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「何で俺がわざわざこっちに来なあかんねん!」
廊下で叫ぶ獅龍を宥めるように舎弟が頭を下げる。呼びつけられたことが気に入らないのか獅龍は癇癪を起こして壁を蹴飛ばした。
それに気が付いて梶原がドアを開けると、舎弟が安堵の表情を浮かべた。
「獅龍さん、暴れんといてください」
「秀治!朝からコイツが何で来るねん!迎えやったらお前やろうが!」
それで機嫌が悪いのかと半ば呆れて額を掻いた。年頃の割に大人びている龍大やハルを相手にしているせいか、獅龍の幼さが余計に目についてしまう。
「とりあえず、こちらへ」
何やねんと文句を言いながら部屋に入った獅龍は部屋の中央のリビングセットのソファに座る男に一瞬、怯んだように半歩下がった。
ソファに座る彪鷹は手を挙げて「どーも」と言う。さすがに彪鷹の持つただならぬ雰囲気に気が付いたのか、声を荒らげることはせずに梶原を見た。
「鬼塚組の佐野でーす」
悪ふざけのように言う彪鷹を軽く睨んで、兎にも角にも獅龍に座るように促した。獅龍は舌を鳴らすと乱暴に彪鷹の前に腰掛けた。噂通りなのか想像通りなのか牙を剥き出したままの獅龍に彪鷹はにっこりと笑ってサングラスを外すと、近くに立つ千虎に渡した。
その顔を横目に見て獅龍が「は?」と小さく声を出した。
「最近、逢った奴にめっちゃ似てるって思ったかもやけど、赤の他人やからね、俺は」
「はっ!ドッペルゲンガーかよ」
「え?やだ、そういうの信じてるタイプ?可愛ええやん」
彪鷹のそれに思わず千虎が吹き出し、梶原が笑いを堪えた。
「ああ!?喧嘩売ってんのか!?」
流石に頭に来たのか目の前の上等なテーブルを蹴飛ばしたが、風間組の調度品はどれも実用性のない形だけの重厚なものしかないので、やはりそれはびくりともしなかった。
「うんうん、元気いっぱい。俺は鬼塚組の若頭、佐野彪鷹。あんたはー、今は肩書きなしの坊ちゃんか」
「てめぇ、ほんまに殺すぞ」
「いや、そんなおっかない。今日はね、うちの組長の非礼を一応、詫びにね」
にっこりと笑うと獅龍が奥歯を噛み締める音が隣に座る梶原にも聞こえた。煽るなぁと思いながら、これくらいはしてもらわないとなぁと獅龍の苛立ちに気が付かないフリをした。
「詫びってなんや。指の一本でも持たせたんか」
「獅龍さん」
「手ぶらで詫びなんぞ、そないなもん何の効力もあらへん。言葉だけやったらなんぞでも言えるやろうが!」
「確かに!」
彪鷹はパンっと手を合わせた。
「でも、指ですか。聞いたところ、腹パン1発ですよね?ちゃう?えー?うちの組長の拳、そんな効きました?」
組長なんて絶対に言わないのに、この状況を楽しんでるなと梶原は呆れた。だが獅龍のほぼないと言っても過言でない堪忍袋の緒が切れ、ポケットからバタフライナイフを取り出すと彪鷹に刃先を向けた。
「獅龍さん」
「ぶっ殺すぞ、てめぇ。さっきからふざけたことばっかり言いよって、クソが」
すっと千虎が彪鷹から少し離れたのが合図かのように、彪鷹は小さく笑うと獅龍のナイフを持つ手を素早く取ると、内側に手首を曲げ反対側の肩を取るとそのままテーブルに引き倒した。
あっという間の出来事で梶原も呆気に取られたくらいだ。
「子供に高過ぎる玩具を与えても使いこなされへん」
落ちたナイフを拾った彪鷹はそれを器用に手で弄ぶ。テーブルの上で暴れる獅龍は彪鷹の片腕と足だけで抑えられていて、身動きが取れない。
きちんと稽古を受けてない獅龍が彪鷹のそれに敵うはずもなく、暴れれば暴れるほど疲れるだけだった。それに獣のように声を上げるが、彪鷹は困ったように笑うだけだった。
「龍大の方が聞き分けのある子やな」
「Asshole!!黙れ!クソ野郎!」
「ん?ああ、海外に長いこといたんか」
「damn it!!mother fucker!!fuck!!クソ!離せ!!」
拘束からもがいて抜いた腕を後ろ側に振り、彪鷹に手を伸ばすがそれを彪鷹はナイフを逆手にして弾いた。
「fワード連呼すんなて。まだ自分の立場がわかってへんな。本戦なら今のでお前の腕の神経を削いだ」
言うと、獅龍の首を後ろから掴み上体を持ち上げるとナイフの柄で心臓を叩く。
「はい、心臓。胸骨の隙間はここね。ザクっと」
クソっと手を払い退けて足をバタつかそうとすると、彪鷹がその足の付け根をナイフで撫でた。
「はい、両足の神経切断。ちなみに今の場所には動脈があるので出血が止まりません。腕の神経は切られているんで、この腕は使えんから、このまま肺を一突き」
肺を横から殴られ息が止まり顔を顰めた。そしてガンっと獅龍の頭を押さえつけると、その顔のすぐ横にナイフの刃先を向けた。目の前にナイフが光り、その向こうには頬杖をつく梶原が見えた。
「助けてー、って言えば?」
耳元で囁かれて彪鷹を睨みつける。
「その負けん気だけは評価に値するけど、あとはマイナスやな。今のでお前、2回死んでるし」
すっと獅龍の拘束を取るとナイフを力一杯、壁に投げた。ナイフは綺麗に壁に刺さり、彪鷹は満足したようにソファに戻ると同時に獅龍はダンっと立ち上がり、彪鷹を見下ろした。
「今、あんたは無傷や。血も何もない。ちょっと身体痛いかもやけど、それ以外は全然大丈夫やろ」
「ああ!?」
「これが心なら、お前、死んでんぞ。冗談抜きで心は俺がした今のことを実行する。俺よりもやり方はエグい」
「何やと?」
「癇癪持ちの男を相手にするほど、あいつは大らかな心持ってへん。そもそもやかましいんが好かん男や。今、お前がしてきた暴言を心にした時点で死ぬ。あいつは喧嘩売ってきた時点で命取られても仕方ないやろっていう王様スタイル。かなり周りは迷惑」
「そんなもん、俺が殺られるて決まってへんやろ!」
「いやいやいや、坊ちゃん。あんた、人殺ったことあらへんやろ」
彪鷹の言葉に獅龍が言葉に詰まった。梶原はただソファに座り二人のやり取りを静観しているだけで、口を挟まない。
獅龍が梶原に視線を向けても、梶原は獅龍と目を合わそうともしなかった。
「その点、躊躇がないんが心や。とはいえ、後先考えんと殺っちゃったりして始末に困る時はあるけど、でも、アホやない」
「俺が、アホや言うんか!」
「親父に言われて心に喧嘩売ろうとしてる時点でアホや。仁流会で本気であれに喧嘩売るんはただのアホや。仲が悪い鬼頭や明神でも喧嘩は売らん。本気のな」
「何や、何や、怖いからお前が来ただけやろうが!俺が動いて親父が出てきてもうたら、お前らお終いやもんな!」
「パパー、あの子、むかつくーってか。お前、何でも親父頼みか。マイナス10点」
「この野郎!!」
「次、俺に手ぇ出したら殺す」
テーブルを乗り越えようとした獅龍に彪鷹は低い声で言った。獅龍はそれを聞くと大きく叫び、テーブルを蹴り上げた。
「短気と癇癪はちゃうで。お前のは自分の思う通りにならんで喚いてるヒス女と一緒やな」
「てめぇ!!」
「俺に触る時は死ぬ覚悟でな」
手を出そうとした時に凄んで言われ、獅龍が留まった。だが血管ははち切れそうで呼吸も荒い。どうにもならないことに対するストレスが爆発寸前なのか、次の瞬間には大声で叫んで彪鷹に背を向けると千虎にぶつかって乱暴にドアを開けて部屋を出ていった。
「いった、こっわ」
千虎が言うと梶原は肩を落とした。
「手ぇのつけられへん子でな」
「うちに預けたらええねん。ええ子にしたるわ」
「いや、それ生きて帰ってこられへんやん。ほんま、困った子や」
「でも、引くところは引いてましたよ?」
千虎は壁に向かうと刺さったナイフを抜いて梶原に渡した。
「あそこまで身体が前に出ても、殺すと言われて引きました。本当に手が付けられない子は彪鷹さんに掴みかかって、彪鷹さんも殺しにかかって、そうなったら梶原さんも動かざるを得ない。それを一応、させませんでしたよ。まだ我慢出来る子じゃないっすか?」
「千虎は甘い。冷静に話は出来てへんからマイナス」
「俺、見てて思ったんですけど、彪鷹さんに押さえつけられたとき梶原さんに助けてほしかったんじゃないですか?」
「え?何で」
「ナイフを向けられた時も、今、部屋を出る時も梶原さんを見てましたよ。彼、早いこと海外にやられてたんでしょ?寂しいんじゃないのかなぁ」
「いや、親離れしてよ。いくつよ」
彪鷹は呆れたように言ったが、確かに多感な時期に組は抗争でゴタついていた上に、母親は長期入院の挙句の別居。父親の龍一が構うこともなく、家業のこともあり友達と呼べる人間もいなかった。
だが、境遇で言えば龍大は全く同じだ。龍大に至っては獅龍よりもまだ子供で、母親の存在がまだまだ必要な時期だった。
「甘えかぁー」
「子育てって難しいよ?」
経験者のように言うが、彪鷹は心を育て上げている。なので、やはり梶原は唸ることしかできなかった。
『どへんした。お前から連絡くるとかおっかないな』
「佐野彪鷹、あれ、なんや」
部屋に戻って早々に眞澄に連絡をした獅龍の開口一番がこれだった。眞澄は電話口で煙草を咥えると、なぜ急に佐野?と逡巡した。
「知らんのか!?知ってんのか!どっちやねん!」
『我鳴るな、やかましい。佐野は心の親父や』
「ああ!?なめてんのか!な訳ないやろうが!」
『似てるやろ』
「はぁ!?そもそも年が合わんやんけ…」
『まぁ、生物学上で言うたら赤の他人さんやけどな。心を育て上げた”養父”やな。心の旧姓は佐野 心やからな』
「佐野、心…」
『先代組長は我が子を手元に置いとくことはせんかったらしい。親父から聞いた話やと本人らが対面したんも片手で足りるほどや。最後に逢うたんは病院の霊安室らしいからな』
何の返事もない獅龍に眞澄が『聞いてんのか』と言っていたが、獅龍は何も言わず通話を切った。
鬼塚組には姐がいない。先代組長が生涯独身だったせいで急逝したときは後継者で大揉めになったと聞いた。ところが出自不明の心が現れ、強引とも取れる手法で組長に。
それとなく古参の組員に聞いたが、心の母親が誰なのかどこにいるのか流石に誰も知らなかった。その心の父親としてあの男が?そもそもあの男はどこにいた?元々鬼塚組に居たのか?
珍しく大人しくしている獅龍の様子を伺うようにして舎弟が「あの…」と声を掛けてきた。
「あ、なんや」
「はい、この間の奴、誰かわかりました。あのガススタにおる名取の兄貴です。名前は名取夏色。名取春一は龍大さんの先輩でして…」
「ああ、何か聞いたな。渋澤が言うてた奴か。渋澤の息子の連れやったか」
「はい、あのガススタの男とは渋澤の兄貴の息子が昔からの付き合いで、そのまま若が入学した学校へ。名取夏色はそこの卒業生です。年齢的に被ってはないんで若とは面識はありません。それで名取夏色ですけど、これがちょっと厄介で。海外で傭兵になっとるようです」
「Huh,mercenary…?」
英語の分からない男は愛想笑いをする。それに手元にあった煙草の箱を投げつけた。
「渋澤の息子は」
「はい、今は製菓学校へ通うてます」
「製菓?」
「あの、ケーキや菓子作る」
ケーキと聞いて獅龍の顳顬が痙攣した。遠い昔、母親がよくケーキやクッキーを作っていて、獅龍はそれが大好きだった。黙り込む獅龍に舎弟が「あの?」と言うと、獅龍は指を動かして続けろと言った。
「その、製菓学校に通うてますけど若の家によぉ行ってるようです。若がまだ学校に通うてるときに梶原の兄貴と名取も知り合ったみたいで、その流れであのガススタも贔屓にしてるみたいです」
「はぁ?そんな深い間柄なんか?渋澤の息子はともかく、堅気やろ、名取は」
「ああ、はい。やけど若のマンションには梶原の兄貴もよぉ出入りしてまして、そこに名取も行くこともあるみたいで」
「秀治が?どういうことや」
「はい、事の発端は渋澤の息子の母親、渋澤の兄貴の今の嫁ですけど、これがヤクザの男に騙されてヤク漬けで売りさせられてたらしいですわ。それを梶原の兄貴と龍大さんでナシつけたみたいで…」
「龍大が?あいつ、最近やろ、組で仕事しだしたん」
「そうです。まだ高校生の頃の話です。せやから表向きは梶原の兄貴主体で動いてたんで、俺らは知らんのですけど鬼塚組も少し関わってたいうて話は聞いてます」
鬼塚組、名前を聞くだけで腹にもうないはずの痛みが蘇る。いきなり腹を一発くれた男の組だ。だがあの龍大がそこまでするのか?先輩一人に?獅龍は器用にナイフを手で弄びながら考えに耽った。
久々に逢ったが昔とあまり変わらないようだった。感情の乏しい面白みのない男で身体だけが大きくなったような感じだ。離れた頃はまだ幼かったが、罷り間違えても誰かのために何かを言われて、頼まれて動くような男ではない。そこだけは兄弟共通である。しかも龍一の命令でもなく…?
「おい、龍大の周りもっと探れ。その渋澤の息子との関係を特にな。ああ、そういやぁ渋澤の犬がこっちきてたな」
「小沢ですか?今、外出とりますけど」
「帰ってから話聞こかぁ」
獅龍はバタフライナイフをクルクル回すと、パチンと音を鳴らして手の中に収めた。
帰国してもどうせつまらないだけだと思っていたが、そうでもないらしい。色々と様変わりしたなかに面白い種があるようだ。
獅龍は先程まで抱えていた苛立ちが消えたような気がして、ソファに寝転がると目を閉じた。