「おかん、めっちゃ綺麗やな」
帰りの車内で言うとハンドルを握る龍大が首を傾げた。
「そうか?」
まぁ、それが普通の反応やな。威乃自身、母親が綺麗より可愛いとよく言われたが『え、どこが?』が常々の返答だった。
自分の親の容姿を褒められても何だか擽ったいだけで嬉しいというよりもどこか、やめてくれという感じになる。
「そういえば、風間組で一緒に暮らしてへんねんな」
「親父に殺されかけたからな」
「え?」
思ってもない言葉にギョッとした。殺されかけたとは穏やかな話ではない。確かに”腐れジジイ”とか罵るような言葉を言っていたが…。
「俺も獅龍も詳しい理由は知らん。やけど、そのせいで長い時間、立ったり歩くんは難しい」
「え…」
時折、菖蒲が足を摩っていたのはそのせいか。だが、長時間歩行困難だなんてそんな感じには全然見えなかった。
「親父の仕業や」
「仕業って、え?それ、その、DVなん?え、離婚とか」
「親父が許さんかった。やから療養を理由にここにおる。俺がガキのときに威乃と知り合ったんは施設やけど、あの時は組のゴタゴタもあったけど、それよりもおかんが入院してたから施設に入れられたっていうんが大きい」
「え、あ、ごめん…」
何と言っていいのか分からずに出た言葉が謝罪だった。何に対してかは分からないが、自分がひどく動揺しているのもわかった。
極道の女、しかも姐となって、そういういざこざがあった時にすんなりと別れられるかと言われれば、そんなわけがない。自分も愛も恵まれているだけで、極道の家族になるということはそういう覚悟が必要なのだ。
沈み込む威乃の手を龍大がギュッと握った。
「獅龍は親父を恨んで助けてくれへんかったおかんも恨んでる。子供を守るんは母親の役目やて言うとったけど、親父にボコボコにされてまともに歩かれへん。それどころか内臓もやられて死ぬか生きるかまでされた。たまたま顔出しとった鬼塚組の山瀬さんと片倉が止めに入ったから死なんで済んだくらいや。そこまでされてんのに親父に口出しなんか出来るわけない。俺よりも年上でそれを目の当たりにしてるくせに、獅龍はアホやからおかんを恨んで日本を放り出されたんを一番、根に持ってて…死ぬほど俺が嫌い」
「え…」
「俺も嫌いやからええけど、自分は風間の籍を追い出された挙句、英語も喋られへんのにアメリカに送られて、俺は風間に残ったままで組に入った。恨んで当然かもしらん。でも、威乃には指一本触れさせへんから」
「いや、俺も強いから」
守ってもらうだけなんか冗談じゃないと龍大の手をギュッと握り返した。
風間組総本部。会長室のデスクに座る風間龍一は煙管を吹かせて目の前に立つ梶原に目を向けた。珍しく厳しい顔をしている。
「で?話ってなんや」
「獅龍さんを戻すとは聞きましたが、総会に当ててくるとは聞いてませんでした。結果、顔合わせどころやなくなりました。一言、話くれたら」
「何や、藪から棒に。獅龍が暴れたことに関しては灸を据えたやろうが」
たばこ盆に置かれた灰落としにカンっと煙管を当てて灰を落とすと、煙管に息を入れ残り滓を吐き出した。手提げのたばこ盆は江戸時代初期のもので骨董屋から仕入れた一品だ。
龍一にしては珍しく和のそれは西洋風装飾があらゆるところに施された会長室では一際、浮いていた。そこだけ色合いも存在も形までもが時が止まったような、そんな代物だが黄金色の飾り総力が気に入って愛用している。
「龍大さんにも言わんまんま、いきなり戻すなんぞ乱暴やないですか。獅龍さんはただでさえ龍大さんに敵意剥き出しです」
「梶原ぁ、あれを海の向こうに弾き出して何年や。あれをそのまんまにしとくとでも思うとったんか?あ?」
綺麗な装飾の施された煙管を布で拭うとたばこ盆に載せる。そして革張りの背凭れの高い椅子に背を預けると、梶原に笑みを見せた。
「仁流会もいずれは世代交代、鬼塚は心が、鬼頭は眞澄、明神は万里、それぞれが代紋受け継いでいく。じゃあ、うちはだ。獅龍か龍大がになるじゃねぇか」
「獅龍さんに…?」
梶原は思わず顔を歪めた。だがすぐに平静を保ったものの、組には獅龍を快く思っている者は多くない。若い者は獅龍のことを知らない、若しくは海外にやられた放蕩息子がいるくらいにしか知らされていないだろうから、今回の帰国はほとんどが驚いただろう。
その獅龍にも後継者としての資格があると龍一は匂わせていることに、梶原は困惑を見せた。
「獅龍さんを風間の籍に戻すということですか?」
「それもなきにしも…ってなぁ?」
「力試しとでも言うつもりですか?親父の言葉は心を襲撃する正当性を与えたようなもんです」
ことの重大さを認識できていないのかと苛立ちを含めて言うと、龍一が声を出して笑った。
「まぁ、落ち着け。ええか?何やかんや言うて心っていうんは一番の外道や。力においてしても眞澄も万里も敵わんやろ。やけどそれじゃああかん。風間一強とは言わんがな」
「殺されても文句言えませんよ。心は親父の息子やからて躊躇うような男やありません」
「極道や、獅龍も学ぶに越したことあらへんやろ」
言うだけ無駄かと梶原は渋々、「わかりました」と頭を下げた。龍大がそうのように龍一も自分の言い出したことは引かない。龍大の場合は頑固で片付くが龍一の場合となると立場からも話は別だ。
「ああ、そうだ、おい。お前に紹介しとく男がおる」
声を掛けるとドアが開き、そこには場違いとも取れる痩身な男が立っていた。にっこりと笑う顔は若く、梶原は蛾眉を顰めた。
痩身だが背は低い方ではない。男にしては肌の色が白く濡れ羽色の髪は艶やかに輝き美しい。何よりも特徴的なのは目だ。大きく切れ長な雌雄眼はどこか色香を含んでいる。高めの鼻筋は鼻先まで細く鼻翼幅も小さいためか中性的さが際立つ。
シャープな顎は男性的なそれには見えず、弧を描く薄い唇が小さく開いた。
「
「梶原だ」
手を出してきた梶原の手を細い手がぎゅっと握る。白く細い指は虫一匹も殺したことがないようで、この世界には不似合いに見えた。スーツの袖から除く手首も細く、今、この一瞬でへし折ることも容易いように思える。
「野上覚えとるか」
「風間の傘下に行った、曽根崎組の野上ですか?」
「せや、そこからの預かりや。なかなかのやり手で曽根崎の資金も上げた実績がある」
「へぇ、そうですか。野上の子飼いですか」
隣に並ぶ神木を見ると、にっこりと笑みを返された。元々、風間組の幹部だった野上は曽根崎組を任されることになり、組長に就任するや否や風間組の傘下に入った。
人の言葉に影響を受けやすい男で梶原とは接点は少なかったが、あまり良い噂の聞かない男だった。
「至らないところも多々ありますけど、よろしくお願いします」
小さな頭がお辞儀をして揺れる。梶原はそれに返事をすることもなく「それでは」と部屋をあとにした。そしてすぐにスマホを取り出すと連絡先から渋澤を呼び出す。
「俺や。お前、曽根崎に伝手あったよな。ちょっと調べてほしいことがある」
梶原は苛立ちを隠さぬまま本部を出ると、入り口に着いてた車に乗り込んだ。運転席でそれを確認した渋澤は前の弾除けにパッシングすると、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
「で、どうや」
「兄貴に言われてすぐに曽根崎におった男と連絡取りました。最近、組を抜けたんですけど、会うとこに」
「俺も一緒に行く」
「はぁ、どないしたんですか」
「親父の横に訳のわからんのがおるん、聞いたか?」
「ああ、それなら小沢に聞きました。蹴飛ばしたら飛んでいきそうな枯れ木みたいな、顔面力だけ強いのが組を出入りし始めたって。何を言うてんのか分かりませんでしたけど」
顔面力、確かに容姿は目を惹く。だが一番、梶原が納得がいかないのはそこでもある。鬼塚組の崎山を拾った時に組に入れなかったのも、風間が崎山のような、そして神木のような中性的な顔の男を嫌うからだ。
それを踏まえてみても、預かりと言えど側近として置く理由が全く分からない。
「どないなっとんねん」
梶原は舌を鳴らした。
街外れの寂れた店が並ぶ場所に車で入り込む。シャッターが下りた店舗ばかりで、そのどれにもお世辞にも上手いとは言えない絵なのか文字がスプレーで描かれていた。
時間と場所を取り決めたものの目立つ車で来ないで欲しいと言うので組の事務員が使う、どこにでも走っているワゴン車で来たが何をそんなに怯えているのかというのが渋澤の話だ。
「この辺ですね、シャッター下りてるけど」
「あれやろ」
助手席に座る梶原が指差した方向にある電柱の影から地縛霊かというような顔色の悪い男が手招きをしていた。思わず「えー」と言いたくなるような容姿の男は周りをキョロキョロと見渡して車に向かって走ってきた。
痩身で痩けた顎、土色の顔色。だが目だけはギョロギョロと出目金のように動いていて、梶原は渋澤を見た。
「おかしいですね」
言って、後部座席を指差すと男が転がるように乗り込んで慌ててドアを閉めた。
「おいおい、お前、ジャンキーやんけ」
「し、渋澤の兄貴…」
渋澤の顔を見てホッとしたような顔を見せる男に渋澤は頭を掻いた。こんな状態と知っていたら会わせなかったのにとでも言いたげだ。
「すんません。こいつは曽根崎組の
「そうなん?路、お前いつまで曽根崎に?」
「去年です、あの」
オドオドと探るように梶原を見てくる。肩を丸めて座席には座らずにフロアマットの上に蹲るようにしている路に、梶原も渋澤も肩を竦めた。
「俺は風間組若頭の梶原や」
「あんたが梶原さん。あ、自分は路です…」
消え入りそうな声で言う指先がガタガタ震えている。典型的な中毒だなと首を振った。こんな男から話が聞けるのかとも思ったが、とりあえずと口を開いた。
「別に何かしたろうって思うてるんやない。そう怯えんな。ちょっと聞きたいことがな」
「はぁ…」
「曽根崎におった神木知ってるか」
神木の名前を聞いた路は両手を顔で隠して「ひいいい!」と悲鳴を上げた。あまりの奇行に渋澤が思わず梶原の前に出るように身を乗り出したくらいだ。
「なんやねん!」
「か、神木はあきません!あきません!」
「おいおい、大丈夫か。ここにおるわけやないやろ」
「神木、今、まさか風間組におるんですか」
両手で顔を多い、指の隙間から覗いた目がギョロっと動いた。血走り、白目が黄色く濁っている。黒目は瞳孔が開き、目の下は隈で窪みが目立つほどだ。頬が痩け、暑くもないのに滴るほどに汗をかき始めている。梶原は幾度となくこういう人間を見てきたが、ここまで中毒症状が酷い人間を見るのは久々だ。そして、人間をここまで壊せるものかと改めて感じた。
「知ってるか、神木。今はうちにいる。とはいえいきなり過ぎてな。どういう男か教えてくれるか」
路は顔を何度も撫でると唸るような小さな声を出した。そして落ち着かないのか両手を常に擦り合わせている。それに渋澤が煙草を差し出すと頭を下げて一本咥えた。
火を渡すと震える手でどうにか火を点け、深呼吸でもするかのように大きく息を吸い込んだ。
「あの男は…神木は、曽根崎を変えてしまいよった。もう曽根崎は看板だけで箱しかありません。神木が空にしてもうた」
「はぁ?野上は」
「
路は徐に腕を捲り上げた。腕には数多くの注射痕、しかも血管注射だ。これでは依存性も高くなるというものだ。
「仁流会はヤクは御法度やぞ」
渋澤が怒りを含めた声で言うと路は乾いた笑いを上げた。
「仁流会の幹部とはいえ野上の兄貴は下っ端です。曽根崎組は組員も資金力も劣る組織で、仁流会っていう名前がなけりゃ吹いて飛んでるような組ですわ。追い打ちかけるように暴対法です。そこでは反対に仁流会の名前のせいでお上からの風当たりも強なってもうて板挟みです。みかじめ料も厳しなって稼がれへんようになったときに野上の兄貴が連れてきたんが神木です。神木は海の向こう、俺の故郷の人間と繋がりがあって純度の悪いヤクを大量に仕入れるパイプを持ってたんです。構成員を抱えて養っていくには資金が乏しいと感じていたオヤジは神木の話に乗ってもうた。そっからはもう転落ですわ。俺らが見てきた堅気の連中と同じで稼ぎとともに己もヤクを使うんが当たり前になっとった。もう、組の連中でヤクをやってへん人間はおらへんくらいに」
「誰も逆らわへんかったんか」
「そりゃ、ヤク嫌いの人間もいますよ。現に俺もせやった。ヤクで人生壊す人間を山ほど見てきましたもん。やけどね、1人、仁流会にリークしようとした男は事務所の組員全員の前で生きたまま顔の皮を剥がれて痛さでのたうち回りながらガソリンかけられて焼かれました。神木がやったんです」
ぎょろっとした目が梶原を捉えた。
「そんなもん見せられたらやるしかないんですよ。神木は悪魔です。人をその辺の野良犬と同等に思うてる、悪魔です!悪魔なんやぁぁああ!!」
言って泣き出した路に梶原は眉を上げた。
「もともと、一個の携帯から始まったみたいです」
「携帯?」
梶原達がいるのは梶原個人が使うマンションの1室で、組にも言ってない部屋だった。そこにいる渋澤と小沢は梶原の座るソファセットに同じように腰掛けた。
組事務所関連は盗聴の恐れがあるという、馬鹿馬鹿しくもあるがあり得ない話ではないそれに3人はそこで話すことにしたのだ。
路の言う話と関係者の話、それぞれの確証を得るために渋澤と小沢が動き調べたのだが、思ってもいないような話に訝しむ梶原に二人は思わず顔を見合わせた。
「売人がいたんです、ヤクに限らず、ドラッグ、まぁ粗悪なものから純度の高いもんまで何でも仕入れる。それの枝だった男が大麻を捌いてまして」
小沢が資料をテーブルに並べた。資料をざっと見て梶原は眉を上げた。
「ガキじゃねぇか」
「はい、大学っすね。ええとこの学校なんすけど、まぁヤリサー作って、メンバーに親が店を何軒か持ってる奴がいて、そこを拠点にして学内でヤク漬けにした奴らにツレとか連れてこさせてみたいな」
「ヤクザ顔負けのことしやがるな」
「っすよねぇ。大麻なんで依存とかあらへんよぉーが謳いやったみたいですわ。ほら、海外でも合法な国って結構あるやないですか。やから、平気やでっていうんで引っ張るんです」
「やけど、所詮は大麻やろ。単価も安いやろ」
梶原が資料にある単価表を見るが確かに稼ぐにしては物足りないような気がする。それに小沢が頷いた。
「大麻って入口でしょ。そっから、もうちょっと飛べるのない?ってなるんすわ」
「はー、なるほどな」
梶原は眉間に指を当てて全身で溜息を吐いた。ゴールはシャブかとリストに載せられたハルと年の変わらなそうな連中の顔を見る。この年頃の連中は自分が大人になったような気になってバカをしでかす人間が多い。
学生服を脱いで大学生になると一端の大人になった気にでもなるのか、悪いことですら自分の力の見せ所だと間違った解釈をするのだ。
「その小枝の売人である男の携帯を、曽根崎組に居た神木が入手したらしいですよ」
「客は余るほどいるってことか。何人登録させられてたやら」
「路が言うには初めはその客に売り捌くだけやったらしいです。直接的に売り捌くと仁流会に背くことになるので、神木が外に一つ窓口になる人間を作ってそこで売買させていたらしいです」
渋澤の説明にどこか納得がいかないような顔をして、梶原は「うーん」と唸った。
「わかる。客の獲得は一個の携帯で済んだとはいえ、じゃあヤクは?それが路の言ってた神木のパイプか?一人で神木が全部やったんか?」
「その大元のバイヤーに、でかい商売したくないか言うて持ちかけたらしいですよ。神木一人じゃあ無理ですし、神木は自分で仕事をする男やなかったらしいんで」
「やて、その時は曽根崎組の構成員やろ?仁流会やて知ってて、そんな危ない橋、そいつらも渡るか?」
「兄貴、そのね、枝やった男、おらんらしいんすよ」
「は?」
「一応、どないしてんのかなぁって調べたんっす。とはいえ多分ラリって話も聞かれへんやろなぁと思ってたんですけど、どうも行方不明でヤリサーは別のやつが引き継いでて。まぁ、そこもまだ大麻とか蔓延してる状態やったんっすけどね、その枝やった男がおらんようになったことで人集めも厳しなって、しかもヤクも大麻も手に入らん、でも逃げられへんで地獄っすよ。そんな状態やから飛んだんかて思うたんですけど、見せしめに殺されたんかもなって。やて、神木ってヤバいんしょ?」
「何者やねん、あいつ」
「神木ですけど、色々と調べましたけど曽根崎に入るまえの消息は掴めてません。ある日突然、この世に生まれて今おるみたいな、それくらい何もない男です」
まるでゴーストだ。刀折れ矢尽きるとまではいかないが、これはかなり厄介なことになりそうじゃないかと梶原は唇をギュッと結んだ。