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社長室と彫り込まれた金のプレートが掲げられた部屋の扉を神木がノックをして入る。それに続いて入ると、部屋の中央に人工芝を敷いてパターの練習をしていた龍一は、カップを睨むように見てゆっくりとアイアンを動かした。
コロコロと転がるゴルフボールは少しだけカーブしたものの、そのまま高い音を鳴らしてカップに吸い込まれた。
「上達したましたね」
神木はそう言うと龍一からアイアンを受け取った。だがもともとこういう類が好きではない龍一は、腕を回しながら肩が凝るとぼやいた。
「座れ」
言われて梶原はソファに腰掛けたが、当然のように渋澤は出入り口で両手を後ろにして門番よろしく構えた。だが神木はそれに気にする素振りも見せずに梶原の隣に腰掛けた。
どうして隣に座る。他にも席があるだろうと少しだけ神木から離れた。
「で、獅龍は?」
「はい。うちの小沢からの報告ですけど、目立った動きはしてへんらしいです。久々に帰国されたんで、あちこち変わりすぎてる言うて回ってるそうです」
獅龍に付いている小沢からの定期報告では、まるで毎日が観光ですと言っていた。確かに街は様変わりしており、獅龍がいた頃の面影はないに等しいかもしれない。
あの性格もあって懐かしむような付き合いのある友人はいなかったものの、そういう場所はあるのか思い立ったように色々と巡っているらしい。今は観光でも何でもいいのでトラブルを起こすことなく日々、楽しんでくれれば良いだけだ。
「問題起こしてへんのやったらええ。あれは…阿呆やさかいな」
そうですねと言うわけにもいかずに黙っていると、神木が”ふふっ”と笑った。獅龍を悪く言ったところで龍一が激昂することはないが、どうせなら殴られてしまえばいいのにと、やはり疲労からかつまらないことを考えた。
「お前、獅龍を佐野に逢わせるんはどない思う」
「は?佐野って、いや、それはちょっと…」
「佐野って、鬼塚組の佐野ですか?」
神木が口を挟んできて龍一は頷いた。だが梶原は急にどうしてそこかな!?と目眩を覚えた。つい先日、それが育てた男と獅龍が一悶着あったばかりだ。
心よりは聞き分けが良いかもしれないが、逢ったところでプラスになるとは到底考えられない。獅龍の鬼塚組に対する印象は地に落ちていて、そのままの態度で彪鷹に逢ったとして彪鷹がそれをどう捉えるか。
いや、ろくなことにならないのが目に見えている。
「あまりうるさくは言いたくはないですけど、心の首を取れと言わんばかりの先日のあれがあるんで獅龍さんからしたら鬼塚の位置付けは傘下組織やのうて、ただの敵です。その大将に近い男に逢ったとてしても良い転がり方をするとは思えません。そもそも佐野やのうても鬼塚組の連中は普通やあらへんし」
「心をどうこう、ワシも現実的やないんはわかっとる。とはいえ向こう水なとこがあるやろ、獅龍は。あれに牙向けて根性治してもらうんもありやろう」
「いや、前も言いましたけど、根性の前に命取られますわ」
ちょっとしたお試しに使えるような男ではない。もし獅龍が再び心に噛みつけば、心の中で確実に敵の位置付けになる。そうなれば間違いなく獅龍を殺りにくるわけで、現実そうなったとしても「つい、うっかり」と平気で言ってのけるのが心だ。
とは言え、獅龍が心から拳を喰らったことを自分の態度のせいだと改めるわけもなく、これはどっちに転んでも地獄だなと梶原は息を吐いた。
「そういうことがあらへんように、心に噛み付く前に佐野にナシつけとくのもありじゃねぇか」
「では、それは自分がします。佐野もああ見えて心の親ですから、いきなり獅龍さんと逢わすのはリスクがあるかと思います」
「リスクか」
「それより」
梶原は横に座る神木に視線を送る。神木はそれに応えるように微笑んだが梶原はそれを一瞥して龍一を見据えた。
「曽根崎組がやられた話は聞きましたか?」
「ああ、何ぞシャブでとち狂った阿呆がやったいうてな」
「曽根崎ではシャブが蔓延してたいうて聞きましたけど」
「そうですね」
神木はあっさりと認めた。それに梶原が睨みを利かすと神木は眉を上げた。
「僕がいたころにシャブやヘロイン、大麻もですけど良い金儲けになるって野上の舎弟が持ち込んできたんです。僕はちょうど上海に出てていなかったんですけど、僕の部下がそれを聞いて慌てて連絡してきて。でも、僕は何か出来るような器量はないんで伝手を使って風間組長に直伝に。本当はもう数日で曽根崎にも風間がカチコミかける予定だったんですけど」
「あ?俺はそんなん知らんぞ」
「ええ、ええ。梶原さんは獅龍さんのことに集中してもらった方がと思ってたんで、事後連絡になって申し訳ないです。でもこっちが動いてることに気が付かれたのか、内部で騒動が起こったみたいで。僕は曽根崎に入ってそんな間がないんですけど、部下も殺されて…」
「お前っ!」
この狐が!と声を荒らげそうになったが、それをぐっと耐えた。ここで激昂すれば、この男の思う壺のような気がしたのだ。
「こいつもまさか身内でそんな騒動起こすなんて思うてへんかったみたいでな、九州で知らせ受けたときはゲロ吐いてたわ」
「すいません、あまりの惨状に。情けないです」
くそ、話にならんと拳を握る。
「ですけど親父、曽根崎に身を置いてた人間としてシロやて証拠はないでしょ」
「内紛にこいつが関わってる言いたいんか?」
「タイミング良すぎやしませんか?カチコミかける寸前であない派手なことしますか?」
「え?僕がリークしたと?」
「そもそもお前がヤクの売買に関わってないいう証拠あらへんやろ」
「あー。そこですか」
確かにそうだなーと神木は顎に手を置いた。まるで考えてもみませんでしたと言わんばかりの顔を見せるが、梶原にはペテン師のそれにしか見えなかった。
「曽根崎がどうヤクを捌いてたか資料ももろた、おかしな点はあらへんかった。お前にもそれを渡すためにやな…」
龍一が後ろのデスクを振り返ると神木がすっと立ち上がり、デスクの上に置いた封筒を手にすると梶原に差し出した。
「隅から隅までどうぞ。おかしな点があれば徹底的に調べてください。僕が気が付かない何かがあるかもしれない。知らず知らず、身内目線になっているかもしれないですから。ご不明点は何でも聞いてください」
申し訳なさそうな顔で言うそれがさらに腹立たしい。どこをどう探り上げてもおかしな点なんて何もないような、付け入る隙なんで全くないもののはずだ。梶原は書類を乱暴に受け取ると、それを後ろの渋澤に差し出した。渋澤はそれを手にしてまた定位置の場所に戻った。
「とりあえずお前はその資料の解析と、あとは龍大と獅龍をどうにせぇ。佐野に連絡を取って獅龍のことナシつけとけ。この間みたいに腹に一発で済まんかもしらんしな」
「佐野から忠告したところで心がどう動くかは保証はありませんけど」
構わんと龍一は言うだけだった。正直なところ、龍一にも分からないのだろう。心以上に自由気ままで得手勝手な男は、時に誰もが予測し得なかった行動に出る時がある。
幸いなことに面倒を嫌うところがあるので、自分から何かを起こすことはまずない。だが起こした時は派手で、そのケツを拭くのが自分になることだけは避けたいと梶原は思った。
「組長、僕も逢ってみたいです。鬼塚組組長と若頭。噂でしか知りませんから」
逢って殺されてしまえと心の中でほくそ笑む。この男、何かあるにしてもないにしても、鬼塚組の面々が嫌うタイプの人間だ。
「逢うたことあらへんのか」
「ええ、曽根崎は総会に出れるほどの器量ではなかったので」
「そのうち総会でも会えるやろう。あの組の連中は出不精でな。総会でもないと会えん。ああ、そうや梶原、儂は当分、こいつに仕事を振る」
「は?何を…」
思ってもない言葉に梶原も渋澤も顔を上げた。神木だけが満足したように笑みを溢したが寝耳に水の梶原は蛾眉を顰めた。
「佐野への件と曽根崎の件、お前は手一杯やろ。それよりも獅龍と龍大の方もどないかせんとな」
「いや、ですけど親父」
「神木に仕事覚えさす機会にもなるしな。顔売るにせよ、お前の手間も減るやろ」
「待ってください!こいつはっ!」
「梶原、壬生との一件の始末、忘れたわけやあらへんやろうな」
風間に言われ梶原はグッと息を詰めた。
「見合いはしたくねぇ、姐はいらねぇ、てめぇの我儘の代わりにどんな状態でも動くいうて言ったんやろうが」
壬生とは梶原に来ていた縁談の話だ。向こうも乗り気で放っておけば纏まる縁談だったが、家庭を持つ気はないと押し通しそれを断った。
言うなれば、この年になって男のハルを取ったのだ。手放す気も逃す気も、かと言って妾のような扱いをする気は毛頭なく、その気になっていた壬生の娘に頭を下げた。
風間が直々に受けた縁談を右腕と呼ばれる梶原が蹴った。流石に立場も危うくなるかと思ったが大したお咎めもなく、まさか今になってそのツケを払うことになるとは。
「ったく、てめぇも何で今更…。まぁええ、龍大との話もまとめていかんとな」
更に放たれた言葉には渋澤もギョッとした顔をした。義理の息子とはいえ、可愛がっている威乃の相手の話だ。冷静さに欠けても仕方がない。
「いや、龍大さんはまだ未成年。組のことに集中させてやらんと」
「女くらい、何人おってもええやろ。世帯持って組員安心させたれるんも後継の務めや」
「眞澄や明神の前にですか?焦っとると思われませんか」
「眞澄はともかく、万里は婚約者かなんぞおったやろ。地盤固めとる証拠や」
「地盤ですか」
まだ18になったばかりの龍大にそれはあまりに早急だ。しかも龍大に直接、話をつけると言い出すとそれは非常に拙い。
龍大は威乃のことになると一切、周りが見えなくなる。その龍大に見合いだなんだと言えば、何を口走るか分かったものではない。龍一は心の恋人が男だというのも矛を納めてはいるものの納得をしているわけではない。ただの気紛れだと完全に思っている。
それに加えても龍大もとなると、内紛どころの騒ぎではなくなる。
「このご時世や。裏稼業はどんどんやり難くなっていく。外に目を向けるときでもあるやろ。そのための神木や」
「こいつが?」
「多くはありませんが、少しづつ中国や韓国の方へ商売を広げる段取りを」
聞いてねぇしと梶原は鼻で笑った。つい先日、来生との騒動が終わったばかりでまた海外かと。それはあまりにも時期尚早にも思えたが何を言っても今は無駄かと頷いた。
「龍大の、不都合でもあるんか」
「いえ、まぁ、龍大さんは女遊びはあまり好かんようなんで」
「梶原ぁ、菖蒲を戻してもええんやぞ」
迷いの見える梶原に龍一から、また手札のように名前が出る。それは更に拙いと梶原は両膝に手を置いて頭を下げた。
「いや、わかりました。龍大さんにも、その件はそれとなく話しておきます」
部屋を出て廊下を歩きながら叫びたい騒動に駆られた。八方塞がりじゃねぇかと舌を鳴らす。龍大にそれとなく女っ気のあるとこを見せなければ、間違いなく菖蒲が連れ戻される。
龍一が菖蒲にした仕打ちを考えれば得策ではなく、阻止せねばならないこととはいえ龍大にどう言おうか…。
「兄貴、何で自分のこと組長に言わんかったんですか」
苛立つ梶原に言う渋澤を振り返った。
「路と知り合いやったってか?お前、そんなことしてみろ、こんな資料用意してるような男やぞ。お前なんぞ一瞬で路のお仲間に加えられて、それが真実みたいに動き出すぞ」
「すんません。出娑張りました。しかしあの男、ほんまに何者なんでしょうか」
「それを探るために、とりあえず鬼塚組や。神木の資料、集めるだけ集めとけ。情報収集はあいつらのが得意や」
「うっさんくっさい顔!」
彪鷹の第一声に隣にいた舎弟の千虎が覗き込んで「本当ですねー。でも美人ですよ」と軽い口調で話す。この男、話には聞いていたが本当に組に入ったのかと梶原は思った。
また個性豊かな人間が増えたなと呆れはするが、羨ましくも思う。少人数の構成員でありながら規模だけは莫大。入れる人間の選抜は厳しくスカウトがほとんど。
今回のように心自身が拾ってくるのは稀ではあるが、戦争を仕掛けられても裏には計り知れない力を持つ組とは関係のない人間を抱える。理想的な組だ。
「神木 古都羽。曽根崎の残党や」
「残党が何で鬼塚組に入り込めちゃってるんですか?ガバナンス、ガバガバじゃない?」
チクリと嫌味を言いながら彪鷹から資料を受け取った崎山は、流すように目を通してテーブルに置いた。
「見ぃひんの?」
「どうして対象相手が作成した資料を見ないといけないんですか?自分で集めた物じゃないと意味ないでしょ」
その通りとはいえ、チクチク言葉が刺さるなぁと梶原は苦笑いをする。
「ほんで、誰?獅龍やっけ」
彪鷹が名前は聞いたことあるかもと言う。
「お前は逢ったことあらへんやろ。組に関わる前に”おいた”して向こうにやられてもうたからな」
「聞いてると、聞かん坊みたいやな」
「聞かん坊どころか、出来ひんことなんかあらへんと思うとる。更には癇癪持ちや。昔っから駄々捏ねだしたら手ぇつけられへん。姐さんも手ぇ焼いてたわ」
「やからしばいて正解やんけ。教育的指導や」
部屋に現れた心はそう言うと、空いているソファにどかッと腰をかけた。いや、どういう理屈よと梶原は嘆息する。そもそも獅龍の方が年上だ。
「心、こいつ」
写真を手渡されると心は興味がないのか一緒に来た相馬に写真を手渡した。
「曽根崎組というと、先日、派手な事件を起こしてましたね」
「そうそう、手元もおぼつかないジャンキーが組員殺して事務所に火ぃつけたっていうやつな。もしそれが出来たとしたら、映画みたいな数時間だけスーパーパワー身につけたようなヤクでも摂取せな無理やわ」
「容疑者とお知り合いで?」
「お知り合いも何も、俺の舎弟の馴染みでな。その前日に俺も逢ったわ。完全な中毒者になってもうて、そんなこと出来るような力も根性も微塵も残ってなかったな」
「他に誰かがいるということですか」
聡い男との会話はラクだ。梶原は肩を落としてソファの背もたれに身を預けた。
「正直、組内部もよぉない空気が流れとる。何でとか、どういうとかは言われへんけど、雰囲気や。それに加えてその得体のしれへん男。何を目論んでんのか。ぶっちゃけ、その男に関して言えば手詰まりや」
「それでわざわざ。この神木という男を調べろということですね」
「できるか」
「出来ないこともありませんが、そちらでも調べていての結果がそれであれば骨の折れることでしょうね。1週間後に返事をくれと言われたとしたら、無理ですね」
「そんな急いでるわけやない。いや、急いで欲しいのはあるけど、事情はわかる。あとな、本題はこっちやねんけど、お前、本家に来てよ」
急に振られて彪鷹がギョッとして首を振った。
「え?俺?なんで?いやや」
いややて…。いや、でも気持ちは分かるけど、でも、そうですかと受け入れれるわけもない。
「オヤジがな、獅龍に逢うてくれって」
「始末すんの?」
心が間髪を入れずに言うので梶原が「なんで!」と呆れて言った。