「帰られてたんに、呼び出してすんません」
渋澤は大きな身体を折り曲げるようにして頭を下げた。獅龍さんが帰られましたと連絡を受けた梶原は直ぐ様、風間組総本部へ赴いた。
ハルを襲撃したあと姿を消していた獅龍が舞い戻ったのであればどんな時間だろうと構わない。元よりハルも家に帰ってしまっていたので、どちらにしても総本部へ顔を出すつもりだったのだ。
総本部のビルのとある階の廊下を少しばかり急ぎ足で歩く。梶原の後ろに渋澤が付いているが珍しく少し疲れが見える。
トラブルメーカーのご帰還は部下の間でも話題になっていて、それもあまり良い印象ではないようだ。とはいえ嫡男であることには代わりはないので、声高に不満も言えずにその皺寄せが渋澤達幹部に来ているというところか。
「何か言うてはったか」
「いえ…」
口籠る渋澤に気が付き、梶原が予想がつくという顔をして笑った。
「何や、構わん、言え」
「その、名取の方が先に殴ってきたと。その後に名取の仲間に暴行を受けた。報復をすると…」
「極道に喧嘩売るガススタの店員って何やねん。ジャンキーかよ」
梶原はある部屋の前に立つと軽くノックをして扉を開けた。応接室として使われるそこは、部屋の中央にソファセットが置いてあるくらいで絢爛豪華な他の部屋に比べれば簡素なものだ。
そのソファセットのソファに寝転がる獅龍は梶原を見ると舌を鳴らした。
「何や、秀治」
「獅龍さん、何であの店に行ったんですか」
「組の御用達やろ。車にガソリン無かったら入れにいくんが普通ちゃうんか。それをあのクソガキ」
「獅龍さん、相手は堅気ですよ。それに獅龍さんがわざわざ入れに行かんでも、言うてくれたら下の者が動きますよ」
「ああ!?俺がどこ行こうがええやろうが!それになぁ!堅気が俺の部下どもを一人で伸すか!?どっかの組の人間やろ!渋澤!俺は秀治やのうて、そのアホを連れてこい言うたんじゃ!」
大声で喚き散らしてもまだ怒りが収まらないのか寝転がるソファの背もたれ部分を蹴飛ばす。癇癪持ちもここまで来ると病気だなと秀治は肩を竦めた。
「獅龍さん」
秀治は獅龍の前にテーブルに腰を下ろした。それに忌々しいと言わんばかり獅龍は外方を向いた。
「ここは日本です。今の日本は極道モノには肩身の狭い世の中で、例えば、獅龍さんの持ってるそのナイフ、それ一つでオヤジにワッパがかかることもある」
「じゃかましいわ!俺をアメリカに追いやったんはお前らやろ!今になって俺を呼んどいて、日本の法律翳して俺に講釈たれるつもりか!」
怒りで顔を紅潮させて獅龍は起き上がり、今にも梶原に掴みかからん勢いで牙を剥く。梶原はそれに嘆息した。
龍大はどちからと言えば寡黙、それは良いように言えばだが物静かで喜怒哀楽が表に出ないので表情が読み取れないところがある。
だが獅龍はと言えば喜怒哀楽の”怒”だけが常にスイッチの入った状態だ。
「獅龍さん…」
「騒がしいのぉ」
唐突にかかる声に梶原はすぐに立ち上がり頭を下げた。獅龍は更にイラついたのか、髪を掻き毟り声にならない声で呻いた。現れた龍一はそんな獅龍を見て、そして手前のソファに腰を下ろした。
「何や、お前、また暴れたらしいな」
獅龍は言葉にせずに舌を鳴らした。それに龍一は笑うと煙草を咥えた。そこにすかさず梶原が火を向け渋澤がクリスタルの灰皿をテーブルに置いた。
「堅気やて聞いたぞ」
「うちに出入りしてる、以前の襲撃の際の…」
「ああ、あれか」
梶原が耳打ちすると龍一は煙を吐き出しながら頷いた。龍一と梶原が襲撃をされた際、二人の命を救ったと言っても過言ではない、その役割をしたのがハルだ。
組員であれば一発で幹部昇格の功労ではあるが、気質の、しかも学生相手となると話は別だ。要らぬことを他所で話さないで欲しいとお願いする上で、その見返りとして勤務するガススタへの貢献をする。
Win-Winの関係とも取れるが、今のご時世では極道者が出入りするのはあまりありがたいものとは言い難いだろう。
「そう言えば、お前、心に逢うたらしいな」
「心?」
「鬼塚組組長や」
「あのクソか」
やられたことを思い出したのか獅龍が無意識に腹を撫でて舌を鳴らした。傲岸不遜さで言えば獅龍の方が上だろう。だが獅龍はそれが強すぎるが上に自分の力を過信しすぎているところがある。
癇癪持ちだしなぁ…と梶原は一人、肩を竦めた。
「獅龍よ、嫌いか、心が」
「ポッと出の隠し子やんけ。血縁関係も怪しいような人間に仁流会会長補佐に就かせてどないすんねん!」
「驕傲な男は嫌いや。反りが合わん。自分の力量の分別がつかん人間も同じや」
「ああ!?」
「心の言葉や。一理あるなぁ」
心の言いそうなことだなと梶原は眉を上げた。心の長けたところは、その人間の力量や人間性を瞬時に見極めるとこだ。
少ない人間で始めた鬼塚組の急成長がそれを如実に物語っていて、心が選別した組員は三下の者も多々いたが間違いなく一流だったということだ。
「親父は!!…くそ!もうええわ!」
「殺すか、心を」
龍一の言葉に梶原も渋澤もギョッとした。さすがの獅龍も顔を歪めて笑う。
「何を言うとんねん、意味わからんわ」
龍一は煙草を灰皿に押し付けると「煙管のがええなぁ」と呟いた。
「お前はどこまで知っとるんか、今の鬼塚組は言うたら山瀬一派の集まりや。心の力量は底知れず、支える周りの力もデカい。お前が心を殺すか、それとも手ぇ合わせるか。結果次第では戻ってこさせてもええ」
「日本にか」
獅龍の生唾を吞み込む音が梶原まで聞こえた。獅龍が今、一番、望んでいること。言わば”餌”だ。
「お前もアメリカで学んだこと山ほどあるやろ」
「あっちは日本の常識なんか通用せんぞ。俺が学んだんは、そういうやり方や。やから親父の言うそれは、どんな手ぇ使ってもええってことか」
「判断間違ったら、お前は二度とこの国に帰ってこられへんぞ。下手したら心に命取られるかもしらんしな。それに関しては儂は何も言わへん。お前は儂の後ろ盾がない思うとけ」
龍一に言われ獅龍はそれを鼻で笑った。
「子供やあるまいし、龍大みたいに親父の後ろに隠れて満足せんわ。俺のやり方だけでやる。それに関して親父は口出しすんなよ」
二人の会話を聞きながら渋澤の目が梶原を見た。梶原も困惑して、目を忙しなく動かしている。この親子は一体、何をしようとしているのか。
眞澄と心のいざこざなんて比べものにならないほどの紛争を起こすつもりか。獅龍が、というのがまた厄介だ。
「ところで」
困惑する梶原に龍一が顔を向けたので、梶原はすっと表情を戻した。
「総会に部外者が入り込んでたらしいな」
「部外者…ですか」
「俺に蹴りかました男やろ」
「ああ、部外者というか…」
「自分の息子です。若の高校の先輩でもあって仲もええんで、久々にみんなで飯でも行こうと自分が入れました。事前に兄貴には断りを入れてました」
渋澤が梶原よりも先に口を開き、梶原はそれを横目で見た。
「お前の?ああ、お前、子持ちと結婚したんやったか。しかし、龍大は人付き合いの苦手なやつやと思ったけど、そういう付き合いもしとるんか」
「あ、ええ、ガススタの名取も龍大さんの先輩にあたります。三人で年相応の遊びもしてはりますよ」
「ならええ。あいつはどうもその辺が抜けとるからな」
梶原は答えながらも背中に妙な汗をかいた。すると龍一が梶原に人差し指を向けた。
「それはそうと渋澤の舎弟におったやろ、若いのが。あれをこいつに当てがえたってくれ」
「小沢ですか?え、オヤジ、心のこと本気ですか!?」
「相手があれならなんも問題あらへん。獅龍がどこまで利口になったか見れるやろ、なぁ?」
獅龍は返事をすることなく舌を鳴らすだけだった。
「すまんかったな、渋澤。威乃さんのこと」
廊下を歩きながら言うと、渋澤が首を振った。
「いえ、龍大さんが入れたとなるとまた色々と問題がありますし…」
「そうやな。助かる」
「自分は…」
「え?」
立ち止まる渋澤を振り返る。強面で寡黙な男が背を正して頭を下げた。
「家族を持てて、嫁も子供も出来て、正直なところ誰よりも守りたいんはあの二人です。すんません」
「アホか、それが普通やろう」
梶原は眉尻を下げて笑うと、渋澤の肩を叩いた。
「兄貴、組長の言うてたのは本気ですか」
「獅龍さんじゃあ、もしタイマンになったとしても心に傷一つつけることできひん。獅龍さんがアメリカで過ごしたいうても、あれじゃあ崎山にも秒殺されるわ。やけどあんなこと言うてもうたら調子乗る。オヤジ公認で鬼塚に喧嘩売れ言うてるも同じや。小沢に獅龍さんのこと逐一報告しろ言うとけ。こっちの人間つかせれるだけラッキーや」
「はぁ、でも小沢…泣いてましたけど」
「泣きたなるやろ、そりゃ。それにな、獅龍さんの狙いは心やない」
「というと?」
「本命は龍大さんや。俺は龍大さんのとこに行ってくるから、獅龍さんに何や言われたらうまいこと言うとけ」
「わかりました」
「親父が心を?獅龍に?なんで?」
龍大の家に来た梶原が獅龍と龍一のやり取りを話すと、意味がわらかないとばかりに龍大は首を傾げた。
いや、何ででしょうねぇと梶原も表情で語る。龍一の腹の中は読めない。心にコテンパにやられて改心させる荒行事でもするつもりなのか、だとすれば相手が悪い。心だ。
眞澄の時はさすがに従兄弟で血縁関係もあるぶん心も引いたが獅龍に関しては良い印象も持ってはいないだろう。襲撃でもしてくれば即敵認定だ。そうなれば心を止める術を梶原は知らない。
もしものときを考えると、やはり彪鷹に話を通しておくかと項垂れる。
「ああ、あと獅龍さんがハルの兄貴の行方も血眼になって探してるんで…」
「え?ハルの兄貴って、まさか夏にぃ、帰ってきてんの?」
梶原と龍大のいるソファセットの近くにあるカウンターテーブルでレシピと睨めっこをしていた威乃が顔を上げ振り向いた。
「知ってますか?ハルの兄貴やて言う」
「知ってるも何も…。俺らの先輩ら捕まえて名取夏色の名前出してみ、漏らしよんで」
「そんなに?」
「言うてもハルの兄貴やから、俺とかには全然やけど、いや、もう何、存在感っていうかオーラっていうか、街中でジェイソンにバッタリ逢ったくらいの緊張感」
いや、全然分からへんと梶原は苦笑いをする。
「名取、兄貴おんの?」
「おるよー、あの学校をああした張本人や。ハルはサイコって言うてたけど、何ていうんかなー、サイコっていうよりも偏愛やな。最近、知った言葉やけどそれに近い」
「偏愛?誰に?」
「幼馴染の初歌くん。俺みたいなんにもめっちゃ優しい聖人君子が服着て歩いてるみたいな人」
「それ、ハルにも聞きましたけど、ほんまやったんですね」
「夏にぃからしたら地球は初歌くんのために回ってる。ほんで俺らは雑草や。そうやな、龍大、お前でも夏にぃには敵わへん」
「あ…?」
さすがに龍大が片眉を上げた。
「これはしゃーあないねん。夏にぃは次元がちゃう。格闘センスとかそういうんやない、あれはな、呪いや」
はぁ?と梶原と龍大は声を上げた。
「その初歌くんって何者ですか?サイコとか、ハルも兄貴のトリガーやて言うてましたけど」
「何者って…、初歌くんは幼馴染やで、病院で知り合って」
「それは聞きましたけど」
「
威乃が言うと梶原がギョッとした顔を見せた。
「え?極楽院?まさかあの、極楽院?」
「そんなある名前やないからその極楽院と思うわ」
「おいおい…元華族やないですか。しかも今じゃ日本屈指の財閥。あのフロックハート一族と交流のある唯一の日本人って言われとる」
「フロックハート?」
「世界屈指の大富豪ですよ。大富豪っていうか公爵です。ウィルドルバニア公爵。今の当主はオリバー・フロックハート。息子のクレア・フロックハートは最高級ホテルのコーレシアル・リージェンシーの創始者ですわ」
「あ、知ってる。世界ランキングにも入るほどのホテルや」
「威乃さん、よぉ知ってますね」
ちょっと意外ですとは口に出さずして言うと、威乃は大きく頷いた。
「そこのパティシエがうちの学校に講師に来たことあんねん。コーレシアル・リージェンシーのパティシエなんかパティシエ大会で優勝してるとか、そういうのんばっかりやからうちみたいな学校になんで来るんやろうってみんなびっくりしてた。レベル関係なく技術は提供するものっていうんが、そこのホテルの経営者だか社長だかの考えやねんて。実際、凄まじくて提供されるどころか神業連発でみんなドン引き。でも梶原さん、めっちゃ詳しいよね」
「裏組織の御法度なんでね」
「勉強が?」
え?なんでそこ?と思いながら、にっこりと笑顔でやり過ごした。
「まぁ、そのウィルドルバニア公爵…フロックハート一族ですけど、色々と謎の多い一族でとにかく徹底してのマスコミ嫌いでしてね。それどころか裏社会の人間でも関われば潰されるんですよ、跡形もなく」
「どういうことや」
興味を持ったのか龍大がようやく口を出した。
「世界屈指の大富豪、しかも公爵ともなれば様々な世界の人間が関わりを持ちたいと思うもんでしょ。ところが当主のご尊顔はさすがに知られていても、その家族が何もかも不明なんです。最近になって息子のクレアが出てきとるとはいえ果たして何人兄弟の何番目なのか、そもそも兄弟がいるのか。それも全部謎。やけど謎ってなると人は暴きたくなるもんで、ある国の大手出版社が無謀にも挑んだんですよ、その謎に」
まるでサスペンスの話を聞いているようで、威乃は口を一文字に結んで息を呑んだ。
「世間には出ませんでしたけどね、その謎」
「え?」
「1日で潰れました、その出版社。それだけやない。お近づきにと距離を見誤った裏組織も、政治家も全部」
口の前に指を持っていき、それにふっと息を吹きかけて飛ばすジェスチャーを見せると梶原は目を細めた。
「消えてなくなりました。だから、フロックハート一族は御法度なんです」