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カメラ付きのインターフォンって面倒だなと威乃はメガネを掛けてバンダナを首に引っ掛けるようにしてかけた。
フレームアウトした場所にハルが構えて、威乃は息を吐いた。下を向いたままインターフォンを鳴らすと、少しして『はい』と反応があった。
「あ、すいません、下の家のものなんですけど、ちょっと水が漏れてきてるんですけど」
『ああ?水?』
「ええ、どこか漏れてません?台所とか。あれでしたら管理会社にでも」
『あ?待て、ちょっと出るわ』
ガチャンと切れて威乃とハルは顔を見合わせてニヤリと笑った。バンダナを目の下まで移動させて顔を隠すと同時にドアが開いた。
「水って、どれくらいよ」
とドアを開けた男の腕を勢いよく引っ張り前のめりになった男の首の後ろにハルが組んだ手を思いっきり振り下ろす。
ガクンと落ちた男の身体を支えてそのまま部屋に突入する。
「おい、どうした?」
と入り口に一番近い部屋のドアが開いて恰幅のいい男が出てきた。ハルがその男の腹を蹴って男ごと部屋に転がり込むと肉付きの良い顎に思いっきり拳を当てた。
「ぐわぁ!!」
「肉が邪魔だ!くそが!」
ハルはそう言うと反対から同じ箇所を目掛けて拳を当てると、ようやく男は昏倒した。
殺風景な部屋に大きなテレビが一台。テーブルとソファ。テーブルの上には競馬新聞やビールや菓子の空き箱が並ぶ。
奥で大きな音がして、慌ててそっちへ向かうと威乃が男を蹴り倒したところだった。
「3人か?」
「多分」
「どこや」
リビングの隣の部屋のドアを開けたが、そこには布団が畳まれているだけで誰もいない。だがその奥から音がしてハルと威乃は奥の襖を開けた。
「おった!」
ベッドの上でぐったりとしている菖蒲を見て、二人して血の気が引く。だが小さな声が聞こえて安堵した。
「連れて行こう」
ハルが菖蒲を抱き上げた。長身だが痩身で驚く。力を入れたが自力で立つことが出来ないようでハルが足元に視線を移した。
「あ、おかん、歩かれへんから」
「マジか」
何がなんでも担いで行くしかないなと横抱きにして入り口に向かうと、ハルが倒した男が部屋からゆったりと出てきた。
「うう、お前ら、どこの組のもんや」
まだ頭がはっきりしていないのか、ふらついている。その男の前に威乃が出て構えると乱暴にドアが開いて男が背中から蹴飛ばされた。丸みを帯びた男はそのまま転がり、壁に激しくぶつかるとまた昏倒した。
「あ、」
名前を呼びかけて口を手で塞ぐ。龍大は菖蒲を見るとホッとした顔を見せた。
「行くぞ」
ハルから菖蒲を受け取ると、そのままマンションを出て停めてあった車の後部座席に菖蒲を乗せた。
「お前も乗れ!俺も追う!」
ハルに言われて威乃は菖蒲を抱えるように車に乗ると龍大はエンジンをかけた。そして車を発進させマンションから離れたところで二人して息を吐いた。
「すぐ来たな」
「もう一個のマンションは外装が修繕中で足場がかかってた」
「外から見られる可能性があるんか」
女性が監禁されているようだなんて通報されたら目も当てられない。だがすぐに来てくれて助かった。バイクでこんな状態の菖蒲を運ぶのは不可能だ。
「え?ちょ、待って待って待って、龍大のおかん、体温が下がっとる」
「は?」
抱き上げている頬が冷たくなっていて、唇も紫がかっているように見え呼吸も浅い。それに龍大の顔色が変わるのがわかった。
そして車を端に寄せて停めると、携帯を取り出した。
「どこに連れてくん?かかりつけは?」
「医者は無理や、親父に連絡がいくんは拙い!」
「でも、このままじゃ!」
コンっと車のウィンドウが叩かれる。ハルがバイクで追いついたのだ。
「何してんねん!?」
「ハル!病院!!ヤバいかも!」
後部座席を覗き込み菖蒲の顔を見ると、ハルは手で龍大を呼ぶ。龍大はハンドルを握り、ハルの後に続いた。
病院って嫌いだなと威乃は白い壁を見つめながら隣に座る龍大の肩に顔を寄せた。
「大丈夫やて」
ハルが龍大を案内した病院は『極楽総合医療センター』。極楽院グループが経営する病院で初歌が幼少期に入院して手術した場所である。
莫大な敷地と最新設備。本来は紹介状がないと入れないが、ハルが初歌に連絡を入れてくれたおかげで菖蒲を担ぎ込むことが出来た。
「お待たせ」
龍大達の座る横にあるドアが開き、白衣を着た初歌が顔を出した。
「はい、どうぞ」
二人を部屋に招き入れたが威乃は家族じゃないのに聞いていいのか?と居住まいが悪そうにキョロキョロした。その威乃の手を龍大が握った。
ひんやりとしていて、緊張が見える。威乃はその手を握り返した。
「お母さん、大丈夫だよ」
初歌の言葉に龍大が息を呑むのが分かった。だがPCのモニターを見ながら難しい顔を見せる。
「といっても酷いね、内臓とかね。手術も何回かしてるんだね。君が薬を持ってきてくれてよかったよ。投与して点滴もして状態は落ち着いたから安心して」
「初歌くん、ごめん、無理言うて」
「容態の悪い人を診るのは医者の勤めだよー。でも、うちに連れてきてくれて良かったよ。ある程度、僕のゴリ押しでいけちゃうからねー。しばらく入院してもらうことになるけど、それは平気?」
龍大は小さく頷くと、迷ったように口を開いた。
「それは、問題ない…。やけど、ここにおるんが漏れるんは」
「トラブルなのかなー?」
「今回こんなんなったんは、龍大のおとんが菖蒲さんの薬を管理している人と引き離して監禁してたから」
言いにくそうな龍大に変わり威乃が言うと初歌は「わお」と肩を上げた。
「風間組のそういうトラブルか。じゃあ、ここにいる間は偽名でも使ってもらおうかなー。大丈夫、セキュリティは万全だよ。極楽院として保証する」
極楽院が守ってくれる。それは心強く、威乃は安堵した。部屋を出ると諸々の手続きのために事務局へ行く龍大と入れ替わるようにしてハルが現れた。
「ありがとう、ハル」
「俺は何もしてへんし。まぁ、初歌くんのおかげやな」
「梶原さんには?」
「言うてへん。俺が言うんも変やし、これは風間組の、身内の問題やろ。俺とお前はパンピーやで」
「そうやな」
ヤンキーなりの順序を弁えるところは変わっていない。威乃が思わず笑うとハルに小突かれた。
龍大は事務局で手続きを終わらせると、ふと廊下に目をやった。廊下の向こうにいた初歌が手招きをしていて向かうと、にっこりと笑った。
「お母さんに会って行きなよ。少しならいいよ、僕も立ち会うけどー」
「無理かと思うてた」
「威乃くんが居たからね。彼はほら、お母さんのことがあるから」
状態の悪い菖蒲に逢わすのはということかと、龍大は眉を上げた。初歌に続くとロックキーの必要な扉の前に辿り着く。そこを専用のカードで開けると、また廊下だ。
「一般病棟だとね、何かあるとねー。ここは本来は病棟じゃないんだよね。研究的な場所。だからお母さんに付く看護師も限られていて、みんな優秀だからねー、だから安心して」
「助かる」
小さく言うと初歌がにっこり笑った。名前の表示も何もされていない部屋のドアを軽くノックしてドアを開ける。中から夏色が出てきて、思わずギョッとした。
「専属ボディーガードや。ありがたく思え」
ニヤリと笑われムッとなる。完膚なきまでにやられたせいか、好感度ゼロだ。
夏色を押し退けて中に入ると菖蒲が手を振っていた。細い腕に点滴が繋がっていて龍大は眉を上げた。
「参ったね、あのクソジジイ」
第一声がそれかと近づく。広い部屋で応接セットと大きなTVも備え付けられている。部屋にトイレも風呂も完備されているようだ。
「片倉は獅龍についてる」
「へぇ、そう。でも、返してもらわんとあかんわぁ。片倉のやないとコーヒーも紅茶も飲まれへん」
菖蒲は溜息をつく。悪態はつくが顔色も悪く呼吸も浅い。点滴を見てみるが、何が入っているのかさっぱりだ。
「栄養剤と炎症止めだよ」
龍大の後ろでソファに座った初歌が言う。
「何で急に親父が片倉引き離してん」
「クソジジイに聞いてよ。あたしは分からん」
「ずっと疑問やってん」
「なにが」
「何が気に入らんで親父はおかんを殺そうとした」
部屋の空気がピリッと変わった気がしたが龍大はそれに気が付くわけもなく、菖蒲は龍大を睨みつけた。
「あんたのその空気読まんとこも相手の気持ち汲み取らんとこも嫌いやわ」
「親父が訳わからん動きし出して獅龍を呼びつけて、更に訳のわからん行動しかしてへん。神木っていう若いのが付いてからっていうのもあるけど、そもそものスタートはそこちゃうかって思ってる」
「なーんも考えてへん顔してるくせに、そういうとこ敏いな、あんた」
菖蒲は大きく息を吐いた。
「内臓はきちんと機能してるんは7割、敗血症性ショックを起こして、臓器不全。よぉ生きてたわ。ねぇ、せんせ」
「そうですねー。今の状態が万全とまではいきませんが、診察する限りでは、頑張られたんだなって思いますよー」
「ことの始まりはあたしが敵対組織に拉致されたことから始まる」
「は?そんなん知らん」
「そりゃそうやわ。あんたも獅龍もまだ小さいし時やし。護衛の組員とともに攫われて、クソジジイを呼び出すカモにされたんや。目の前でレイプして殺す言うてな。やけど、あの男、来よれへん言うてな」
「は?」
「作戦やったんか何や知らん。梶原もまだおらんから分からん。やけどそれを聞いた片倉が慌てて鬼塚組の若頭やった山瀬に連絡したんや。救ってくれってな。それで心の父親である鬼塚が手を下すことにした。やけど表立ってそんなん出来ひんから言うて送られたんが入って間ぁない佐野彪鷹」
「ああ、彪鷹…」
「裏で一人で動いてたあの男は一人で乗り込んで、一人であたしを助けた。命の恩人やけど、あの男の常軌を逸する残虐性と目の前で繰り広げられる凄惨さがな…。ヤクザを知ってるつもりでおったけど、あの男はそれとはまた違うもんやった。結局、助けてもらっても礼も言えんかった。今でもそのせいであの男の名前聞くと震える。あのときのシーンが全部蘇る」
「それは仕方がないことです。幸福感より不幸感が印象に残るのと同じで、助けてもらった安堵感よりも極限の緊張感の方がインパクトがすごいんですよ」
話を聞いてた初歌が言う。菖蒲は笑って、話を続けた。
「何にせよ、それで助けてもらってから治療も兼ねて鬼塚組に一月ほどおって、風間に帰ったくらいからクソジジイと折り合いが悪くなってな」
「助けてくれへんかったからか」
「それもあるかもしらんけど、クソジジイが明らかに態度がおかしいてな。鬼塚が片倉に言われたくらいで何で動いたんやて。なんかあるんちゃうかって」
「あ?」
「はーい、はいはい」
後ろで間の抜けた声で初歌が手を上げた。
「僕、わかったかも。菖蒲さんの心変わりを疑った!じゃない?」
「ええねぇ、先生。遠からずよ。クソジジイは浮気を疑った」
「は?」
「あんたを鬼塚清一郎の子やてな。あんた、よぉ言われるやろ、心に似てるて」
思わず龍大が顔を歪めた。確かに心当たりはあるが、自分ではそこまで似ているとは思えない。
それなら従兄弟である眞澄の方が似ている。あちらは血縁者としてのそれだ。龍大のは雰囲気が似ている、他人の空似だ。それも何となく雰囲気がという曖昧なそれだ。
「アホやろ、そんなわけあらへんのにな。それで、あの日、あたしがクソジジイに叩きのめされたとき、あの日も些細なことで喧嘩になって、あんたに対しても酷い態度取るもんやから、鬼塚の子やったら問題なんか言うてもうてな、ジジイのトリガーが外れたんや」
「心の親父は子供が出来ひんねやろ。やから心は実子やないって疑われたって」
「そうや。それは有名な話やし、風間は誰よりも鬼塚と親しくしてたから知ってたはずや。そもそも鬼塚があたしを相手するわけがない。そういう男やあらへんのに、アホよなぁ。山瀬と片倉がおらんかったら、殺されてたわ。片倉の、姐さん殺す言うことは興神会と全面戦争も受け入れるいうことかってな、牙剥いて」
「極道戦争のせいで施設に入れられてた思った」
「それもある。タイミングは何回目かの手術のときやな。仁流会の会長を風間が就任して、そこから忙しなって、あたしも片倉と家出されて落ち着いた感じやわ」
龍大は風間本家で過ごした記憶はあまりない。菖蒲とともに別宅で住んでいたし、年相応になるとマンションを当てがわれ、そこへ移動していた。
獅龍は本家に居たが、バカをやって日本を追い出されていたので実際、家族として過ごした記憶はほぼない。
そんなものだろうと思っていたが、まさかその背景にこんなことがあったとは。
「自由になりたいわぁ」
菖蒲がそう言って笑った。