたのだろうが、そこまでハルを知っているわけではない沙奈は押し黙った。
こういう綺麗ごとだけ言おうとしないところ、沙奈は本当に賢い子だと思った。そんなことないよと言われたら、じゃあ何を知ってそれを言うのかと聞かれることになる。
そうなると入学してここ数か月の表側しか知らないハルのことを”そんな人じゃない”なんて言えるほど、何かを知っているわけではないと思い知らされることになるうえ、言葉の軽さが露呈することになる。
暴力と暴力と暴力。上に伸し上がるために振るってきた暴力は時に、相手に将来に渡って後遺症が残るものもあった。だが、あの時は喧嘩を売ってくる奴が悪いとそれを正当化して、自分を言い聞かせてきた節がある。
当たり前の”普通”に入り込んで、いかにあの三年間が異常な生活だったのか、あの場所が異常だったのか思い知らされる日々だ。
「帰ろう」
ハルが言うと沙奈が手を出してきた。こういうとこが甘いんだろうなと思うが、ハルは沙奈の小さな手を握ってゆっくりと歩きだした。
しかし見事なまでに裏側は怪しいネオンの光る店ばかりだなとふら付く沙奈の手を握り、ふと目をやると見慣れた車が目に入った。
そういえば、ここ風間の縄張りかと思っていると運転席から見間違い様のない威乃の父親の渋澤が降りてきた。まさかと歩を止めると、後部座席のドアが開けられ梶原が降りてきた。
いつもよりも上品なスーツを着ている。その肩に白い、沙奈の様に小さな、だが爪の先まで綺麗に手入れのされた指がかかり梶原の腕がその手の先にある華奢な肩をそっと抱いた。
すると、とても優艶で美麗な女は梶原を見上げた。その目は先ほどの沙奈と同じ、相手を恋慕う目で長身の梶原が女に合わせて身体を傾け顔を下げた。
その耳に何かを囁き、二人して小さく笑う。それを見たハルは、まるで心臓を鋭利なナイフで一突きされたくらいの衝撃を受けた。
「ハル君?」
いつまでも動こうとしないハルの手を沙奈が引いた。ハルは慌てて沙奈の方を向くと、行こうと駅へと急いだ。
心臓が早鐘を打つ。血管を勢いよく血液が流れて、背中に嫌な汗をかいて意味なく唇が震えた。頭の中では梶原が笑って女も微笑むあの光景が何度も何度もリピートされる。
何にショックを受けているのか分からず、ハルは沙奈と電車に乗り満員電車で沙奈が潰されないようにしながら、自分の意味の分からない心の動揺にどう対応すればいいのか分からなくなっていた。