空、雨、涕

空series second2


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大音量のテクノミュージック。あちらこちらに忙しなく首を向けるスポットライト。腹に響くようなリズムを感じながらハルはスミノフアイスの瓶に口をつけた。
ハルの居る場所はクラブだ。それもただのクラブではない、ボーイズクラブ、所謂、同性愛者専用のクラブである。なぜそんな場所に一人で居るのか、こうなった発端は数日前に遡る。

ハルの幼馴染でもある威乃の住むマンション、即ち、威乃の恋人でもある龍大との愛の巣へ威乃の作ったシフォンケーキを久々に食べに行っていたハルは、そこでやはり自分の恋人でもある梶原と逢った。最近は忙しいとかですれ違いが続いていて、こちらもやはり数日ぶりのご対面だ。
職業が職業なだけに生死も分からないような状態ではあったが、威乃が何も言って来ないということは元気なのだろうと思っていた。
久々に逢ったとはいえ、全然連絡もしてこないなんてどういうつもりなの!?なんて女が言うようなことを言う気にもならなかったし、仕事だし仕方ないよななんてどこか冷めた自分も居た。
性分なのか、我儘を言うとか相手を困らせるようなことを言うというのが気持ちよりも先に制御という形で出てしまって、何も言わないで居るのが一番と片付けてしまうのだ。
それに梶原は目の前のハルよりも抱えている案件の方に気持ちがいってしまっていて、龍大と難しい顔をして膝を突き合わせている状態だ。そんな状態を目の前で見ているのに、逢えてないことへの不服を言う気にはまったくなれなかった。
それにハル自身も夏色が帰国している今、梶原と逢うのはどこか気が引ける。夏色が獅龍を叩きのめしたということもそうだが、極道者と通じているハルをどう思うのか、果ては夏色がどう出るのか全く検討がつかないのだ。
悪魔降臨。身内とはいえ、悪魔の行動を理解できているわけではないので前途多難というのが正解かもしれない。
「どう?美味い?」
恐る恐るという感じで威乃がハルに聞いてくる。それにハルは小さく頷いた。
「まぁまぁ…。このケーキ、味は紅茶か?もうちょい濃い目がええ。でも、これに付けるイチゴジャムはええ感じ」
ハルの簡単な感想に威乃が唇を尖らせた。
「ハルはなかなか100点くれへん」
「簡単に100点あげたら伸びひんやろ」
「まぁ、確かに」
不貞腐れる威乃に笑って、ケーキにジャムを乗せてパクッと食べる。苺の酸味と甘味のバランスが良い。配分が完璧で、これは一番好きかもなと堪能して視線を横に向けた。
「つうか、風間も忙しかったん?難しい顔して」
「あー…」
威乃はリビングのソファセットに書類を広げる二人を横目にして、キッチンカウンターのカウンター席に座るハルに顔を近づけた。
ハルは少し顔を傾けて威乃の方へ耳を向けた。
「こないだの会議から機嫌悪いねん」
「会議?そんなんあるんか」
「そうみたい。そこで何か課題?的な言われたっぽい。俺も詳しく知ってるわけやないけど、チラッと聞いた感じドラッグっぽい。しかも捌いてるんが半グレの連中らしくて」
「ガキ相手にヤクザが怯んでどないすんねん」
「いや、それがSEX pistolっていうドラッグっていうやつやねんけど」
「ダサい名前やな。そこまで分かってのにあの顔?」
ハルはコーヒーを口にした。甘さの後に苦味強いブラックコーヒーが一番、美味しく感じる。味がハッキリするのが良いのかもなとプレートの端に付いたジャムを口にしてコーヒーをまた啜った。
「何か、こう、人から人へみたいな。あいつからもらった、あいつがくれた、あいつが…」
「上手いやり方やんけ」
何人も何人も介して足をつかないようにする。なかなか慎重なやつだなとハルは残ったジャムをシフォンケーキに全部塗って、最後の一口とパクリと食べた。
「次はレアチーズケーキがええわ。レモンがめっちゃ効いた感じの」
「レアチーズケーキか。任しとけ」
ハルは食べるものも食べたしもう帰ろうかと腰をあげ、梶原の方へ目を向けた。ふと、テーブルに並べられた写真が目に入り、ハルは首を傾げた。
そして二人に歩み寄ると写真をじっと見た。それに梶原が気が付き顔を上げると、ハルは写真を指差した。
「蛭中じゃん」
「え?」
梶原がハルの指差した写真を見ると、半袖のTシャツから覗く二の腕には刺青が彫り込まれ、何なら首元までそれが描かれた男が同じような風貌の男たちと車に乗り込むところを撮ったものだった。
「知り合いか」
風間が聞くとハルがキッチンの方を振り返った。
「威乃、蛭中」
言うと、威乃がキッチンから出てきて写真を覗き込んだ。
「あ、ほんまや」
「知ってるんか」
風間が再度聞くと、ハルはニヤリと笑った。
「お前と同校やぞ。いうても、こいつは2年で辞めたな。俺らが1年のときに2年仕切っててん。ダブってなけりゃ一個上やな」
「あの学校ってことは、相当やんちゃしてたってことか?」
梶原は、これでハルや威乃の一個上?そう言うには老け込みすぎてはいないかと思った。スキンヘッドのせいか?服装か?どう見てもハル達と近い年とは思えない。
肌艶が、と言えば良いのか老けている。髭のせいか?うーん?と梶原は蛭中の口元を指で隠して見てみたりを繰り返した。
「蛭中は、やんちゃの度合いが可愛げがなかったなぁ。絶対にリンチか闇討ちやねん、こいつ。タイマン出来ひん子でな。ハルに恐れて逃げてんで」
「お前に?」
梶原がハルを見ると、ハルはそうだったかなと首を傾げた。
「ただ、1年の連中が俺に泣きついてきたから、威乃と二人で授業中にそいつの教室に殴り込みに行っただけや。そいつ、吠えるばっかりで向かってこーへんし、どこどこに来いとかそればっかり。いや、俺、今ここにおるんやからやろうや言うても、今はちゃうとか意味不明」
「そうそう、めっちゃウケる。そいつ結局、次の日から学校来んようになってん。自主退学」
ええ…と言わんばかりの梶原だ。まぁ、見た目からはチキンだなんて想像つかないだろうが、本当にチキンだったのだ。
ハル達も肩透かしを食らった気分で、蛭中と徒党を組んでた奴らも意気消沈して何だか気の毒に思えたほどだ。
「こいつがクスリ捌いてんの?」
「確証はない。だた、今回、いらん動きしてる連中や。風間の島の近くでな」
「近く?風間のんちゃうんか」
「あっちもこっちも風間のもんちゃうやろ。殿様やあるまいし」
梶原が肩を竦める。
探ってこいと神木のいう場所を部下に探らせると、無法地帯さながらにどこでもヤクがあるようなところだった。
ジャンキーを捕まえて話を聞いてすぐに蛭中には辿り着いたものの、あちこちの店に出入りしまくっているので拠点が絞れずにいた。
そもそも蛭中に辿り着くまでも、あいつにもらった、あいつに、あいつにと追うのに骨が折れたものだ。
ようやく蛭中や蛭中周辺の人間の情報を得たものの、実際、蛭中という名前も今日、初めて知った。名前も通称だったし、拠点は多分、この辺かなとはあたりをつけたものの、そこの店が何の店なのか表向きの看板しかないところばかりで皆目見当もつかなかった。
そもそも、拠点を絞ったところでそこで実際にドラッグを売買しているとは思い難い。人から人へ何人も渡らせるような慎重さを見せる男が店で堂々とドラッグを売買しているとは思えない。
煮詰まっている状況を感じたハルは、あまり気乗りはしないという感じで写真を叩いた。
「もし、こいつがそのドラッグに関係してるとしたら、思い当たる場所はあるけど?」
「は!?どこや!?」
梶原が思わず腰をあげた。
「ゲイバー」
「は?」
「そいつ、学校におったときから、そういう商売してたみたいでな。ドラッグも色々あるやん?MDMAとかXとか諸々。まぁ、そんときに売り場見つけたみたい」
「ゲイバー…」
梶原はもう一度、蛭中の顔を見て呟いた。
「何やあったとしても性癖オープンゲイが溢れとるわけやない。どっちか言うたら隠したい連中ばっかり」
「口外するやつが少ないってことか」
「そういうこと。さらにSEX pistolって名前のまんまSEX drugやろ?同性愛者にはSEX drugに依存してるやつも多いって聞くから、まぁええ売り場や」
ゲイバーとなると厄介だなと梶原は頭を掻いた。内偵して話を聞き出すにしても、キャバクラで女相手にすることとは訳が違う。
心云々難しいものはさておいて、相手は男なのだ。性癖云々というよりは、男に男が”聞き出す”というのは骨が折れる仕事だ。しかも、そういう性癖の持ち主はやたら鼻が利く。相手がそうでないのかそうなのか、一言二言の会話で見抜くのだ。
「あー、俺、ちょっと話聞きに行ったろか」
「は?」
思いもよらぬ提案に梶原は間の抜けた声を上げた。ハルは梶原が手にしていた資料を奪うと「あー、ここだ、ここ」と言った。
数店舗ある店の一覧の中から、ハルは一つの店を指差した。そこは蛭中の直近である男が仕切っている店で、蛭中もよく顔を出していた店だ。
「出入りしてる店は変えてへんみたいやな。ここ、入って調べた?」
「極道もんがこんなとこ入ったら警戒されるやろ。入ってへん」
「じゃあ、内偵やろ」
軽く言うハルに梶原は頭を抱えた。
「内偵って軽く言うな。面割れてるんやぞ、蛭中とかち合うたらどないすんねん」
「うーん、店にドラッグ捌きに来てるんは蛭中やないのは100%や。あいつは自分の手は汚さん人間やからな」
「いや、あかんあかん。アホか、堅気が何を言うねん」
梶原がハルに手で払う仕草を見せたが、梶原の前に座る龍大はジッと写真を見て考え込んでいるようだ。
「龍大さん」
勘弁してくれよとばかりに梶原は大きく息を吐いた。
「やて、あんたらじゃ無理やん。威乃でも…」
「威乃はあかん」
龍大がハルの言葉に間髪入れず被せるように言うと、ハルに空いているソファの席を指差した。
「口で言えや。先輩やぞ、こら」
ハルは笑いながら空いていた梶原の隣に腰を下ろした。
「龍大さん、あきませんて」
「ほな、ええ案あるんか。俺じゃ目立つし、お前や無理や。組に男相手に器用に立ち回れるやつがおるとは思われへん」
梶原はぐうの音も出ない様子で天井を仰ぎ見ると、渋々という感じで頷いた。
「腕は落ちてへんよな」
龍大がハルを見ずに言ったが、ハルは答えの代わりに鼻で笑うだけだった。聞くだけ野暮ということか。