「風間の…兄貴?」
湯船に二人で浸かり、そこで初めて宗方獅龍の素性を聞きハルは眉を上げた。
「似てるとは思ったけど、まさか兄貴とは。しかもオシャンティーな風間」
「知らせ聞いた時は、殺されたか思うた」
梶原はそう言うと、後ろからハルをぎゅっと抱き締めた。獅龍達を回収していったのは風間組の部下達だったのか。その知らせを聞いた梶原が飛んできたということか。しかし…。
「なんで意味なく殺されなあかんの、俺。風間の兄貴に面識もないし、風間組には贔屓にしてもろうてるで、うちの店」
「獅龍さんは自分が好かんかったら、何でも壊していくんや。今回は威乃さんにも逢うてもうたし…」
「威乃?へぇ…」
あまり答えになってない。人から常に好印象を持たれようと行動しているわけではないが、何の面識もない人間に端から嫌われている、それも殺したいほどにーとはどういうことか。
とはいえ、風間も変わっているので兄貴も変わっているんだろうと深く考えずにいた。ちょっと感情が極端なところとか周りが見えないとことか、理解し難い思考回路というとこか。
「それより、獅龍さんをあそこまでしたんはやりすぎやぞ。部下の連中も」
「あ?あー、あれは俺の仕業やあらへんし。つうか、こっちも最悪かも」
抱きしめてくる梶原の腕を解いて向き合う形で座る。やっぱり狭いなと思ったが、首を伸ばせば軽く唇が触れ合う距離は好きだと思った。
「最悪って?」
「あれをやったんは夏色っていう、俺の兄貴やねんけど…」
「兄貴?兄貴があそこまで凶暴やなんて聞いてへんぞ」
そういえば言ってなかった。だが、言う必要も特にないかなと思っていたし、まさか帰ってくるなんて思いもしなかったと梶原の腕を取って自分の腰に回すとそのまま持ち上げられ、上に座るように移動した。
いや、これまた熱が再熱しそうだなと思っていると、梶原もそのようでちょうど良い場所に来た胸にちゅっと吸い付いてきた。
「いやいや、もうせん。ほら、俺らの高校あるやん?あの学校をあそこまでにした張本人つうか…」
「おいおい、とんだ悪ガキやないか」
「いや、悪ガキどころか…サイコキラーやで、夏色は。帰国してきたタイミング最悪やな」
「帰国って、どこにおってん」
「どこやろ?よぉ知らんわ。やて傭兵やもん、夏色」
「え?」
お湯の中に入れて滑りの良い尻を弄り始めていた不埒な手の動きが止まった。さすがに傭兵と聞けばそうなるか。
「夏色の幼馴染と紛争地に行ってなんかしとる。幼馴染が紛争地とかで怪我人とか助ける、あれあれ、国境なき医師団みたいなん。夏色はその幼馴染の護衛かな。俺もよぉ知らんけど、とりあえずそういうところで戦闘が出来る人ってこと」
「傭兵って、日本人やろ?兄貴、やろ?」
まさかの血縁関係を疑われ、ふっと笑った。だが確かに日本人で傭兵というのは世界でも僅か。そもそも銃刀の所持が法律で禁じられている国において、銃を人に向けて戦うようなことは非現実的であり、想像し得ない世界だと思う。
報酬を得て戦争に参加し、人を攻撃する。現実にあることだが遠い国の話は所詮は違う世界の御伽話のようなものだ。
「傭兵として戦争に参加して腕磨いて、これでいけるってなった頃合いで幼馴染が合流してん。サイコやろ。死ぬかも知らんのに」
「冗談抜きで言うてんのか?」
「俺も聞いた時はアホかなって思ったもん。でも兄貴やねん、これがまた残念なことに。従兄弟でも再従兄弟でもない兄貴」
さすがの梶原も言葉を失った。傭兵として戦争に参加して腕を磨く、しかも日本人だ。それがどれだけハイリスクなことか。
「でも俺が止めんかったら獅龍ってあいつ、どこまでされとったか。獅龍って奴も危ない人間かもしらんけど、ブレーキぶっ壊れてる状態は夏色のが上やから。こんなん言うても信用せんかもしらんけど、風間組ぶっ潰すんも夏色やったら一人でも出来るで。あいつ、生まれた国、間違えた男やから」
いつになく真剣な顔でハルが言った。
名取夏色。ハルの実兄である夏色は幼い頃からハルの中では悪魔そのものだった。暴力的だとか嗜虐的であるとか、目に見えてそういうことがあるわけではなかったが、常に自分を抑え込もうと息苦しそうだったのを覚えている。
だが抑え込んでいたマグマが爆発したのがハルたちの母校でもある嶌野原高校へ入学したときだ。ハルよりも長身で見た目も目立つ夏色はすぐに上級生に目をつけられた。
その頃はまだ少しやんちゃな子が居るというくらいの一部の不良が存在するような学校で、夏色に目をつけたのも上級生の一部の不良という部類に分類される人間だった。
呼び出されて殴られる、それくらいでは夏色のリミッターは解除されなかった。
だがある日、幼馴染と一緒に居るときに運悪くその連中に見つかり、小競り合いになった夏色とその連中の仲裁に入った幼馴染を一人が突き飛ばしたのだ。
猛獣が解放された瞬間だった。
6、7人居た連中は全員が入院を余儀なくされるほど夏色に叩き潰され、そのまま学校を自主退学した。夏色に逢うのが恐ろしくてというのが理由だ。
そのあとも他校から夏色の噂を聞きつけた人間と暴力沙汰になったが、一度解放された猛獣が檻に戻ることはなく、夏色は高校在学中、暴れに暴れまくりその名前と学校名を有名にした。
鬼がいる学校と恐れられた嶌野原高校は荒れに荒れ、結果、行き所をなくした荒くれ者ばかりが集う高校という末路を辿ることとなった。
「夏色は卒業してから大工やっててんけど、その幼馴染が医者になってちょっとしてから紛争地域行く言いだしたもんやから、傭兵になってん」
「はぁ…なんや、漫画みたいな男やな」
「極道って極道っていう括りの中に入るから、まぁ、それなりの喧嘩の仕方するやろ。夏色はただの狂犬やからな。見逃してください、ごめんなさい、もうしませんが一切、通用せん。なんやったら生まれてきたこと後悔するくらいの容赦ない暴力で叩き潰されるからな」
「ハルも何かされたんか?」
頬の雫を指先で掬われる。どこか心配そうな顔にハルは吹き出した。
「俺?されるわけないやん。夏色は弟である俺に一切、関心がなかってん。弟っていうか誰にも関心がないつうか。でも夏色のトリガーでもある幼馴染の人が俺のことベタベタに可愛がってたからな。俺に何か出来るわけないねん」
「幼馴染って女か?」
「いや、夏色よりも2つ上の良いとこの坊ちゃん。夏色よりも先に俺と知り合ってん。俺、小児喘息で入院してたときがあって、そんときに同じ病院におったんがその幼馴染。昔は大人になられへん言われてたのに、手術が成功して立派に大人になりはったわ」
「良いとこのって、じゃあ、お姫様と騎士ってことか。しかし、獅龍さんは心にも喧嘩売って、一体、どないしたいんか…」
「心?鬼塚心?どないしたいて…」
獅龍は困惑するハルに敵意剥き出しの目で見てきた。初対面なのにだ。気に入らないから殺すというよりも何か違うような、あの目は一体…。
「まぁ、とりあえず、帰るわ」
考えても仕方がない、目先の問題を先にどうにかしようとハルが湯船からお湯とともに這い出ると、梶原が腕を掴んだ。
「帰るんか?平気か?獅龍さんがまた何かするとは思えんけど、せんとは言われへん」
「言うたやろ?夏色なら風間組も潰せるて。家に帰れば夏色がおるし、獅龍君とは一度会えば十分やわ。俺も」
言って、梶原の額にキスをした。
とは言ってみたものの、玄関の前で一呼吸してドアノブに手をかける。若干、震えているようなそれにダセェなぁと自嘲する。
だが、このドアの向こうにいるのはまさしく悪魔だ。数年、音沙汰もなく逢っていなかったが獅龍達を叩きのめした惨状を見る限り、成長は全くしていない。
誰とか、何が起こったとか関係なく自分のベクトルで敵認定すれば叩き潰すところ、全然変わっていない。というか、強さに磨きかかってるよね、あの人。
攻撃に隙がないというか、動きの速さと人の急所への攻撃。一体、どこの国にいたんだか。
「はー、俺らしないやんけ」
兄貴に会うだけでどうしてこんなビビらないといけないのかと、ハルは意を決してドアを開けた。
「あ、ハル君だー。おかえりー。玄関で物音がするから何かと思ったー」
「
玄関を開けて真っ直ぐのところにあるリビングで、愛猫の大福と戯れていたのは夏色のリミッターでもある極楽院初歌だった。ハルは玄関を見て、見慣れない靴が一足しかないことにどこか安堵した。
リビングの明かりの下で久々に逢う初歌の顔色はどこは青白く見え、痩せたようにも思える。何年経っても、いや、年月が経てば経つほどに儚げに見えてゾッとする。
病弱で死ぬ死なないという日々を何年も過ごしてきたせいか、ハルの目にはそう写ってしまう。青白く見える肌と優しさが刻まれた垂れた目尻。だが意思が強く頑固者という面も持ち合わせていて、ニッコリと笑うそれに騙されてはいけない。
くりんと大きな目も極楽院家の人間が継ぐと言われている淡褐色の目も、にっこりと口角を上げて笑うところも全部、何も変わりがないなとハルは少し安堵した。
「夏色は?」
「コンビニだよ。ねー、ゴロニャン」
「ゴロニャンって名前やないけどね」
えー、と笑う初歌の向かいに腰を下ろしたと同時に玄関のドアの開く音がした。悪魔降臨だ…。一気に心拍数が上がる。
ハルが極道者に臆せずに居れたのは、それよりも恐ろしい男を知っているからだ。存在だけというよりも一緒の空間にいることさえも緊張する相手。それが実の兄なんてなと息を吐いた。
「初歌、飯は何にする」
ハルに視線も向けずに初歌にだけ会話をするところは相変わらず。夏色にとって初歌意外は透明人間。変に話し掛けられても困るので丁度いい。
「えー、日本食。あ、そうだ、ハル君、ヤクザに絡まれてるって?」
「は?」
どうしてそれを?と目を丸くする。
「大丈夫ー?何か大変なことない?お爺さんに言う?」
「いやいやいやいや、言わへん言わへん」
極楽院家に何をさせる気だ。世間知らずの坊ちゃんはたまにウルトラ級の爆弾を投下しようとするので恐れ入る。
自分の家の権力や自分の発言力の強さの認識がないのも恐ろしいところだ。
「本当?大丈夫?あ、知り合いの人なのー?」
「へーき、マジで」
「春一」
背後の夏色の声にハルは嘆息した。関わらないで欲しいから答えを濁したこれが夏色は気に入らないのだ。
初歌に聞かれたことは初歌が納得するように答えないといけないというのが夏色のルールだ。それは誰に対しても問答無用で適用されるルールで、無下に扱うものなら粛清される。
それをあまり分かってない初歌は悪魔の横でほほ笑む天使ではあるが、ハルからすれば初歌は悪魔を操る魔王じゃないのかとすら思う。
「あー。風間組っていう極道なんやけど、俺の働いてるガススタを贔屓にしてくれとんねん。まぁ、その風間組と関わりがあった奴が勘違いしてうちの店で暴れただけ」
「そんなことある?でもハル君のお店なら、お爺さんにも言っとくね。ご贔屓にーって」
「いや、待って、本当に小さな小さなガススタやから。極楽院家の車とか扱うようなとこちゃうから」
本当に勘弁してくださいと顔を青くした。ただでさえ謎に高級車が出入りするようなガススタに極楽院家のハイスペック車が出入りを始めれば、本当に客が離れる。
そして店長の三島が卒倒する。極道者と関わりがあるのも今のご時世ありがたくない話なのだ。それに加えてそんな疲労…。
「そうかー、まぁ、それもそっか。ごめんね。あ、夏色ー、あれがいい豚汁」
「ああ、そうしてる」
台所でガタガタ何か料理をしている音がする。掃除しておいて良かったと胸を撫で下ろす。
「ね、ハル君も豚汁好きでしょ」
「美味いからな…。初歌くん、今回はどれくらいおれそう?」
「今回は長いよ。しばらく日本に止まるつもり」
ねー、とまた大人しくされるがままの大福の顔をムニムニ揉むようにする。
「え?身体、なんか悪くなった?」
「全然、元気!」
初歌はガッツポーズを作っているが、その腕は細い。もともと線が細く華奢ではあったが、最後に逢ったときよりもやはり痩せている。どこの国にいたのか環境が合わなかったのか?
心配が顔に出たのか初歌が首を振った。
「ハル君も心配性だ。あのね、元気だけどー、定期検査受けるのー」
「倒れたからな、3回」
夏色の言葉にギョッとした。
「え!?大丈夫なん!?」
「熱中症だよー、暑かったし。でも流石に今回はお爺さんも帰って検査しないと許さないって凄い怒られてねー。もう少し居たかったんだけど、夏色も許してくれないしー」
「マジか、あかんやん」
初歌には夏色よりも何年も長生きしてもらわなければならない。この世界の平穏と言えば過言ではあるが、あのサイコキラーをコントロール出来るのはこの世界で初歌だけなのだ。
なのでどんな状態でも生きて、夏色の手綱を握っていてくれないと困るのだ。