空、雨、涕

空series second2


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「いいねー、かっこいいー」
一人だけ場違いな陽気さで携帯で写真を撮る。携帯を向けられてもニコリとも出来ない状況に、ただただ戸惑った。
タイトなトレーニングウェアに着替えた二人はサンドバックに拳をぶつける夏色を見ていた。音が重い。あれで殴られたらヤバい。
いや、殴られるようなことをした覚えは、いや、どれが琴線に触れるのか分からないので断言できないけど、多分、ない。
「はー、じゃあ、どっちから」
ある程度、ウォーミングアップが終わったのか夏色は汗を拭いながら聞いてきた。だが、どっちとは!?と、互いに顔を見合わせた。これ、まさかの…。
「喜べ、手合わせや」
「頼んでへん!!」
威乃が言うとハルが「あ!」と声を出した。え?と思う間もなく威乃は腕を掴まれ、足を掬われ浮いた身体がマットに転がる。咄嗟に受け身を取ったがすぐに夏色の足が飛んでくるのが見えて身を翻して避けた。
すぐさまグッと構えて夏色と対峙するが圧がすごい。龍大の方が大きいはずなのに、夏色が何倍も大きく見える。隙がない。
浅い呼吸をして決めたように足を出すとその足を弾かれ回し蹴りが飛んでくるのが見えた。両手で受けたが吹き飛ばされ、思わずよろける。
「はぁ!?」
ヘビー級かよ!と威乃が笑って構えると夏色がハルを顎で呼んだ。
「二人で来い」
「おいおい、余裕かよ」
ハルが二人に近づくとあっという間に威乃の腕が掴まれハルの方に投げ飛ばされた。ハルとぶつかった衝撃でよろけた威乃の腹に爆弾でも当たったかと思う痛みが走り、その場に崩れ落ちた。
「威乃!」
呼んだものの構っている暇はない。
飛んできた夏色の拳を手で弾いたと同時に腕を掴んで引き寄せると肩に手を当てて関節を反対に曲げた。取った!と力を入れると、ぐるっと夏色が身体を翻した。
バランスを崩したハルの横っ腹に拳を入れると回し蹴りをして背を向けたハルの膝裏を蹴る。ガクンと落ちたハルの首を後ろから腕で絞めると、ようやく起き上がった威乃の視界に銀色に光る物が見えた。
「夏にぃ!!」
夏色が取り出したナイフは掲げられ、そのままハルの心臓に一突きされた。グニャッとナイフの刃が歪み、夏色はハルを蹴り倒す。シリコンで出来たそれとはいえ、容赦無くやられると強い痛みが走りハルは胸元を押さえて転がった。
「はい、死んだ」
動くなということだろうが横っ腹に食らった拳のおかげて動けない。ぜえぜえ息をするハルの横で拳を握る威乃は、余裕の笑みを浮かべる夏色のナイフを見ていた。
そして、両手を広げると、夏色に向かってパッシブスタンスを構えた。護身における基本の構え。戦場を想定して開発されたクラヴマガのスタイルの一つで、龍大に身につけておいたほうが良いと言われて習得したものだ。
夏色はそれを見ると「へぇ…」と感心したように声を上げた。だが次の瞬間には素早いスピードでナイフが威乃目掛けて突き出され、威乃はその腕を左腕でスライドさせて軌道を外すと夏色の腕を掴んで顔面に拳を向けた。だが足を掬われ反対に首を掴まれ床に叩きつけられた。
そして額にナイフを当てられ「はい、死んだ」と言われる。
「くそ!!」
軸が片足になってもブレない。しかも両利きで柔軟さもあって身軽。スピードもダンチ。敵うわけない。
これは今、どうすることも出来ないことだがウェイトの差が大きい。威乃の身体は軽すぎて、すぐに猫のように首元を掴まれ倒される。
いや、ウェイトがあっても人の軸をブラすのが得意なのだ。相手の軸がどこにあるのか瞬時に見極めて攻撃してきている。レベル違いも甚だしい。
「夏色、二人で一気にやろうよー。それはなしで」
もぐもぐとお菓子を食べる初歌が呑気に提案してくる。悪魔か、あの人!と二人して初歌を見るが、何かあっても自分が診れば良いと思っているのか、楽しそうだ。
夏色が”そうやな”なんて言いながらナイフをフロアの横に滑らすと首を鳴らして指で呼ぶ。ハルは大きく息を吐いて立ち上がると威乃を見た。
「わかってたやろ、この野郎」
「わかるか、夏色が手合わせとか」
「お前、水しか飲んでへんやん。俺、盛大にゲロ出そうで堪えたのに」
「知るか、どうすんねん」
「あれやるわ、サポートよろ」
威乃が拳をハルに向けるとハルが拳を当てた。何だかんだ、こういうのが好きなのだ。それを証拠に二人は生き生きしている。
二人して向かってハルが夏色の足を掬おうとしたが、お見通しとばかりにハルの腕を掴んだ。だがハルがそれを反対に掴むと、夏色がハッとした。
走ってきた威乃が夏色に飛びつき夏色の頭を両脚で挟みこんで身体を旋回させて、その勢いのまま投げ飛ばした。
「やった!決まった!ヘッドシザーズホイップ!!」
と声を上げたが夏色の膝が飛んできて両手をクロスして防御したが、やはり弾かれ吹き飛ばされた。
「一発当たって隙見せてどないすんねん」
夏色が呆れたように言うその後ろで、ハルも吹き飛ばされていて、うずくまっている。あんな華麗に決まったのにノーダメージ。
「鬼やん」
威乃がそう呟くのを合図のように、夏色が向かってきた。

「うんうん、元気だね」
初歌が威乃の手首をグッと捻る。軽い痛みに顔を歪めるとニッコリ笑われた。
「湿布、お出ししますねー」
医者っぽい口調で言われるが、いや、医者だが、何だか解せない。コテンパにやられて手合わせどころじゃない。2人で挑んで一度も勝てないままだった。
しかも夏色はどこか涼しげな顔をしている。力半分どころじゃない、全然、相手になっていないのだ。
何割の力だろう。手合わせして分かったが、夏色は独自のスタイルの格闘技を身につけているのがまたタチが悪い。思ってもないところから足やら手が飛んでくる。
防御の仕方がわからないのだ。防げたのは一度だけ。ただ防いだと思った瞬間、反対側から殴られた。両利きというのは本当にタチが悪い。
「じゃあ、本題」
「え?まだあんの?」
横に寝転がっていたハルも起き上がる。これ以上、何があるんだと言わんばかりだ。威乃も流石に勘弁してほしいと項垂れた。
「風間龍大くん、呼んでくれる?」
初歌が言う名前に二人してギョッとなる。だが初歌は相変わらずの顔で夏色も変わらない。
「え、龍大?なんで」
「惚けても無駄だよ」
初歌が威乃に顔を近づける。何もかも知っているぞと言わんばかりのその顔に寒さを覚えた。
100%無害の人間なのに初歌の方が夏色よりも怖いときがあるのだ。この世に生まれ落ちたときから生きるか死ぬかという間で生きてきた初歌。
そして生きることが叶った途端に遺産欲しさに命を狙われる、しかも身内に。そこで逃げた先がまさに命を賭けた戦いをしている紛争地。
初歌の目の奥に潜むのはそんな命の儚さを見てきた暗い闇だ。一度、生と死を天秤に掛けられた初歌だからこそ持つ、闇。
「僕としては二人が心配でね、だって、ヤクザ屋さんでしょ?」
「そんなケーキ屋みたいに言われても」
「お話したいだけだよ」
いやいや、夏色がいて?とハルを見るが、諦めろと言わんばかりだ。なら仕方がないかとは思えない。夏色は獅龍と一悶着あった人間だ。
龍大と獅龍の仲が悪いとはいえ、夏色のことは別かもしれない。そう考えると、やはり素直に頷けなかった。
「うーん。あ、じゃあこうしようか?夏色と行ってもいいよ?風間組」
「呼ぶ!!待って!!」
怖いこと言わないで!夢の国じゃないんだから!と観光感覚の言い方に威乃がスマホを取りにロッカーに向かった。
何て言えばいい?夏色が逢いたいと言ってるとそのまま言うか?いや、逢いたいの意図が読めないので警戒して来いと言うべきか。
「いや、待てよ?」
龍大は仕事で来れないって言えば良いか?そうじゃん、忙しいもの龍大は。どうしても仕事で来れないらしいと、初歌に言えばいい。
今回はとりあえず交わしてハルと策を練ろうと、ロッカールームに投げていた鞄からスマホを取り出すと後ろから強い力で首を掴まれロッカーに押し付けられた。
「な、夏にぃ」
気配ゼロって獣か何かですか?ずっと後ろにいたの?と、もがく。ロックのかかったスマホを顔を向けられ解除される。
慣れた手つきでスマホを探るそれは、戦場での体験ですか?と聞きたいほどだ。
メッセージアプリを開いて龍大を呼び出し、首を掴まれ情けない顔をした威乃を写真に撮り添付する。そして住所を打ち込むとそのまま送信して威乃にスマホを返した。
この人、普段から絶対こんなことしてるわ。あまりに流れに無駄がなさすぎる。
「ああ、威乃、お前はウサギみたいに飛ぶ癖、あれどうにかせぇ。空中で蹴飛ばされたら終わりやぞ。技入る前が一番、撃たれやすい」
「はい。いや、ここ日本!スナイパーなんかおらんわ!」
どういう忠告やと項垂れた。するとスマホが振動してディスプレイに龍大の名前が映し出された。
「あ、龍大?」
『は?威乃?どういうことや、これ』
「えーっと、夏にぃとちょっと」
『なに?』
「いや、龍大も仕事で忙しいやろ?これは気にせんといて」
『この住所に行けばええねんな』
俺の話、聞いてる?という言葉を言うだけ無駄かと息を吐いた。
「あの、今日やのうて別日にしてもらおうや」
『20分くらいで着く』
会話にならないまま電話は切られ威乃は盛大に息を吐いた。

「来た来た」
初歌が防犯カメラをスマホアプリで見ながら言うと、そのままアプリを操作して正面玄関横のガレージのシャッターを開く。そこに見慣れた車が入っていくのが見えた。
来ちゃったよ…と、ハルと二人で目眩を覚えた。時間きっかり20分。策を練ることなく、本番だよと威乃は思った。

ガレージに入り込んだ龍大は車を停めると警戒して辺りを見渡した。人の気配のなさにエンジンを切って車を降りる。そこにハルのバイクを見つけた。
建物に繋がっていると思われるドアが開いて初歌が出てくると、猛スピードで歩み寄り手を伸ばしたが、その手を後ろから出てきたハルが掴んだ。
初歌は驚いた顔を見せたがすぐに満面の笑みを作って、「こんにちは」と場違いな挨拶をした。
「この人に触れんな。指一本もな」
「どないなっとんねん」
龍大の血管の浮き出た額に眉を下げる。お怒りごもっとも。
「大きい子だね」
二人の間で初歌が、やはり呑気に言った。

とりあえず龍大を地下のフロアに連れて行くと、そこに居た威乃が龍大に手を振った。龍大は慌てて威乃の方へ行き、身体を確かめるが大きな傷は見当たらなかった。
「そっくりやな」
ミネラルウォーターを口に含みながら出てきた夏色を睨みつける。ハルに似ているように見えるが醸し出す雰囲気に龍大は思わず息を呑んだ。
「お前の兄ちゃん、のしてもうて悪かったな」
「アホがアホなことしたなら、対処してくれて構わん」
「アホやて」
夏色がハルに笑って視線を送るが、ハルからしたら兄貴をアホなんて言えるのは例え夏色がそこに居なくても言えない言葉だ。
「まぁええや。お前も着替えてこい。スーツのままでもええけど」
「あ?」
「龍大!」
威乃が龍大の両肩にガシッと手を置いた。
「着替えるねん」
威乃が反論は許さんとばかりに力強く言った。