空、雨、涕

空series second2


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「一新一家から連絡があったぞ」
パターを軽く振って狙いを定め、軌道を決めた瞬間にゴルフボールをコツンと叩く。それがするすると人工芝の上を走り、吸い込まれるようにホールに落ちた。
社長室にある応接間のソファに踏ん反り返る獅龍は苛立ちを隠さないまま舌を鳴らして神木を睨んだ。
「俺はそいつに言われた通りにやっただけやろ、文句やったらそのアホに言えや!」
「アホだなんて。獅龍さんがお店を間違えるからでしょう」
獅龍と違い姿勢よく座る神木は呆れたような顔をして肩を落とした。
「どちらにしても、一新一家に手を出しかけたことには変わりはねぇ」
「何と言っておられたんですか?」
「息子同士のいざこざってことで、今回は流すが2度目はねぇってことだ」
「あ?あれ、息子?ああ、若頭って言っていたか」
滅多に見ないほど完璧に造形された顔立ちだった。整ったなんてレベルではなく、まるで異次元の産物のようで、一度目にしただけで強烈な印象が残った。
そんな完璧な容姿だが鼻にかけて驕るわけでもなく、獅龍の英語に喜ぶようなことさえ言ってコミニケーションを取ろうとした。
「変な奴やったけどな」
「あそことやるのは時期尚早や。今は手を出すな」
今はってことは、いつかはってことか。長く日本を離れていたせいで一新一家との力関係が分からない。誰かに聞くしかないかと、獅龍は組んだ足をプラプラさせた。
「ああ、お前にやりたい男がいる」
「あ?」
風間が顎で呼ぶと、隣の部屋に続くドアの前にいた部下がドアを開けた。その中から背中を押されて出てきた男に獅龍の顔色が変わった。思わず腰を上げたが、ぐっと堪えた。
「好きに使え」
風間はパターから目を離さずにそう言った。

風間組の総本部の廊下の向こうで見知った顔を見つけて、龍大は嫌なのと会ったなと顔には出さずに思った。
同じように龍大に気が付いた獅龍は龍大とは違い、露骨に顔に出し舌を鳴らす。だが龍大は獅龍の後ろにいる男に顔色を変え、次の瞬間には猛ダッシュで駆け寄り獅龍に掴み掛かった。
周りが驚いて止めに入ろうとするが、龍大がそれを突き放し獅龍の胸ぐらを掴むとそのまま床に引き倒した。獅龍はすぐに龍大の腹に蹴りを入れると肘で龍大の顎を殴ったが、即座に拳で殴り返される。それに獅龍はボディブローを返して、揉み合いながら二人して弾かれるように離れた。
獅龍は身体を転がして起き上がると龍大に蹴りかかったが、その足を取られた。だが獅龍は身体を回転させて取られた足を外すと、反対の足で蹴りを入れた。
龍大はその蹴りを足で受けると獅龍の身体に体当たりして、そのまま壁に押し付けた。その獅龍の後ろで止めに入った部下が折り重なるように潰されて、「やめてください!」と叫んでいた。
「とち狂ったか!この野郎!!Get off me!!」
「片倉がなんでここにおんねん!おかんはどこや!!」
龍大が獅龍に掴み掛かった理由は、獅龍の護衛に混じって片倉が居たからだ。それも顔には痣もある。
片倉は菖蒲が嫁いできた時に菖蒲と共に風間組に入ってきた、菖蒲専属の護衛だ。なので風間組の組員ではなく、元は菖蒲の実家である興神会組員だ。
その片倉がなぜ菖蒲ではなく獅龍といるのか。
「俺が知るか!!使え言われたんじゃ!このボケが!!」
「嘘つけ!!クソ野郎!」
お互いが身体を押し合い跳ね除けるようにして離れるが、すぐに攻撃体制に入り、周りが「ああ…」と頭を抱えた。
龍大の強さもあるが獅龍もさすが、アメリカでのんびり暮らしていたわけでもなく、押され気味ではあるが龍大に付いてきている状態だ。
だが龍大の拳が獅龍の頬に直撃し、一瞬、フラついた獅龍を龍大は見逃さずに足を掬い床に押さえつけた。
「Fucking kill you!!」
「おかんはどこや!!獅龍!!」
「I don't fucking know!!俺も今、こいつに逢ったから知らねぇよ!!あの女にも何年も逢ってねぇ!!」
龍大がハッと見ると、他の組員と一緒に薙ぎ倒された片倉が何とか起き上がり龍大に頷いてみせた。龍大はクソ!と獅龍を乱暴に離すと、獅龍が来た方へ駆け出した。
「龍大さん!!」
片倉が呼んだが振り返ることなく廊下を走り、見えてきた一番奥の部屋のドアをノックもせずに乱暴に開けた。そこに居た神木が驚いて振り返った。
「龍大さん、なんです…っ」
龍大は神木の首を掴むとそのまま書斎テーブルに身体を叩きつけた。首の締まった神木は驚いて龍大の腕を両手で掴んだが、まったくビクリともせず足をばたつかせて暴れた。
「おかんはどこや」
言おうにも首が絞まって離せない神木は龍大の腕を必死に叩いた。その隣の部屋からゆっくりと龍一が出てくると龍大は神木から手を離した。
一気に空気が喉を通り咽せ返る神木の頬を裏拳打ちすると、神木は書斎机の隣の本棚にぶつかり昏倒した。
「まったく、お前はたまに動き出すと派手にやりやがるなぁ」
「おかんは」
「アホの一つ覚えみたいに。そんな年やないやろうが」
龍一は書斎の上に散らばった書類を払い除けるとそこに腰を下ろして煙草を咥えた。最近は着物でなくスーツでいることの多い龍一は昏倒する神木を見ると眉を上げた。
「儂の許可なく自由に出来るとでも思ったんか…懲りひん女や」
「どこにやった!」
「さぁなぁ、どこやったか。お前がのしてもうたから」
倒れ込む神木を見て笑うが、龍大は一歩前に進むと龍一と睨み合った。
「あんたがやったことのせいで、おかんは薬飲まな死んでまうんやぞ。それを管理してんのが片倉や。離してええ思うてんのか」
「片倉はあれの護衛やいうても風間組の組員や。あれと風間に来た時点でな。組員を使うんは組長の務めやろうが」
「やからおかんに付かせてんねやろうが」
「世の中にはヘルパーいうん専属の仕事してる人間やおるやろうが。渋澤の女もそうや。あれだけが特別には出来んやろ」
「風間組の姐を一人でおらせ言うんか!」
一歩も引こうとしない龍大に龍一は笑って紫煙を吐き出した。
「龍大、お前、何か勘違いしてへんか?お前は俺の息子やけど所詮は何の力もない名前ばっかりの若頭。こうして容易く口が利ける立場やないっていうのは分からせんとあかんな」
言うと一瞬の隙を付き龍大の後ろ首を掴むと腹に一発、拳を入れた。前屈みになった龍大の顔を下から殴りあげると龍大はそのまま床に転がった。
「ほんま、心の影響か、ろくなことあらへんなぁ」
龍一は書斎机に灰を落とすと、蹲る龍大を見下ろした。
「一昨日から薬は飲んでへん。片倉も大いに暴れよって」
言いながら書斎机の引き出しを開けると薬の入った袋を龍大の前に投げた。
「タイムリミットはどれくらいなんか、見つけれたらええなぁ」
鼻で笑う龍一を睨みつけると龍大は薬を取って部屋を飛び出した。ドアが閉まると龍一は龍大を殴った手を振って「ブランクやな」と笑い転がる神木の頭を爪先で突いた。
「起きろ、アホが。弱いのぉ」
梶原ならこうはならなかったなと肩を竦める。神木は小さく唸りながら起き上がり「労災通りますかね」と言った。

バンっとドアの音がして威乃はキッチンカウンターから顔を出した。
「ハル、龍大帰ってきたかもー!」
「ああ?お前、おらん言うたやろ」
威乃の新作のケーキの試食に来ていたハルは、龍大がいないから来たのにとぶつぶつ言って玄関の方を覗いた。洗い物をしていた威乃も「予定変更?」とキッチンから顔を出したが、後ずさるハルに蛾眉を顰めた。
殺気立つ龍大は部屋に入るや否や、ソファに腰を下ろして頭を抱えている。その様子に威乃とハルは顔を見合わせた。
「えっと、龍大?」
「あれ、お前、怪我してるやん。それ、お前の薬?」
手に持つ薬に気が付いたハルが言うと威乃が驚いて龍大の顔を覗き込んだ。顔にはやり合ったような痕はあるが、大きな傷は見えない。
「え?どういうこと?」
威乃は龍大の手に持つ薬を取ると、そこに書かれた”風間菖蒲様”の名前にハッとした顔を見せた。
「どこにおるんか分からん。見つけな、手遅れになる」
「どこにって、海外にでも行くって…。え!どっかの組に連れ去られたん!?」
「親父や、あいつ、おかんが勝手したって片倉とも離して」
「そんな!!まかさ、監禁されてるとか!?」
「わからん、どっかにやったって。俺が獅龍のこと言いに行ったからや」
「龍大…。でも、でも見つけな!どっか、風間組の事務所とか!?」
「知ってるとこは回ってきたけど、どこにもおらん」
「おらんて、じゃあどこに」
「おーけ、おーけ」
一瞬で状況を把握したハルは威乃のレシピノートを1枚破くと、簡単な地図を書き出した。
「こういう時に騒ぐんは得策やない。まず、ここが風間総本部、俺も行ったことある。で、ここを拠点として、事務所があるわけやん?」
そこを中心に円を書くと点を打っていった。
「場所はともかく、こういう感じで。えっと、おかんは病気かなんかやろ。ってことは事務所は考えられへんくない?不衛生やし、姐さんをさすがになぁ。ってことはや、ここや」
ハルは拠点から離れた位置に星のマークをつけた。龍大達が今いるマンションだ。
「ここって、お前の持ちもんやないやろ?」
「ああ、ここは組の…あ、」
「やろ?こういうの、どこにある?」
龍大は携帯を取り出すとペンを取って3件ほど住所を書いた。どれもさほど遠くない場所にあるマンションだ。ハルはそれを見ると自分の携帯の地図アプリで確認しだした。
「ほうほう、これってさ、全部使ってる?」
「いや、1軒だけ人に貸してる。それ以外はセーフハウスみたいな使い方や」
「そうか、ほな、行こうか」
ハルは立ち上がると悪巧みを覚えた子供のような顔を見せた。
「俺と威乃はここを当たるから、お前はこっちな。お前が大暴れしたせいで動かされる可能性あるから、時間勝負やな」
「名取も、威乃も?」
「顔だけはバレんようにな。四の五の言わずに動くぞ」
ハルが言うと龍大はスーツのジャケットを脱ぎ、頷いた。

ハルのバイクの後ろに乗り、龍大が教えてくれたマンションの近くの公園にバイクを停めた。見渡せば普通のよくある住宅街だ。
携帯で見た住所を見た限り、グレードの高い住宅街だなとは思っていたが、なるほど龍大が住むマンションほどではないにしても築年数も古くないもので、新興住宅街でもあるそこは次々とマンションや店舗が出来ている状態だ。
公園も新しく、若い母親が小さな子を連れて遊んでいる。ハルと威乃は公園を突っ切ると目的のマンションに向かった。
マンションの1階にある郵便ポストを見て部屋番号を確認する。逃げやすく警備しやすいという点から角部屋を押さえるっていうのが基本なのか、ハルは威乃と顔を合わせた。
「オートロックって厄介やん」
「それな。まぁ、俺らみたいなんがおるからやろな」
「まぁ、ええわ」
ハルは呼び出しパネルで適当な部屋番号を入れて呼び出しを押した。すると一軒目は誰も出ず、二軒目で反応があった。カメラの位置から離れ、肩口がぎりぎり映るくらいの位置に立つ。
「こんにちは。宅急便です。宅配ボックスがいっぱいでして」
『ああ、はい』
応答した住人は特に不審がることもなく玄関ドアのロックを開けた。
「ありがとうございます」
お礼だけ言って中に入る。
「何階?」
「4階。どうやんの?」
「奇襲かな」
マジかよという感じだが、それしかない。ハルは背負ったリュックからバンダナと伊達メガネを威乃に渡して、目的の部屋に向かった。
「どうやんの?」
「宅配」
「また!?」
「しかないだろ、出てくるとしたら」
「いや、置いとけってなるって」
「じゃあ、どうすんだよ」
ハルが言うと威乃が少し考えて、指を鳴らした。