空、雨、涕

空series second2


- 17 -

『どうや』
開口一番それですかと思いつつ、仕事だしねと肩を竦めた。
「まぁ、ちょっとは役に立てそうな情報が手に入ったかも。俺には分からんけど」
『上出来』
「なんか、俺のこと覚えてたっぽい」
『は?鉢合わせたんか』
梶原の声のトーンが変わる。そりゃそういう反応になるわなとハルは顔を手で撫でるように触った。
「うーん、鉢合わせまでいかへんけど、追い掛けてきたし」
『おいおい』
「まぁ、平気。そのおかげで得られたもんもあるし」
『やからって…』
やっぱりやらせるんじゃなかったというような雰囲気が顔を見なくても分かる。ヘマしたわけじゃないが、どことなく居心地が悪い。
少しでも役に立てればとらしくないことをした、しっぺ返しかもしれない。そういう損得勘定で動くとかするタイプでもなかったのに、梶原相手ではそこは違うらしい。
厄介だなぁと、ハルは無意味に右手を握ったり開いたりした。その妙な行動に隣にいた威乃が妙な顔を見せた。
「あー、まー、ええやん。何もなかったし、得られたもんはデカいで」
『ええってことはないけどな。写真は思ったよりも撮れったってことか。じゃあ、それは渋澤に渡して今日は帰って大人しくしとけ』
「へいへい。了解」
『…』
電話の向こうで言葉を飲み込むのが分かり、ハルは「ん?」と言った。すると溜息と共に梶原が話し始めた。
『なぁ、恐らくやけど家もバレてるやろ、大丈夫か?組のもん、行かせとくか』
「いやいや、物騒かよ。それにそこはご安心を。自宅警備隊がいますんで」
『ああ…』
そうだったと言わんばかりだが、本当に夏色がいれば問題なんて何もない。出来ることが限られているこの治安国家の中でも夏色は最強なのは変わりなく、初歌が居るなかで自宅奇襲なんてすれば一貫の終わりだ。した人間が。
「じゃあね」
言って切ると、威乃が意味ありげな視線を向ける。それにイラッとして威乃の顔を押し退けた。
「何や」
「いやー、梶原さんとかーって実感がない」
「なくて結構」
今度は威乃を身体ごと押し退けると、ハルは運転席の渋澤にジッポを差し出した。
「これ、持ってこいって」
「ああ、わかった」
「ってか、お前は家に居ればよかってん」
気持ちを切り替えてシートに座ると話題を変えるべくそう言って、威乃を指差した。
「なんで!ハルが暴れ出したら俺も参戦やん」
「止めるんちゃうんかよ」
「運動不足とストレス発散」
「平和にいけ、あほたれ」
久々にというか、慣れないことをしたせいで変に疲れた。喧嘩は得意だが探るのは不得手だ。まどろっこしいことをするくらいならぶつかれというのが基本だからだ。
「そういえば、最近、小沢さんと遊んでへんの?」
「あー。そうね、うん」
「なんや、その返事」
言い淀むハルに威乃が妙な顔をして見せた。ハルは運転席に一瞬、目をやってから小声で威乃に言った。
「やきもち妬くやろ」
「え?梶原さんってそういうタイプなん!?」
小声の意味ねぇ。
小沢のことが好きだったとは威乃に言うには羞恥の方が勝ってしまい、言い出せない。それに小沢に告白したわけでもないのに、威乃にわざわざ言う必要もないとは思っている。
となると梶原が他の男と会うなと言っているということが成立してしまう。実際どうかと言われると、そういうタイプという感じではない。
だが面白く思わないとは思う。自分が反対の立場でやられると嫌なことは、基本的にしないようにしている。相手が梶原だからというわけではないが、そこは少しでも無理して背伸びをしておきたいと思ったのだ。

「じゃあ、またな」
ハルをマンションの前で降ろすと、窓から顔を出してぶんぶんと手を振る。
「危ないぞ」
言われ、車の中に戻るとウィンドウを閉めた。こういう父親っぽいことをされると少し擽ったい。
「若のとこでええか?」
「あ、うん…。最近、おかん、どうかな」
「少し、気難しい時期だな」
言われて「ふーん」と流した。この時期は、どうしてもそうなる。丁度、監禁されていた時期だからだ。
記憶はなくても恐怖は残る。恐怖という感情が残って、それが何か分からないから荒れる。なので余計なストレスを与えないように威乃は会いにいっていない。
逢って、怯えられるのは正直、堪える。でも、この強面がよくて女顔と言われる自分がダメなのは少し納得いっていない。
「お前のケーキは進んで食べてる」
そう言われ、パッと渋澤を見た。会えない分、威乃はケーキを作って、日中、愛の面倒を見てくれてるヘルパーの村山に託す。
さすがに毎日食べるのは堪えるだろうと、2日か3日に一回。食べているのかいないのかを聞く勇気もなく、ただ渡すだけ。
「そっか、食べてくれてるんや」
威乃がふふッと笑うと渋澤も小さく笑みを溢した。

龍大と暮らすマンションの前で車を降りると気配を感じ目をやった。現れた男に「うわ」と思わず声を出した。
「龍大のマンションに、こんな時間からー?」
現れた獅龍に驚いた渋澤も慌てて車を降りた。
「アホ兄貴やん」
「ああ?」
「威乃っ!」
いらん事を言うなという感じだろうが、ハルを奇襲して夏色にやられた時点でアホ兄貴は確定している。獅龍は威乃のそれに怒る事なくニヤついた顔で威乃に対峙した。
「獅龍さんっ」
「こんな時間から、龍大の家に何の用やねん?」
「それ、あんたに言う必要ある?」
「いや、おかしいやろ?野郎同士で」
「はぁ?」
訝しむ獅龍に弁明しようとした渋澤を止めるようにして威乃が前に出る。
「お前ら、何やおかしない?男同士で、しかもあの龍大がっていうんもおかしいやろ。キモい関係やないんか」
同じ顔で言われるのはダメージくるなと思いながら、ふとハルの顔が過った。威乃は一呼吸をおいて、首を横に振った。
「いやいやいや、何を言うてんの、おかしいのはあんたやん」
「ああ?」
「後輩の家とか連れの家とか、普通に行くやろ、普通にな」
「……」
押し黙る獅龍に、やっぱりこういう相手はハルのやり方の方がダメージがきてそうだなと威乃は笑った。
「現に俺はハルの、幼馴染の家にも泊まりに行くし、龍大の家にハルとか呼んで騒いだりするけど…。ああ、そうか。王様っぽいもんな、あんた。そういう付き合いある人間おらへんねやろ?」
痛いところを突いたのか、獅龍の目つきが変わったのを威乃は見逃さなかった。
風を切る音と共に飛んできた足を既の所で避けると、その足を軸にして反対の足がまた飛んでくる。足技は得意ですよと威乃も回し蹴りをすると、互いの足がぶつかり反動で離れた。
「威乃!獅龍さん!」
「へぇ、顔に似合わずやるやん。こないだといい、ほんまにけったくそ悪いなぁ」
「気ぃ合うなぁ。俺もそう思うわ」
互いに拳をグッと握りファイティングポーズを取るとけたたましいクラクションが鳴り響いた。見ると、AMG 450d 4MATICが止まっていて、左ハンドルの運転席のウィンドウが開くと龍大が顔を見せた。
「何してんねん、獅龍」
「くそが、あーあ、興が醒めた」
獅龍は舌を鳴らすと拳を下げたので威乃も拳を下ろした。龍大は車を降りると渋澤に視線をやり、獅龍を睨むように見た。
「俺になんか用か」
「お前に用なんかあらへん」
いや、じゃあ何でここに居んのよと苦しい言い訳に全員が首を傾げた。龍大のマンションに龍大に別に用がなく来た、なんて訳はないだろう。車にケチをケチに来たというのもおかしな話だ。
「獅龍、」
「やかましいわ。おい、お前、あんな車持ってたんか」
龍大の乗ってきたAMGを指差す。特注フルエアロのそれはただでさえ大きなAMGを更に厳つく大きく見せた。
「あれは組のや」
「ふーん」
「獅龍、何か用があるから来たんやろ」
「いやぁ、別にぃ」
意味ありげに言う獅龍に龍大が片眉を上げた。
「お前の兄貴が俺とお前の関係が変やて」
威乃が言うと龍大は首を傾げた。
「変?なんで」
頼むぞと、渋澤と威乃が龍大をジッと見ると、龍大は肩を竦めた。
「わざわざそんな事を言いにきたんか」
暇かと言わんばかりに言うと獅龍が龍大の肩を押した。
「黙れ!クソが!」
獅龍は捨て台詞だけ吐いて去ろうとしたが、車の前で一瞬止まった。蹴飛ばす気か!?1,500万の車を!?と威乃がさすがに止めようと前に出ようとした。
「それ、親父のお気に入りやぞ」
龍大が威乃よりも先に止めとばかりに言えば、獅龍は「だから何や!Screw you!」と叫んで、マンションの周りに植えられている木を蹴飛ばして、歩き去っていた。
「いや、嵐か。てか何て言うたん。スクリュー?英語で話すんやめてほしいわ。ええことは言うてへんやろうけど」
「くたばれ、やな。ほぼあっちで過ごしてるから英語の方が得意なんかもな」
「ええ、やっぱり仲良くなられへんわ」
英語が宇宙語である威乃からしたら、英語の方が得意という感覚が未知だ。それに龍大も眉間に皺を寄せて、珍しく困ったような顔を見せた。