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ロッカーに行って用意されているトレーニングウェアの中から龍大のサイズに見合うものを引っ張り出した。有名ブランドメーカーのロゴと極楽院グループのロゴが刺繍された黒の上下だ。
「前に言うたやろ、絶対に夏にぃには敵わんて」
「言うたな」
「さっきまで俺とハルと二人がかりで挑んでてん。可哀想なことに0勝。俺ら、何回、殺されたか」
「二人で?」
「文字通り、手も足も出ん。殴られへんかっただけマシかも」
「殴ってたら、ぶっ殺してた」
龍大はジャケットを脱いでネクタイとシャツを脱ぐと、肩を回した。
「見た感じ、どない?」
「名取と似てへん」
「そうやね、ってそこ?」
「ヤバい奴ってのは分かった」
あの一瞬で?とは思うが、夏色は爆薬危険そのものだ。昔よりかは少し温和になったかもしれない。ミクロサイズくらいだが。
「でも、イメージとちょっと違う」
「え?」
「もっと、とっつき難い、こう…」
言葉が出てこないのか龍大が他所に視線をやって考えている。威乃の幼馴染でもあるので悪く言わないように考えているのか、それに思わず笑った。
「つんつんしてる?」
「あー、まぁ、そう」
「あんな感じやで。ちょっとハルよりドライなだけ。普通に話せるし。でも現実的なのはハル。突撃型なんが夏にぃ」
「そんな感じ」
身体にフィットするトレーニングウェアを着て、そこで身体を解す。威乃はそれを見ながら、きゅっと唇を結んだ。
「じゃ、やるか」
夏色が初歌に飲んでいたミネラルウォーターのボトルを渡すと、両腕を伸ばしてクロスさせ引っ張る。肩が中に入り込んで腕の関節がグッと反れたのが見えた。
身体が、筋がかなり柔らかいのかと龍大はそれを見て夏色と対峙した。にやりと笑う唇に黒子が見える。前髪の長さが右側の方が長いのはそういうデザインか。変わった髪型だなと思った。
「観察は終わりか?」
「…?ああ、うん」
「おいおい、抜けてんなぁ、お前。まぁええわ」
龍大の性格を知らないので少し拍子抜けした感じで夏色は手を出した。龍大はそれに拳をぶつけると二人の目つきが変わった。
「よぉ、どう?」
フロアがよく見える位置に置かれたベンチに座るハルの隣に座ると、ハルが聞いてきた。それに威乃は迷うことなく「負ける」と言った。
「断言かよ」
「無理やて。夏にぃやもん。龍大は、」
言いかけた瞬間、ダンっと大きな音がして龍大が床に叩きつけられて腕を取られていた。一瞬、何が起こったのか分からないようで、龍大は呆気に取られた顔をしていた。
始まってすぐに足を取られてそれを交わしたのに身体が浮いた。いや、足を掬われたのか?龍大はすぐに立ち上がると夏色と向かい合った。
距離を取って夏色の動きを読む。腕か、足か、どこを狙う?と考えていると、スッと目の前から夏色が消えた。いや、腰を落としたのだ。
ボディか!と咄嗟にガードをしたが間に合わず、横っ腹と鳩尾に拳を喰らい、少し前のめりになった瞬間に首に足が回りグルッと夏色ごと倒された。
「あ、さっき、俺がやったやつ!あれやった瞬間、夏にぃも回ったよな」
普通は一緒に回し倒されるのだが、威乃が回ると同時に夏色も回ったのだ。なので、床に叩きのめされることもなく言うなれば床に着地した。普通の人間では出来ないことだ。
「体操選手かよってな」
何度も倒される龍大を見ながら、やっぱりなぁと二人して思った。夏色は規定外なのだ。
「はー、休憩」
夏色は言って初歌の元へ行くとペットボトルを受け取り、一気に飲み干す。一方の龍大はフロアに寝そべったままだ。そこに夏色がミネラルウォーターを持って近づくと、それを差し出した。
「お前さ、誰に武術習ってる?」
聞かれて龍大は起き上がり、ペットボトルを受け取った。
「昔は組の人間に。やけど、基本的には誰にも」
「ふーん、身長いくつ?」
「190くらいだと思う。最近、たぶん伸びた」
また育ったんかい!と威乃が驚く。横にというか身体がどんどんゴツくなってきたなとは思っていたが、まさか縦にも伸びていたのか。
「お前の男、たけのこかよ。にょきにょきと」
ハルも呆れる育ち具合だ。
「俺も育ったよ、170超えたもん」
「そういや、ちょっとデカくなったな」
「ハルくらいになりたい」
「無理やろ、育ち盛りは終わったで」
「絞った方が良いね」
話を聞いていた初歌が言うと龍大は片眉を上げた。
「ウェイトが動きに対して重い。君、結構、動きが軽やかなんだよね。それに錘みたいに体重が乗ってる。負荷が掛かってるんだよ」
ちょっと失礼と、腕を触り、足を触る。それでにっこり笑った。
「張ってるでしょー?自分が思うよりもその張りが邪魔してうまく動けないんじゃないかな?このままじゃ、怪我するよ?」
「パワーはウェイトありゃあええってもんちゃうぞ。起きろ、第二ラウンドや。次は両手でやったるわ」
「どういう意味や」
「夏色は両利きだよー」
初歌の言葉に上から見下ろす夏色を睨むが、それを鼻で笑って返された。
「ハル、これ、長くなるんちゃうの」
「いや、調子の乗った夏色が俺らをもう一回、手合わせやて言う可能性のが大きい」
龍大と夏色の手合わせを見ながら、二人して大きく息を吐いた。
由良雷音は見知った街並みを歩きながら、いつもとは違う違和感に息を漏らした。
「本当だったんだ」なんて独り言を言って、渋々という感じで大名行列よろしく停まる高級車を覗き込んで運転席のウィンドウをノックした。
「あぁ?誰や、てめぇ」
ウィンドウが開いて出てきた顔は極悪人の顔。なるほど、今回はこういうタイプの人かと雷音は眉尻を下げた。
「ここに車を停められると邪魔ですよ」
ニッコリと営業スマイルで言うが、そうですかなんてお利口に聞いてくれるわけもなく更に大きな声で「ああ!?」なんて喚く。もう少し穏やかに穏便にいこうっていうのはないのか。
威勢よく噛み付いてきた男が車を降りると前後の車からもゾロゾロと同じような男達が降りてきた。それを見て、雷音はどうしようかなと顎に手を置いて考えた。ここで一悶着はあまり賢い選択とは言えないけど、でも引くに引けない状態でもある。
「おい!!舐めてんのか!?」
黙る雷音の胸ぐらを掴もうとした男の手を取って、ぐるっと背中側に回して捻りあげる。痛い!!と叫ぶ男の肩を後ろから殴って車に押し付けると「しまった!」なんて今更なことを言った。
「うわー、ごめんね。いや、殴られるのも困るけど、大事にしたくないし。穏便にいきましょ、穏便に」
ぶつぶつ言いながら更に向かってきた男を見て長い足で蹴飛ばす。
「ちょっと、やめてって言ってくれる!?」
「ざけんな!!離せ!!」
「だよねぇ」
「おい、何してる」
車を停めた店の中から出てきた男を見て雷音はようやく男を離した。肩を押さえて「この野郎」だとか「ぶっ殺す」だとか悪態をつく男を、中から出てきた獅龍は容赦なく殴りつけ昏倒させた。
「If you don't shut your fucking mouth, I will kill you.(そのクソったれな口を閉じないと、ぶっ殺すぞ)」
ギロっと睨んだ獅龍に雷音が、ふわっと笑顔を向けるので獅龍が思わずギョッとした。
「クリスチャン・ベールのセリフだ!!」
「は?」
「今の、アメリカン・サイコでのクリスチャン・ベールのセリフと同じと思って!あ、失礼。えっと、どちら様です?」
「ああ!?」
「冗談です、風間組の方ですよね。ここで何を?」
歪みも狂いも一切ないようなパースをした顔立ちの男を前に獅龍は周りの組員に目を向けたが、誰も雷音を知らないようで小さく首を振った。
「お前は?」
「一新一家の若頭ですよ、獅龍さん」
雷音の後ろから出てきたのは明神組の神原だ。隣には護衛である小山内が周りを威嚇していて、男達が一歩、後ろに下がった。
「お前は、明神組だったか」
「ええ、明神組の神原です。直接お話しするのは初めてかと。それで、ここで何をされてるんですか?」
「この辺、一帯の浄化や。見て分からんか?」
「浄化、ですか」
「最近の状況を見て、上が甘いて判断したからや。緩く仕事してたらあかんってことやろ」
「それで、龍大さんの兄上であるあなたが?」
神原がフッと笑うと、目つきの変わった獅龍が手を伸ばした。だがその手を小山内が防ぎ、神原は目を細めた。
「私に手は届きませんよ。ところで、この辺は手をつけて良いと言われましたか?」
「あ?」
「一新一家には手を出すな。それが風間組会長としての考えだと聞いております」
「知るか!」
「言われたでしょう?それとも、やればできると示さないといけないんですか?龍大さんの兄上として」
「お前、次、それ言ったら殺すぞ」
「私も長兄ですが、ああ、あなたが喧嘩を売ったfreakと呼んだあれ、私の弟なんです。それとはもう一人、弟がいるんですけど」
神原は獅龍に近付くと、スッと顔を寄せた。先ほどまでの社交辞令の表情と打って変わり、冷淡無情な表情で獅龍を見た。
「それの兄貴と呼ばれても特に何も思わないんですけど、あなたは違うんですね。なぜでしょう?何か、負い目、それとも引け目でもあるんですか」
獅龍は神原を突き飛ばすと、何も言わずに車に乗った。だが閉めようとしたドアを雷音が押さえた。
「あ、すいません。でも本当にこの辺では何もしない方が良いです。面倒ごとはお互いに避けたいでしょ」
ね?と言って雷音は護衛の代わりにドアを閉めた。走り去る車を見送りながら、雷音は神原を見て項垂れた。
「どうしてああいう挑発的なことを言うんですか?」
「挑発的ですかね?そうかもしれませんね。ですが、身内をコケにされれば相当の報いは必要でしょう?軽いものです」
万里の目をバカにされたことを相当、根に持っているのか。この家の人間は身内を他所から悪く言われることを酷く嫌う。こと万里の目のことに関しては、自分たちがどう言っても周りが言うことは絶対に許さない節がある。
しかし、抉るだけ抉ったなと雷音は肩を竦めた。だが雷音は万里がそんなことを言われたというのは初めて知ったので、神原が代わりに攻撃してくれたのは良かった。自分では、さすがにあのやり方は出来ない。
「雷音さんはなぜここに?」
「衣笠さんが蓮さんに連絡くれたんです。縄張りで風間組が妙な動きをしてるって。まさかあんな大物とは思いませんでしたけど」
「大物、ですかねぇ」
「だって、ご子息でしょ」
「まぁ、そうですけどね」
「何か、まぁ、言えないでしょうけど、何かあるんですか?和花さんの店も乗り込まれたって聞きましたけど」
「そうですね、ここは一新一家の島か。なので独り言でも言いましょうか」
神原がそう言うと、すっと小山内が離れた。
「彼は宗方獅龍。ご存知の通り風間会長の嫡男であり、長兄です。最近、風間組に神木という男が入り、それが組長付きになりました。この男がこの辺一帯を風間直属の支配下に置こうと目論んでおります」
「え?」
思わず声を出してしまい、雷音は口を噤んだ。神原はそれを横目で見ると、空を見上げた。青く澄んだ空を見て、はーっと聞こえるほど大きな溜息を吐いた。
「この辺一帯はあなたも知る通り、明神の島です。一新一家もある程度ありますよね?実は鬼塚の息のかかる場所もあります。そして海の向こうの住人も。この街は糸一本で均等を取れている様な不安定な街です。切れれば全員が敵の大戦争が勃発です。風間会長の腹は読めません。ただ、仁流会は過渡期に来ているかもしれません」
神原は雷音に向き合うとじっと目を見た。
「一新一家とぶつかれば、同じ力同士のぶつかり合いになり得るものは何もないでしょう。そこまでバカではないとは思いますが、今は何を仕出かすのか誰にも分からない状態です。なので、そちらもどうぞお気をつけて」
「それ、誰に向かって言ってるんですか?」
「一新一家、若頭であるあなたに」
「分かりました。なら、こちらもそれ相応の動きをさせていただきます」
雷音は神原に頭を下げると、その場を後にした。
「多分、風間に一新一家が乗り込んでくる。これでこの辺は一時的だけど静かになると思うから、そう由に連絡しておいて」
神原が言うと小山内は小さく頷いた。
「はー、ほんと、ヤクザってクソ」
神原の口癖のような言葉だが、今日に限っては心の底から思って言っているようだった。