空、雨、涕

空series second2


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車で都会から外れたところまで走り、閑静な住宅街に入り込む。緑豊かで長閑なそこは昔からの旧家の立ち並ぶ住宅街でどの家も大きく立派な物だ。
近くにある地下鉄1本で市の中心街に出ることが出来、車では高速に乗ってしまえば数十分。立地最高だなと思いながら威乃は助手席から周りの家を眺めた。
大きな家ばかりが立ち並び駐車された車も高級車ばかりだ。こんなところに何の用があるんだろうとハンドルを握る龍大を盗み見る。
高級車に初心者マーク。とはいえ初心者とは思えぬ慣れた運転には恐れ入るものだ。もしかして出来ないことなんてないんじゃないかと思うほどに。
AMG CLA 45 S 4MATIC+。AMGモデル完全新設計の高級車。ハルが車好き、バイク好きで威乃も同じように車もバイクも好きだったので、この車の価値はよく知っている。
エアロもホイールも標準仕様、ボディカラーも無難な黒。少しメタリックが入っているが、AMGによく見られるボディカラーだ。内装は少し変わっているように見えるが、特に目立ってこれというものはない。だが、その目立つ仕様のない状態で1,000万超えだ。
仁流会若頭というポジションに就いているので、それなりに箔をつないのかもしれないがAMGに初心者マークはないわと思う。
「で、どこ行くん」
「もう着く」
いや、だからどこに?朝から支度を急かされて問答無用に連れてこられましたけど、どこに行くとかそういうのいつもないよねと思う。慣れたけど。
知り合ったときからこんな感じなので今更どうかしてくれとは思わないけど、最低限の言葉って必要だと思う。いや、でも重要なときは言うな、どこに行くとか何をするとかは。
ということは今日はそんな重要じゃないんだろうと一人完結したところで、タイミング良く車のスピードが落ちたのに気が付き前を見ると、この辺一体で一際大きな家の前に車は止まった。洋風の観音開きの門の向こうにはさまざまな木が植っていて、しっかりと手入れされているのがよく分かる。門を彩るように色とりどりの花が満面の笑顔を見せるように咲き誇り客人を出迎えているようだった。
奥に見える屋敷と呼ぶに相応しい家は日本にはそぐわ無い、洋画に出てきそうな洋館だ。龍大は徐に車を降りると門の横の呼び鈴を押して何か話している。
「え、だからここ、どこ」
表札はどこだと見る前に龍大が戻ってきて、それと同時に門が開き車は中に入っていく。いや、だから…。
「誰のお宅訪問ですかね」
「え?おかんやけど」
「え?」
何を言ってるんだと言わんばかりの顔をされたが、お前こそ、何を言ってるんだと言う顔で互いに見合う。
「おかん!?」
おったん!?いや、おるやろうけど、ここなん!?いや、そうやのうて!めっちゃ重要な案件ですよね!?と一気に湧き出た感情は口に出されることなくパニックとなり消えた。
ドッキリか、この野郎!と殴りたくなる衝動を覚える。中はガーデニングが立派に施された、それこそ庭師が手入れしている感じで見間違いでなければ小さな噴水もあった。パスポートなしで海外に車一つで乗り込んだ、そんな錯覚を覚えるほどに日本らしくない。
龍大が車を止めると屋敷のドアが開き、少し初老の、とはいえ眼光鋭い男が出てきて龍大に頭を下げた。
「こちらにいらっしゃるとは。お久しぶりです、龍大様」
「おんの?」
「ええ、いらっしゃいます。奥へどうぞ。お連れの方も」
言われ、頭を小さく下げて龍大の後へ続く。玄関を潜ればエントランスだけで暮らせそうな広さに正面には横2mほどの立派な階段が続く。
上を見上げれば眩い光を放つシャンデリア。階段の横には多分、高価な物であろう大きな花瓶に薔薇やらが入れられている。薔薇やらというのは、威乃が花の種類がわから無いからだ。
とりあえず、多分、あれは赤くて派手だから薔薇。それくらいの知識。
「威乃?」
呼ばれ、龍大の足元を見下ろして、ですよねと思う。土足だ。日本人の悲しい性かな、靴を履いたまま部屋に入るのがどうも罪悪感。
磨き上げられた大理石の床に靴で上がり、そのまま龍大に続いて階段を登る。登り切ったところで見えた廊下には刺繍の施された絨毯が敷き詰められていて、靴、脱いでいいですか?と言いたくなる。
この間の総会もそうだったが、絨毯には靴では歩きたくないものだ。だが、ここが龍大の母親の住む家というのは少し納得いく。
どこかで見たような既視感。まだバランスが取られているから受け入れられる西洋かぶれと言ってしまいそうな、至る所にこれでもかと洋風の調度品の数々。
夫婦揃ってこういう趣味か。龍大がそれに影響受けなくて助かった。廊下に飾られた絵画を眺めながら奥の部屋へ行き、行き当たったところで龍大がノックをして部屋のドアを開けた。
ふわっと花の香りが漂ったと同時に「げ!」という声がした。龍大の身体の横から少し顔を出して覗けば、広い部屋のソファセットに座る女性が放った声だった。
黒い長い髪を一つに纏めて、薄いメイクと白いシャツに黒のタイトデニムを着たこの女性が龍大の母親…?
「げ、とはなんや」
「げー、やなかったら何て言うん。うわ!でもええけど」
え?母親?何か思ってたのと違う。もっと極妻みたいな、着物着て優雅にお茶を飲んでみたいな。
「ほら、威乃」
「いの?誰?」
「あ、渋澤威乃です」
「渋澤?」
立ち上がる母親にギョッとする。でかい!いや、そうか、龍大の親だったわとそこで妙な実感を持つ。切れ長で三白眼という印象的な瞳を縁取る一重に長い睫毛。小さな鼻梁は高く、白い肌は年を感じさせない輝きを持っていた。これが風間組の姐か。
「渋澤、子持ちと結婚したって聞いたけど、へぇ、あんたなん息子。ハゲ、ええのんもろて」
顔を覗き込まれて視線が迷う、どこを見るべきか分からずに右往左往してしまう。
「怯えとるわ、ウケる。取って食うたりせんわ」
「すいません」
何となく謝ると自分の前のソファを指差された。迷っていると龍大に手を引かれて一緒に腰掛けた。
「片倉、あたしアイスティーがええわー」
え?誰と振り返るとカフェワゴンを引いた、先程の男が立っていた。
「ご用意しております。龍大様と渋澤様は何にいたしますか?」
「あ、威乃でいいです。あの、龍大と同じものを」
「かしこまりました」
かしこまりましたやて。何、どうなってんのと心拍数が上がる。
「あー、あたしこれの母親の菖蒲あやめ。ほんで、何よ、アポなしで来て」
「アポなんか取られへんやろ」
「あんたが来るとかろくな話やないもん」
菖蒲の前にツヤツヤのレモンが入ったアイスティーが置かれ、龍大と威乃の前にはアイスコーヒー、そして中央にクッキーが入った器が置かれた。
威乃はそのクッキーを見ると「すいません、いただきます」と手を伸ばした。
口にして驚く。柔らかすぎず、しっとりとした食感を残しながら甘さも控えめ。少しジャムが練り込んでるそれを口の中で堪能する。そんな威乃の様子に菖蒲が首を傾げた。
「パティシエの学校行ってんねん」
「ああ、そうなん?それ、あたしが作ってん。おいしい?」
「え!?めっちゃ美味い!あ、美味しい…です」
料理上手はここからか!と味を忘れ無いように噛み締める。何個でもいけるな、これと思う。
「豆乳使ってんねんで。蜂蜜と。え?何なん、クッキー食べに来たん?」
「そんなわけあるか。獅龍が帰ってきてんぞ」
言うと菖蒲の顔色が変わった。
「なんで」
「親父が呼び戻したらしい」
「あの腐れジジイ」
え?腐れジジイって言うた?と思わず菖蒲の顔を見た。
「獅龍が逢いに来るとでも思ったん?あたしに」
「いや、言うとこう思て。一応」
「ふーん、帰ってきてんの、あの子。相変わらずアホなん」
「アホやな。帰ってきて早々、総会で幹部連中に喧嘩売って殴られたわ」
「殴られたん?あの子?総会で?」
「心に」
「心…。ほんまいっつも元凶やなぁ、あの子も」
菖蒲はふふッと笑った。あ、笑った時の目元が龍大に似てる。
「この子も逢うたん?獅龍に」
「え?あ、はい」
「どうやった?」
「どう?え、どう?」
「アホやった?」
「は?」
俺にそれを答えろと?と困惑して龍大を見るが無言でアイスコーヒーを啜っている。いや、そこは助けろと菖蒲を見るが、にっこりと笑われるだけだ。
アホですって言ってもいいもんなのか?と言葉に詰まっていると、後ろで咳払いが聞こえた。
「奥様、威乃様が困っておられます」
「あ、困ってんの?アホやて言うたらええねん。あたしがアホやて思うてんねんから」
「はぁ…」
調子狂う。仁流会風間組の姐ともなると、もっと仰々しいというか重たい人をイメージしていただけに拍子抜け。
「片倉もおるし、組には梶原もおるやろ。そう易々とここに来たりせぇへんわ。なに。あんた、心配してくれてんの」
「え、なんで」
何でってなんで?と思わず菖蒲と二人で龍大を見た。本気で帰ってきてます報告しに来ただけかと呆れるが、もっと呆れているのが親である菖蒲である。
「そういうとこ、ほんま子供のときから抜けてるいうんか。まぁええわ。で、渋澤の息子も組員なん?うちに連れてきて挨拶か?」
「違う、威乃は俺の恋人。俺、威乃と付き合ってる」
「龍大!!!」
突然の告白に誰よりも威乃が驚きよりも慄いた。予告なし爆弾か、お前は!龍大の突然の告白に菖蒲は表情を変えず、片倉の眼光だけが鋭さを見せた。息子が恋人を連れてくる、予告なしに。それも同性。
偏見や戸惑いがないというのは当事者ではない、若しくはそれ相応の考える時間が与えられ気持ちの整理がついてどう向き合うか答えの出ている結果の話だと思う。考える余地もなくパンっと目の前に置かれた現実に菖蒲は龍大がするように整えられた片眉を上げた。
「恋人なん?腐れジジイ知ってるん?うーん、知るわけないか。知ってたら、あんた死んでるもんな」
「え?」
威乃が恐る恐る菖蒲を見る。菖蒲はそれを見て龍大に首を傾げて見せた。
「あんた言うてへんの?あいつ、ホモフォビアやんねん」
「え、ホモ…何?」
「あれよあれ、同性愛嫌悪。嫌悪っていうか憎悪。同性同士で非生産的なことをっていうよりも、気持ち悪いねん」
「憎悪…」
口にするとまた重い言葉だった。万人が受け入れられるものではないとしても、嫌悪よりも憎悪となればまた話が違ってくる。それも龍大の父親、風間組組長が相手となるとそれに恐怖すら覚えた。
それに気がついた龍大が威乃の手をぎゅっと握りしめた。
「ああ、だからあたしに逢わせたん?でもあたしにどうこう出来る権限なんてないで。あったらこんな趣味の悪い屋敷に住んでへんもん」
え、この趣味は菖蒲じゃないのかと威乃は思わず部屋を見渡した。洋風インテリアが好きなんだろうないう印象しか湧かない、天井には落ちてくれば即死だろうと思うような大きく派手なシャンデリア。
金や銀、赤色など鮮やかな色で花や鳥の刺繍の施されたソファ。何なら壁にはインテリアなのか寒い時期となれば活用するのか実用性があるのか分からない暖炉もある。豪華絢爛な部屋も趣味でないならば住むのは苦痛だろうなと暖炉の上で眩い光を放つクリスタルで出来た白鳥の置物に視線がいく。
「俺らのことは俺らが決める。別にどうこう出来んでもええねん」
「決める?あんたなぁ…。ねぇ、ハゲは知ってんの?お母さんとか」
「えっと、親父は知ってます。あの、おかんは…その、」
「事件に巻き込まれて療養してる」
「ああ、そう…。そうなん。ヤクザなんかなるもんやないね」
菖蒲はそう言って威乃を手招きした。威乃はすぐに菖蒲の隣に座るとおずおずと顔を上げた。
「いややわぁ、近くで見ると益々可愛いわぁ。うちは厳しい顔したんしかおらんからなぁ。龍大はええわ、あの腐れジジイに何を言われても堪えへんやろうけど、あんたはどうやろうなぁ。風間組の時期組長の嫁が男やなんて、あんたには耐えられへんやろう」
「おい」
「うるさいよ、龍大。明神とこの三兄弟みたいに我が子の意思を尊重するっていうわけでもあらへん。眞澄んとこは信次さんがああやし、眞澄の方が気性が荒い分まだええ。でも腐れジジイはほんまの外道やもんな。あんな男、死んでしんでしまえばええねん」
「え?」
菖蒲の言葉にギョッとした顔を見せるとその両頬を、ぐっと両手で包まれた。ヒンヤリとした指先が頬を撫でた。
「お肌もつるつるやん。あーあ、こんなアホに捕まってもうて、あんたも気の毒に。ええか、あんたらが進もうとしてる道は茨の道どころやあらへん、一歩、歩くだけで血に塗れる道や。やけど、それでも二人で進むっていうなら行けるとこまで行ってみるんもええんちゃう?」
「え?あ、はい…」
「龍大、あたし片倉と日本離れとくわ」
ぐにゅぐにゅと威乃の頬を両手で挟んで捏ねながら言う。触り心地が気に入ったのか、にこにことしているので威乃もやられっ放しだ。
「その方がええんちゃうか。親父も獅龍に心をどうかさせようとしとる」
堪能しきったのか、威乃の頬から手を離してソファに深く座る。フーッと息を吐いて足を撫でた。
「は?誰って?心を?獅龍が?あほちゃうん。無理やわ」
「無理やろうな。鬼塚もだいぶ体制が変わったし」
「体制?心が無茶苦茶して古参連中追い出したんやろ。あの子も何や言うても誠一郎さん子やな。怖いもん知らずいうんか」
「心は心やから。それで最近、戻ってきた男が正式に組に入った」
「戻ってきた?」
「佐野 彪鷹っていう男」
口に出すと菖蒲が手を伸ばして取ろうとしていたコップを倒した。片倉がすぐにそれを片付けに来たが菖蒲の顔は血の気を失っいて、威乃が見ても分かるほど震えていた。
「あの男、帰ってきてんの」
「帰ってきてるっていうんか、鬼塚組の若頭や」
菖蒲がゴクっと息を呑んだ。
「組長が心で佐野もおって獅龍も呼び戻して…。あのジジイ、ほんまに何や企んでるわ。気ぃ付けるんやで、龍大」
今日一番、鋭い眼差しで菖蒲は龍大を見た。