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いつもよりも重苦しい空気の中、報告会が始まった。まるで先行きを暗示していたかのような雨は一層、強くなり、どす黒い重い布団のような雲が地上に迫る勢いで下がってくる。
風間組総本部の会議室で、龍一は上座から直系組長の顔を見ると頷いた。
「それでは報告会を執り行います。初めての方も多いかと思いますが、この度、ファシリテーター兼プレゼンテーター務めさせていただきます神木と申します。何卒よろしくお願いします」
小さく頭を下げ微笑んだ神木を訝しむ組長等は否定も肯定もせず、渋々という感じで受け入れた。神木は”それでは”と風間の隣の席に腰を下ろした。
龍一の隣に神木。その隣に龍大と梶原。反対隣には獅龍が踏ん反り返る。
定例会でもある報告会に新参者で他所の子飼いであった神木と長らく放逐されていた獅龍が事前に何の説明もなく至極、当たり前のようにいることを面白く思わない連中も多いだろう。
乱暴なんだよな、そういうところと梶原は気怠げに肩を落とした。
「それでは早速ですが報告会前に提出していただきました昨今の上納金を見ますと、ご時世とはいえ如何せん少額であると思われます」
神木の言葉に大人しく座っていた組長連中の顔色がスッと変わった。梶原はマジかよと、あんぐりと口を開けた。
開始早々、爆弾落としてどうするんだ。
「今回、組織改革といたしまして直系組管轄の島の状況を把握すべく、調査させていただきました」
「ああ!?何を言うとるねん!調査やと!?」
流石にそうなるよねーと梶原も呆れて背凭れに背を預けた。これ、長くなるわと午後からの予定変更を頭の中で組み立てた。
「ええ、えーっと、当会興産 茂木組長ですね。初めまして」
タブレットを操作して神木が今にも噛み付かん勢いの茂木に呑気に挨拶をした。
「調査ってどういうことや!?お前、曽根崎組の組員やった男やろうが!?いきなりしゃしゃり出て来て何を眠たいこと言うとんねん!?」
「因みに当会興産は上納金率が80.65%となっていますね。足りません」
「はぁ!?」
茂木の気迫を全く意に介さず神木は続けた。
「茂木組長個人でお持ちの5丁目のビルですが、6階建ての上層2階、お貸ししているようですが相場から、かなり安い賃料と見受けられます。色々とお付き合いのある方なのでしょうが風間組直系名乗る以上、気を引き締めていただきたいですね」
おいおい、言うね。
茂木のビルの上層階を使っているのは愛人の女だ。これは風間組直系であれば周知のことで、極道とはいえ人のプライベートに入り込むのは感心しないなと思っていると茂木が声にならない声を上げてテーブルに身体を上げて神木に手を伸ばそうとした。
だがその隣にいる龍一が睨みつけると、ギリギリと歯を鳴らしてテーブルを叩いて席についた。
「わかっていただけたようで助かります。このように実際には達成できるところを甘んじている、そのようなことに心当たりがある方は今一度、引き締めていただきたい。組の結束なくして成長はしませんので」
いや、どこのブラック企業のフレーズよと梶原は吹き出しそうになり顔を背けた。茂木もそうだ。毎回、上納金が未達成だったわけではない。
今回は若い組員が運悪く喧嘩でしょっ引かれ、その組員が経営を任されていた風俗店にガサ入れまで入り挙句、営業停止を喰らったのだ。それを甘んじているなんて言葉で片付けるのはどうかと思う。
「仁流会は日進月歩で進化をしている最中です。その中でも風間組の成長は各々方にかかってると言っても過言ではございません」
にっこりと、言葉に合わないような笑顔を向けるが、梶原にはそれが所得顔に見えた。黙っていれば稀男とも呼べるような容姿の整った男で、この世界ではモテそうな顔だ。
だが梶原には蟲惑的な部分が見え、神木の魅力は全く毛ほども感じない。恐らく、部屋にいる全員の印象が梶原と同じだろう。世の中の裏側ばかり見てきた男たちからすれば神木は胡乱な香りが漂うのだ。
「あと、これは僕からの提案で、獅龍さんにはこのB地区の3丁目あたりの島を一層していただこうかと」
神木の言うB地区という言葉に周りがざわついた。それに名前の上がった獅龍は片眉を上げて神木を見た。帰国したばかりの獅龍からすれば、それがどこなのか瞬時に頭に地図が出てこない様子だ。
「B地区?」
神木から事前に聞いていなかったのか、龍一も神木に目をやる。だが余程、自信があるのか神木は目を輝かせて大きく頷いた。
「ここら一帯は高級クラブやバーが犇めき合っています。なぜか明神組はこのB地区を牛耳っているものの、徴収はしてないようなんですよね。特にこのBAISERは巨額の富を生み出すような店ですが、やはりみかじめ料は取っていない…」
「そこは手ぇ出されへんぞ」
神木に被せるように、ようやく梶原が発言し周りの空気が安堵したようなそれになった。
「どうしてですか?」
少し、不貞腐れたような、唇を尖らせて梶原を見るが梶原はそれを見ずに続けた。
「BAISERは一新一家の息のかかった店や。それにB地区は特殊で明神組の若頭が昔から牛耳ってる。引っ掻き回してええ場所やない」
「明神若頭?ああ、あのfreakか」
獅龍は片目を指差して笑った。部屋の誰かが”明神のルビーだ”と言ったのも聞こえた。
「もちろん存じてます。明神組若頭が噛んでいることも…。ですが一新一家が所管しているわけではないでしょう?」
「やからって入り込んでええ場所やない。BAISERは特にな」
「一新一家に手は出すな」
龍一が言い合う梶原と神木に言い放つと、神木は面白くないのか”そうですか”と首を傾げた。流石の龍一も一新一家とトラブルごめんと判断したのか、梶原は息を吐いた。
「では、そのBAISER以外で、一度、獅龍さんにお任せします」
「ああ?」
B地区に立ち入らないという判断はしないわけね。ということは獅龍は万里とまたぶつかるということか。いや、今度は万里の兄弟が出てくる可能性が高い。そうなると非常に厄介だ。梶原は1人で“うーん“と小さく唸った。
「BAISERに手を出さずにB地区の、そうですね、厳選とでもいいましょうか」
「厳選?」
「梶原さんが“特殊“という状況の把握と、取れれば何軒かうちで任せてもらえたら良いですよね。その選別です」
「出来ひんのか」
ここも鶴の一声のような龍一に気取られ、獅龍は笑い飛ばすように「やるわ!」と売り言葉に買い言葉状態で言い放った。
確定かー。今は飛鷹も戻って体制も強化されてる上に、組長の後ろには現役でもおかしくない会長が目を光らせている。
梶原は今度は腕を組んで苦悩し出した。いや、この部屋にいる組長の誰もが苦悩している状態だ。いつもの定例会とは風向きが全く違う。獅龍がいることよりも、この他所から来たばかりの若い男のせいで。
「それと獅龍さんにはその隣の地区も…」
「おい」
龍大が神木の話を遮ると、また何か?と言わんばかりに整えられた眉を歪めた。梶原も流石に神木の示す場所には腰を上げたし、周りの組長連中もギョッとした顔を見せた。
「そこは鬼塚組の土地やろ」
そう、そこはあの、鬼塚組の島だ。極道であるなら仁流会でなくとも知っていることで、まるで結界でも張られているかのようにそこには誰も手を出さない。
地元ではない遠くな離れた関西のここでさえも、鬼に手を出すバカはいないのだ。
「だから何か?調べたんですけど地価が高騰している場所もあって、鬼塚組の収益はそれ相応かと。六代目になってからは土地転がしも手広くやられていて、かなりの儲けがあるはずです」
「やから何やねん」
「龍大さん、いいですか?鬼塚組六代目と懇意にされることはいいことだと思いますけど、所詮は会長補佐なんですよ?儲けがあるならば会に献上していただかないと傘下組が枯渇します。今は暴対法でどこも苦しいとき。会長補佐だけ羽振りがいいなんて罷り通りませんよ」
まるで母親が子に言うように神木は言った。
「やからって話し合いもせんとか」
「話し合いをして了承するような相手ならしますけどね。幾度となくそれなりの話はされているんですよ、組長も。だけど応じないのであれば強硬手段に出るしかないでしょう?」
「心に喧嘩売る気か」
「いえいえ、何をまた物騒な。でもこの際ですから龍大さんも肝に銘じていただきたいですね。仁流会は仲良しクラブじゃないんですよ。ヤクザなんです」
ね?と微笑む神木を龍大は睨みつけた。だがその隣で梶原は『ね?』じゃねぇよと頬杖を突いて神木と龍大を見ていた。
「俺だけやのうて、こいつにもやらせろや」
獅龍が龍大を顎で指すように言い出し、梶原はまた余計なことをとテーブルを指で叩いた。そんな梶原の苛立ちを感じ取ったのか、周りの空気が強張った。
普段は調子が良く温厚にも見えるが若くして風間組若頭補佐を担い、長く風間に支えているという事実が梶原の底知れぬ恐ろしさを如実に表している。その梶原が苛立つという稀に見ない光景に怯えても不思議ではない。
「ええ、龍大さんには最近、この近辺でよからぬ動きをしている連中の調査を」
「よからぬ?」
「はい、所謂、半グレみたいな若者ですけどね、クスリや売り、まぁ何でもやり放題で目に付くんですよね。簡単でしょ?」
龍大が渡された資料を横から覗きながら、簡単なわけあるかと訝しんだ。
聞いたこともない店の名前を寝ぐらにしている連中だった。年は龍大より少し上。大人になり損ねたろくでなしという感じの連中が写真に映る。
「ここは中間地点やろ」
梶原が拠点の住所を見て言うと周りが視線だけギョロっと動かした。中間地点、風間組や明神組が縄張りとするところとチャイニーズマフィアや半グレが入り乱れた無法地帯のような場所。
どちらかというと明神組に近い場所だがチャイニーズマフィアとやり合ったばかりで膠着状態のところだ。そこに明神でもなく風間が手を出せばチャイニーズマフィアの矛先が変わる可能性もある。
来生の一件でぶつかったばかりでもあるので、今は大きな動きをしたくない。その内情を知ってか知らぬか、いや、知らないわけがないので承知の上で龍大を行かせる気か。
「おいおい、冗談きついやろ。明神組が動いてへんのにうちが動いて、ぶつかることなったらどないすんねん」
「そのつもりはありません。あくまでも調査です。情報収集は大事ですよ。明神さんがまた”ヘマ”をして他所の組に入り込まれては困りますから」
一新一家のことを言ってるのか。梶原は龍一を見たが特に何かを言う素振りはない。ここで言い合っても埒が明かないかと口を閉じた。
総会終了後、会長室で梶原は龍一と神木と向き合っていた。
今回の総会は直系組を困惑させるものが多く、古石も梶原にコソッと「ええ風向きやあらへんですよ」と言ってきたくらいだ。
それもそうだろう。槍玉に上げられた当会興産の茂木を始めとする組は古石が宥めてくれてはいたものの、さすがにこれはやり過ぎだと進言しにきたのだ。
「今回の当会興産にしても他の組にしても上納金の直接な値上げではないにしても、当たりが強すぎやしませんか」
「当たり?」
龍一は煙管を手にすると火を入れた。
「いえいえ、これまで甘やかしてきたのですから、そのツケみたいなものですよ」
龍一の隣でタブレットを抱えて立つ神木を睨み、鼻で笑う。すっかり風間龍一の懐刀気取りか。
「ツケ?お前が自慢げに語った各々の組への締め付けなんぞ内情も鑑みんと勝手言うとるだけやろ。結局、なぁーんも分かってへん男やて方面に自己紹介したようなもんや」
「内情?」
神木の眉尻が軽く跳ね上がり、梶原は更に煽るように続ける。
「新参者のくせに会長付き名乗るくらいやったら、直径組の事情も把握すべきやろ。当会興産やて今回はよぉないことが重なったからそうなった。毎回やない。親が子の面倒を見るんはこの世界では当然やろうが」
「そうですか?タイミングが悪い、いや、そうでしょうか?このご時世だからこそ、弱っているようなことを見せては負けです。80%しかないのなら100%、組員バラしてでも女売ってでも作るべきです」
「は?」
梶原が何を言ってるんだというような顔をすると神木は今日一番の笑顔を見せた。恍惚とも取れる顔だ。
「梶原さん、牛や豚がそうであるように人間も切り刻めば売れます。しかも家畜よりも高価に売れる。風間組の上納金は低い方です、他に比べれば。それに甘んじてるからこそ、緩いことしかしないんですよね」
それがお前の本心かと舌を鳴らした。まさかの切り刻めか、それが曽根崎組のやり方というわけかと冷めた目で神木を見た。
「甘んじてるかどうか、季節が変わる前に入ってきたような男に分かるんか」
「経験です。色んな組を渡り歩いた千里眼です」
「アホちゃうか。そんなん自分で言うか?大体な、お前がどんな組で生きてきたんかどうでもええけどな、会派組織の土地に手出すんは下衆のすることやろうが」
「下衆ですか?だって、宝を眺めておくだけでは金にはなりません。運営するからこそ価値が出る。ダイヤも原石のままではあの輝きは出ません。同じですよ」
「梶原」
龍一が言い合う二人に投げかけるように言葉を発し、二人して口を閉じた。龍一は煙管を吹かせながら、顎を撫でた。
「鬼塚が成長していくことは仁流会にとって何も問題がないんは分かっとる。会で勢いのある組がいることは他の者のやる気にも繋がる」
「はい」
「ただ、心は得手勝手すぎるとこがある。佐野が戻ってきたとはいえ、現状、勝手する人間が増えたに過ぎん。あれは何やいうても心に甘いところがあるからな」
「問題がありすぎる行動をしているとは思えませんが」
「そうか?心が自分の戦争にしか隠し玉を出さんのも、他の組に示しがつかんと思わんか?」
「隠し玉って」
あれは出せないんですよ、出してはいけないんですとも言えず口篭った。死神と世界を股に掛ける殺し屋Thanatos。あんなもの出されても他の組も迷惑でしかない。
「とにかく、龍大も獅龍も上に立つ人間として成長したところを見せんと、いつまでもお飾りの若頭と放逐されたバカ息子や。とはいえ、やる気に満ちてるんは獅龍の方に見えるけどな」
龍一はそう言うと、煙管を灰落としにカンっと当てた。