空、雨、涕

空series second2


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梶原にはその後、こっぴどく叱られたが、八方塞がりなのは直面している事実であるので梶原としては不本意ではあるが中止にするという選択肢はなかった。そういうやりとりがあり、ハルはバーにいるのだ。
昔の伝手で蛭中の拠点は、この“BUFFALO”というバーだという確証は得た。BUFFALOはハッテン場を兼ねているようで、女はおらず年齢層は下は10代から上は50代まで。流石にそれ以上はいない。
元々はただのクラブだったがタチの悪いのが入り浸るようになりオーナーが変わってから客層はガラリと変わったそうだ。
なるほど、見れば人種的にもお上品な感じの人間はおらず、やんちゃそうな男が多い。ワンドリンク制で中での接触はOKだが濃厚な、所謂sexは表向きはNG。
初心は様子見で声掛けは余程でなければ少ないはずで、無理なものは無理と断らないと“痛い目“を見るそうだ。
「三島情報もたまには役に立つわ」
ハルはスミノフアイスを飲み干すとぐるっと店内を見渡した。三島もオーナーと客層が変わってからは来ていないそうだが、これは来るべきじゃないなと思う。
接触OKとは謳ってはいるものの店の隅では本番さながらの絡み合いをしてる連中が多い。相手の男の目が普通ではないそれなので店内でドラッグが蔓延してるのは確実だ。
だが目的は売人。ここにいるのは恐らく枝も枝、末端の人間だろう。そうではなく、もう少し上なんだよなとあたりを見渡した。
店内を観察しても怪しまれないのは好都合だなと思う、男漁りに来ている連中は皆、ハルのようにあちこちに目をやっている。何度か肩に手を回されたがひと睨みすれば、答えは“NO“になるのか、それともヤバい奴だと勘付かれたのかすぐに手が離れるのも良い。
初心には多く声が掛からないというよりも、様子見というやつなんだろうなと思った。新顔は色々と警戒されている感じがある。
だけどこれはこれで情報を得るには不都合だ。やっぱりちょっと引っ掛けて、そっちから探るのも良いかもなと考える。でも触られちゃったらキレそうだしなぁ…。
少し照明の暗い辺り、店の隅の方で下半身を押し付け合って濃厚に口付けを交わす男たちを見ながら、梶原の、ちょっとやそっとでは懐柔できないあの猛々しい雄を咥えたいと不埒なことを考える。欲求不満というよりも梶原不足だなと天井を仰ぎ見た。
「奢ってあげよっか?」
隣に並ぶ男に目をやって口許で笑みを作ると、男も同じように笑った。ハルよりも小柄で華奢。威乃のような中性的な、ここではモテないタイプの男はぷるんとした唇を尖らせた。
そして空になったハルのスミノフアイスに新しい瓶をぶつけて差し出した。ハルがそれに口を付けると、男はにっこり人懐っこい笑顔を見せた。
「ナンパ?」
「だって、ずっと1人じゃない?」
「そうやな。あんたも1人?」
「まっさかー。友達と来たんだけど、早々にゴーだよ」
指を指す方向にはトイレがある。一応、トイレでの行為は禁止と貼り紙はあるが、そこも緩い。それよりも襲われる可能性もあるので、うかうかトイレにも入れないような感じだ。
「ねぇ、モテるでしょー?みんな君を見てるのに、全然、興味ない感じ。でも初めましてじゃない?ここ」
「いやー、ひっさびさに来て、店が様変わりしすぎてて引いとんねん」
「そうなの?」
両手で顔を覆うようにして肘をつく。こういう自分の可愛いと見えるとこを推してくるの、女のそれみたいだなと少し可笑しかった。
「オーナー変わったんやろ」
「あー、オーナー変わる前のお客さんかー。じゃあ、びっくりだよねー。今はキリト君がオーナーだもんね」
「キリト?」
「うん、みんなキリト君って呼んでる。キリト君とその仲間がこの周辺のお店、何軒かオーナーしてるんだよ。すごいよねー。顔もイケメンだしやり手だし」
「へー。若いの?」
「若いよ。20代半ばかな、僕とあんまり変わらないと思う」
キリト君ねぇ…と蛭中を思い出したが学校にそんな名前の男はいなかった。そもそも蛭中の周りで目を惹く様な顔面偏差値の高い男が居た記憶がない。
イケメンでやり手なキリト君。一個、収穫だな。
「ねぇ?ちょっとさぁ、遊ばない?」
思いを馳せているとトンっと身体を当てられたがハルは距離を空けた。
「お前、その顔でタチ?」
「え!?ネコなの!?意外ー。僕、そっちは出来ないんだー」
脈がないと分かったのか、今までの可愛さを武器にひけらかすのをスッと止めた。ここもどこか女っぽい。
「ってか、ここトイレ本番禁止やろ」
「やだ、トイレとかごめんだよ。そもそもトイレで行為禁止もキリト君の前だけ。無法地帯だよ、今は」
「お前も分かってて来てんだろ」
「お前じゃないですー。シュウです」
「シュウ?俺はハル」
親近感が湧く名前じゃないのとハルは少しだけ笑った。その顔にシュウが頬を染める。
「はー、笑顔もイケメン。どうにか勃たせて欲しいわ。えっと、ハル君?よろしくー。まぁ無法地帯だけど僕らみたいなのってなかなか集うとこないじゃない?僕なんてここの土地の人間じゃないから、勝手がわからないし」
「ふーん」
「あ、もしかしてハル君もアレ欲しい人?」
「アレ?」
惚けた振りをしてスミノフを飲み干すと、シュウが小さく手招きした。それに頭を傾けると“エス“とハルだけに聞こえるような声で言った。
案外、簡単だったなとハルはシュウを横目に見ると首を傾げた。
「エスってヤク?そんなもんまで回ってんの。終わってんな、ここ」
「本当、それー。こないだ僕を引っ掛けてきた奴もジャンキーで最悪だった。キリト君はカッコいいのに、取り巻きがいかにもな感じで」
「取り巻き?」
「そうそう、あ!来た」
シュウはパッと入り口から顔を背けた。ハルも入り口を見つつ、ゆっくりと背中を向ける。
ビンゴ、蛭中だ。スキンヘッドで大柄。態度だけ見れば一流のそれではあるが中身は今も三流のままだろうか?仕掛けてみたいが勝手は出来ないしなと観察だけすることにした。
蛭中の立ち位置からランクは上。弱い癖にそういうとこは相変わらず長けている。周りの男たちは腕に自信ありという感じ。見覚えはない。
ハルはジーンズのポケットからジッポを取り出し、それを手で弄びながらさりげなく蛭中の方へ向ける。便利な世の中だよね、これがカメラなんて誰が気が付くよと写真を撮る。
「あいつらが来るの、珍しいよー。いつもは表側には来ないもん」
持ってるね、俺。と、ある程度、写真を撮るとジッポをパンツのポケットに捩じ込んだ。
「あいつらが捌いてんの?」
「えー、うーん、あいつらっていうかキリト君だけどねー。ヤクザもなんとか法で動けないでしょ?だから半グレじゃないけど、キリト君みたいな半グレっぽいグレーが稼げるみたいな。でも粗悪品でー、僕の友達も入院してさー」
「入院まですんの?」
「だって、本当に何が混じってるか分からないんだもん。粗悪品ってみんな分かってるんだけど、すぐにパーってなれるから人気なんだって。安いし」
「ふーん」
と言ってカウンターに目をやると、インカムをつけた店員がハルを見ながら何かを言っている。ふと上を見ると防犯カメラがこっちを向いていた。
「あらら」
「え?」
シュウが何!?と狼狽えると同時に上のフロアからバタバタと男達が降りて来た。ハルはシュウの背中を押すと「逃げるぞ」と腕を引いて人をかき分けながら入り口に向かった。
「え!?何!?」
シュウは慌てたように言うが、ハルと一緒にいたということで危害を加えられては後味が悪い。掴んだ腕は細く非力だった。捕まれば終わりだ。
二人は店の外に出ると人混みに紛れるように歩き出した。
「ちょっと!何!?え!?何!?」
「悪いな。あのさっき入ってきたハゲ、知り合いだわ」
「ええ!?蛭中の!?」
「知ってんの?」
「知ってるよっ!だって、店で売りした子とかトラブル起こしたとかした子は蛭中にボコられるんだもん!」
「へー、まぁ、その蛭中と、ちょっと昔に一悶着あって。で、さっき見つかったみたいやから、シュウも仲間認証されるとやばいやろ」
「マジで言ってる!?えー、困る!!」
「俺も困る。とりあえず、店には行かんほうがええで。何かあったら連絡して」
ハルはあらかじめ用意してた携帯番号を書いたメモをシュウに渡した。何かあったときにと思っていたが早速、役に立った。
シュウは困惑していたが追いかけて来る男達に焦って、バイバイと手を振ってハルから離れた。ハルも手を振って人混みに紛れ、そっと道の端に寄りしゃがんだ。
蛭中と一緒にいた男達が必死の形相で追いかけてきている。昔、ほんの少しいざこざがあったくらいでここまで追われるか?そもそもハルの顔を覚えていたのか?
いや、前回もハルは終わった過去と思っていたのに、それで沙奈を巻き込んでの大喧嘩になったのだ。やられた人間は覚えてるってやつか。
「執念深い男はやだね」
ハルは独り言を言うと男達が来た方向に歩き出し背後に回り込む。人の多い時間帯でハルと同じ年くらいの若者がいてくれているおかげで、探すのに苦労しているようだ。
ハルはコンビニのゴミ箱に突っ込まれていた壊れたビニール傘を見つけて歩きざまに抜き取ると、傘を伸ばしてハルを探す男の足を持ち手で掬った。
大柄の男はなすすべも無く見事に転んで、後ろを歩いていた人間が驚いて避けた。ハルもそれに混じって避けると「何やってんねん!」と他の仲間の怒鳴り声が聞こえる。
すいませんと謝っているところから、上下関係を見る。そして傘の骨を折って残りを道の端に捨てると、どこに行った!?と叫ぶ男の横を通りすがりに、鍛えているのであろう筋肉隆々の自慢の腕にそれを突き刺した。
「ぎゃあ!!」
「は!?何!?え!?傘!?」
仲間が腕に突き刺さる傘の骨を見て、悲鳴を上げる周りの人間に「見てんちゃうぞ!!」と怒鳴り散らしている。ハルは腕を押さえて蹲る男から少し距離を取ってジッポを出すと、顔がはっきりと写るように激写。リーダーは多分、こいつだなという男をしっかり撮って、人混みに紛れながら男達から離れた。

店とは離れた場所のコインパーキングに着くと、1BOXの車の後部座席のドアを開けて乗り込んだ。中にいた威乃は豚まんに齧り付きながら「遅い!」と文句を垂れた。
運転席でハンドルを握る渋澤はハルにコンビニの袋を差し出す。中を覗き込むと買ったばかりと思しき熱々の豚まんの香りにお礼もそこそこ、さっさと齧り付いた。
「店で何も食べへんかったん?」
「酒しかあらへん。しかもぼったや。アホみたいな値段で酒もつまみも捌いとる。周りの店の倍やな」
あ、そういえば無銭飲食だと今頃になって気が付いた。
「えー、でも、俺も店の周り回ってみたけど、めっちゃ人入ってない?入ってから、ぼったやん!ってなるんかな」
「ハッテン場が周りにないせいもあるんやろうな。あとツケもきくし」
「あないなとこでツケとか死ぬやん」
「せなは。んで、蛭中、俺の顔、覚えとるわ」
「え!?ほんま?まだ覚えてるって記憶力っぱねぇ!俺、写真見るまであいつの顔、忘れてた」
巨体だしスキンだし、インパクトはあるけど覚えない顔だなとハルも思う。どうしてなぁと運転席をチラ見して、貫禄か?とさえ思った。
「直接やってないうえ、勝手に逃げたくせに追いかけてきやがった、好都合やったけどな」
車が動きだし、渋澤を見るとバックミラー越しに目が合った。相変わらず半端ねぇ迫力と苦笑いする。
「兄貴が電話くれって」
「ああ、はいはい」
ハルは豚まんを口に詰め込んで威乃がくれたお茶で流し込むと、スマホで“秀治“を呼び出しコールする。すると待機してたのかと思うほど早く梶原は出た。