空、雨、涕

空series second2


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授業が終わると学校を出て、道路を挟んで向かい側にあるファストフード店へ入り、注文をするとトレーを持って座席が並ぶ場所へ移動した。
威乃の製菓学校のある地区は他にも様々な学校があり、それと同じようにオフィスも多い。なので夕方の時間になるとファストフード店も大混雑するのだ。
スーツ姿の会社員から学生と思しき者、満席に近いそこに見慣れた顔を見つけて威乃は手を振った。
「待った?」
トレーの上のポテトが半分になってる。そんなに遅くなってないけどなと思いながら向かいに座る。するとハルが威乃のセットメニューのチキンをつまみ上げた。
「今日、早ぅ終わってもうてなぁ」
「そうなん?学校どない?彰信がさ、ハル欠乏症やて」
「なんやそれ」
ハルは鼻で笑う。彰信は高校の同級生。よくその最弱さでここに通おうと思ったね?というくらい弱く、ヘタレの男だった。あまりにヘタレすぎて喧嘩を売る人間もほぼ居なかったが、なぜか威乃とハルに懐いていて気が付けば3人コンビで行動をしていることが多かった。
その彰信は美容専門学校に進学しており、日々、研修やら実習やらで忙殺されているそうで頻繁に恨み辛みにも似た長文の感想文かな?というものがグループコミュニティに送られてくる。
3人で作ったそこはほぼ彰信の長文投稿で埋まっており、威乃がそれに時折、返信をするくらいだ。何とも寂しいものだが彰信はそれでも飽きることなく毎日、何かしら送っている。
「あんな嫌がらせみたいな長文、読んでられるか。ああやって言えてるうちは元気やいうことや」
確かに読んでられない。だが威乃までスルーすると本当に彰信以外、動かない状態になるので威乃は威乃で本日の作品とばかりに実習で作ったケーキやパンを送っている。
壁打ちのような状態だが、過去の作品を見返すのにちょうどいいのだ。
「彰信、お客様第一号はハルにする言うてたで」
「マジか。いや、あいつ信用できひん」
「センスはええやろ。俺らの中で服のセンスとか流行とか取り入れるん上手いもん」
「そうやな。ああ、そういや今日はオヤジさん、どないした?」
「さぁ、忙しいんちゃうか?行かれへんっていうのに理由とか何でまで聞かんもん」
「風間も忙しいんか?」
「知りません」
今はその名前は聞きたくありませんと頬を膨らませてそっぽを向く。それにハルが冷たい目を向けながら残り少なくなったアイスコーヒーを啜った。
「倦怠期って、野郎同士でもあんのか」
「倦怠期だぁ!?ちゃうやん、あいつが俺を信用せぇへんからやん!我は接待やなんや言うてネェちゃんはべらして、葉巻咥えてドンファン気取りやで!」
息巻いて言い捨てハンバーガーに齧り付く。それをハルはやはり呆れたように見た。
「お前、何の映画見たん?」
「ゴッドファーザーを…配信されてたもんで」
「そんなもん観るからいらん知識なんか付けるねん。そもそもそういう器用なタイプちゃうやろ、あいつ」
「やてさ、俺、別に何かしようとか思うてへんやん。ちょっと学校の打ち上げに参加して恩師にお礼したいだけやん。あそこまで頑なになると何であかんの?ってなるもん」
「お前が浮気するかもっていうよりも、お前が女の良さに気が付いたらどうしようって思うてんちゃう?」
「はぁ?」
何を言ってんのとハルを見る。女の良さって何、家事も容姿も完璧で難があるとすると威乃のことを世界で一番大好きという、自分で言うのも何だが趣味の悪さくらいだ。
地位も名誉も金もある。とはいえ裏社会限定ではあるが。
「やて、お前はもともとゲイでもなんでもあらへん、ヘテロやん」
「そんなん、龍大もやん」
ぷーっと膨れた顔をすると、ハルは笑うだけだった。そんなこと言うならハルも梶原さんもでしょ?とはなぜか言えなかった。
ハルが梶原と付き合っていると言い出した時は天変地異かと思うほどに驚いたが、ハルが男とというのが威乃の中でざわざわした。いつから?梶原さんだから?ずっと?そんな言葉が口を開けば出そうだったのだ。
ハルのことをずっと知っているつもり、分かっているつもりでいたのに分かってなかったという寂しさが押し上げた。
「あ、そう、夏にぃ帰ってきてるって」
「あ?お前、それどこで…ああ、あの人、家行く言うてたな」
「獅龍、逢うた?」
ハルの目を見ると二人して同時に「クソやな」と声を合わせた。
「卑怯で陰湿、自分の力のなさを認識してへん上に自意識過剰ときた。お前、やった?」
「不意打ち攻撃からの得物出し。龍大の兄貴って知らんかったから応戦したけど、久々に逢う外道やわ。ハルんとこは夏にぃとやろ?」
「ま、一発KOやったわ」
でしょうねと空笑い。名取夏色、ハルの兄貴として紹介されたのはいつだったか覚えていない。その時の夏色の顔もしっかりと覚えているわけではなく、隣で菩薩のように笑顔を浮かべる初歌の顔だけを覚えている。
その時から夏色の最強さは有名で、だがそのせいで夏色の弟という逃げられないポジションにいるハルは理不尽に喧嘩を売られることが多かった。
夏色が初歌を護衛する傍ら強さを身につけたように、ハルは夏色の弟という理由からの喧嘩で腕を上げ幼馴染であった威乃もまた巻き込まれる形で喧嘩に加わり腕を上げた。
そうせざるを得ない環境といえばそうなのだが、向かうところ敵なしの状態で調子に乗っていた威乃達は一度、大きなヘマをしたことがある。
毎回毎回、負けてもなお喧嘩を売ってくる他校生がいた。名前すら覚えていないが来るたびに仲間を増やして大群で来るような男で、飽きもせずによくやるもんだと思っていた。
それでも圧倒的な力で勝ち続けた威乃達に最後の手段と連れてきたのが、最近、よく名前を聞く有名な半グレを掻き集めた集団だった。”多勢に無勢ってこういう時のことをいうのか”と身をもって知った瞬間でもある。
見たこともない廃屋に連れて行かれて袋叩きにされた威乃は、これはかなり拙い状況だと生まれて初めて殺されるかもしれないと思った。
ハルの腕が踏み付けられた瞬間に「こいつを殺したら次はお前だ」と高笑いする男の隙を見て威乃は夏色にGPS通知をした。これだけで気がついてもらえるとは思わなかったが、夏色はすぐにやってきて50人はいる男達を叩き潰してしまったのだ。
その時の夏色の楽しそうな顔は今でも鮮明に覚えている。そのあと廃屋は全焼しハルが完膚無きまでにやられた連中もその半グレのチームも2度と見ることがなかった。
大きな火事と大勢が関わった傷害事件。そんな二つの事が1日に起こったにも関わらず、一切、表沙汰にならなかった。これは多分、極楽院の力なのだ。
「初歌くんも元気?」
「狭い家やのに、うちでゴロゴロしとるわ。自分の豪邸に帰りゃあええのに」
「またすぐ?」
「いいや、何ぞ検査あるらしい」
「え!?どっか悪いん!?」
「いや、定期検査的なもん」
それならよかったと胸を撫で下ろす。初歌の居ない夏色なんて想像出来なくて、思い浮かぶのは”恐怖”だけなのだ。
「ええんか悪いんか。長居されるんは敵わん。そうや、お前、バイトどう?国際バイト」
「国際バイト言うな」
実は威乃はバイトに勤しんでいる。それも愛に食べさせるために渋澤がチョイスした有名店であるfraiseでだ。和菓子職人である奥瀬壱吾とパティシエのロイド・アーロンの二人いで営む店は知る人ぞ知る有名店だ。
取材は人手がいないこともあり極力受けない。今時SNSもやっていないという宣伝力ゼロな状態でもケーキが売れ残ることはない。それどころか夕方までには完売することが多々ある。
パティシエを目指すべく学校へ通い出した威乃は、改めて奥瀬達の実力の凄まじさを実感した。講師にも一目置かれる存在で、界隈ではなかり有名なコンビということもわかった。
あの独創的な世界観がこんな身近にあると思うと居ても立っても居られずに、威乃はそれこそ床に額擦り付ける勢いでバイトとして雇って欲しいと頼み込んだ。
本来、奥瀬はロイドが日本語が話せないのと少し気難しいのがあって、バイト等雇う気はなかったそうだ。それに、どれだけ功績があって数々の賞をもらっていても、とりあえずこの原材料高騰のなか、人を雇う余裕がないのも本音。
早々に完売するケーキも数を作れるわけではないので、儲かっているというわけでもない。時代の波には逆らえないというものなのだ。
だが威乃も自分を雇うリスクを話した。メリットではなくリスク、デメリットだ。それは父親である澁澤の職業、母親の病気、そしてパートナーが同性だということだ。
全部、曝け出した上で母親のために世界一のケーキを作りたいので、雇わなくて良い、ただそばで創作を見せて欲しいと無茶振りをした。堅気でないうえに同性愛者であるということは、言われた方は逃げ出したい気分だろうなと思った。
だが意外なことにロイドが了承したのだ。
「ちょっとは喋れるようなったんか」
「あー、what's thisは覚えた」
「発音だけがネイティブでクソ腹立つ。やて、お前、それに答えてくれた返事は理解してんのか」
「質問の回答は紙に書いてくれて、向日葵ちゃんに訳してもらってる」
「ああ、あのちんまいのか」
「ゆーーっくり話してくれてるんやろうけど、ほら、単語を知らんやん?最早、未知の言語状態。宇宙人との会話」
中高、英語学習を怠ってきた報いがここにきてというやつだ。挨拶くらい出来るようにしとけと言っていた英語教師に今からでも謝罪したい気分だ。
「俺はそんな感じやけどハルは?学校忙しい?」
「そうな、俺もお前と同じ。今まで遊び倒してた報いやな。これはもう、堪えるしかない」
うんざりしたように遠くを見る顔を見て、同じように様々な後悔を味わっているんだなと察する。とはいえ、あれがなかったら越えられないこともあったと前向きに、ポジティブに考える。
過去を後悔してリセット出来るわけでもないし、喧嘩で身につけたスキルは役に立つことも多い。向日葵を助けれたこと然り、ゼロではないと思う。
ふとテーブルに置かれた手を見る。ハルの手はもう喧嘩に明け暮れて人を殴ることで出来る痣も赤みもなく、オイルやエンジンを弄りたおした手だ。威乃もそう、パティシエ侮りがたしで生傷が絶えない。
火傷、切り傷、女の子なんて可哀想なものだが、みんなそんなことを気にもせず必死に毎日、調理に勤しんでいるのだ。
「あ、そうや、ハル、小沢さんと遊んでるやろ」
「あ?なんで」
「龍大が言うてた。仲良うなったんかして、よぉ、遊んどるって」
「よぉも遊んでへんわ。たまに飯行くだけやし、最近は俺が実習ばっかで飯もないし」
「ずるいー、俺とは遊んでくれへんくせにー」
「遊ぶ遊ぶ。拗ねんな」
ハルはそう言って笑った。
こうやって自分と違う学校に行き、自分の知らない交友関係を築き、自分の知らないハルが増えていくことが内心、楽しくない。威乃は膨れっ面を見せたが、それを察したハルがその尖った唇をふにゅっと指で挟んだ。
「アヒルちゃん」
「アヒルちゃんちゃうわ」
それをペシッと叩いたら、また笑われた。

それから他愛のない会話をして頃合いを見てハルの愛車、ドラッグスターの後部シートに跨る。バイクがあれば送迎とかいらないのでは?そろそろ車かバイクか免許が欲しいと、やはり先に進むハルが面白くなくてヘルメットをぶつけると睨まれた。
当たり前のことだが走行速度を守りながら走る。何だか丸くなったよねと思っていると信号待ちで隣に付いた車に目をやる。黒のベンツS63 AMG 4MATIC。しかも社外エアロの特別仕様。
フルスモークでマフラーも社外品のサウンドだ。二人して隠すことなく凝視。こういうとこは全然丸くなっていない。普通ならば即座に視線を外す相手だ。
あまりに凝視しすぎていたためか、左側、即ち左ハンドルである運転席側のウィンドウがゆっくりと開いた。
「お前らねぇ、見過ぎ」
見慣れた顔に二人して頭を軽く下げた。ハンドルを握る小沢は呆れたように「俺やなかったらどないするねん」なんて小言を言った。
「久しぶりっすね」
「どこ行くんすか?」
「ああ、これのガソリン入れに行くねん。二人して、どこ行くねん?」
「バイトっす、こいつも」
「そうか、じゃあ気ぃ付けてな。ほんで、隣に停まった車をガン見すんなよ!」
確かにそれはそうだなと信号が青になり進む小沢を見送りながら思う。ふと標識を見上げ辺りを見渡す。
この辺に事務所なんてあったかなと考えてすぐ、そんなことに詳しい自分ってどうなんだと自己嫌悪した。

「帰りは?」
「龍大が来るっぽい」
「旦那来るんやったら、愛人の俺はいらんな」
「いや、なんで!」
店の前で愛人発言はやめてくれと肩を叩くとハルが笑った。
「じゃあ、またな」
ハルのバイクが唸るようにエンジン音を轟かせる。威乃はそれに手を挙げて、店の裏にある従業員入口へ回った。
そんなに大きな店ではないfraiseは裏の入り口を開けて少し入ると調理場が見える。
「あ、シュークリームか」
開けてすぐの匂いに反応すると洗い物をしていたこの店のパティシエで数々の賞を受賞している、その世界では神と呼ばれるロイド・アーロンがいた。
蜂蜜みたいにキラキラと光るブロンド、子供の頃に食べたエメラルドグリーン色のゼリーと同じ輝きを持ったグリーンアイ。パティシエではなくモデルではないかと見紛うほどの整った顔。龍大と変わらぬ長身さと均等の取れた身体。
この世に誕生した時点で組み込まれた細胞が全くもって違うと実感させられる、アルミのボールを洗う筋の浮き出た腕。龍大で見慣れているとはいえ、どうやってその筋肉を手に入れてるんですか?と聞きたいものだ。
「morning」
「あ、morning…」
ここまで本場の英語に触れ合っていても全く身につかないのは自分で呆れる。いや、発音はネイティブ。耳コピで発音だけは完璧ではあるが、自分で発音出来たとしても何を言っているのかわからないというのがどうにもならない。
「前途多難やなぁ」
せっかくの神とこんなに近い距離に入れるのに言葉の壁は超高層ビル並に高いと、威乃は項垂れた。